マッラ朝
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マッラ朝(マッラちょう、Malla Dynasty)は、ネパールの王朝( 1200年 - 1769年)。
歴史
[編集]初期のころはティルフット王国[2]、ベンガル・スルターン朝の君主シャムスッディーン・イリヤース・シャーの侵略にもさらされた[3]。ことにベンガルの侵略では壊滅的な打撃をうけた[3]。
1428年、ヤクシャ・マッラが統治をはじめると、内政は成功し、国外にも勢力を伸ばし、王朝は最盛期を迎えた[4]。
だが、その死も以て統一マッラ朝は崩壊した[5]。1484年にバクタプル・マッラ朝からカトマンズ・マッラ朝が分裂した[5]。さらに、1619年にカトマンズ・マッラ朝からパタン・マッラ朝が分裂し[5]、ここにマッラ朝は3つに分裂した。
三都はそれぞれ権謀戦術を張り巡らし、ときにカトマンズ盆地外のセーナ王国やゴルカ王国の力を借りた。そうしたなか、ゴルカ王国が三都の争いに積極的に介入してきた[6]。ゴルカはパタンと友好をともっていたが、プリトビパティ・シャハの時に三都に対して権謀戦術を用いるようになり、それは次のナラ・ブーパール・シャハ、プリトビ・ナラヤン・シャハに受け継がれた[7]。
1768年、プリトビ・ナラヤンによりカトマンズ・マッラ朝、パタン・マッラ朝が、1769年にはバクタプル・マッラ朝がゴルカに滅ぼされ、三都マッラ朝の時代は終わりを告げ、ネパール王国の時代が始まった[8]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 佐伯和彦『世界歴史叢書 ネパール全史』明石書店、2003年。