ラクシュミーナラシンハ・マッラ
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ラクシュミーナラシンハ・マッラ(Lakshminarasimha Malla、? - 1657年)は、ネパール、カトマンズ・マッラ朝の君主(在位:1620年 - 1641年)。
生涯
[編集]パタンを統治していた王太子ハリハラシンハ・マッラの長男として生まれた。
1619年、弟シッディナラシンハ・マッラがパタンでパタン・マッラ朝を創始した。ラクシュミーナラシンハはこれに抗議し王宮を離れたが、1620年に祖父シヴァシンハ・マッラが死亡したため、戻って王位を継承した。
ラクシュミーナラシンハは優柔不断であったため、バクタプルと組むパタンから圧力を受け、カトマンズは「敵になるも味方になるも同一行動」という友好条約を結ばされた。
有能な長子プラターパ・マッラと彼を支持する勢力に王位を追われ、投獄された。その後、1657年に死亡した。
参考文献
[編集]- 佐伯和彦『ネパール全史』明石書店、2003年。