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ライオネル・ドーソン=デイマー (第4代ポータリントン伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1860年代の肖像写真。

第4代ポータリントン伯爵ライオネル・シーモア・ウィリアム・ドーソン=デイマー英語: Lionel Seymour William Dawson-Damer, 4th Earl of Portarlington1832年4月7日1892年12月17日)は、イギリスの政治家、軍人、アイルランド貴族庶民院議員(在任:1857年 – 1865年、1868年 – 1880年)を務めた[1]

生涯

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バニティ・フェア』1871年11月18日号におけるカリカチュアジェームズ・ティソ画。

ジョージ・ライオネル・ドーソン=デイマー閣下英語版(1789年ごろ – 1856年4月14日、初代ポータリントン伯爵ジョン・ドーソンの息子)と妻メアリー・ジョージアナ・エマ(Mary Georgiana Emma、旧姓シーモア(Seymour)、ヒュー・シーモア卿英語版の娘)の息子として、1832年4月7日に生まれた[1]イートン・カレッジで教育を受けた[1]

1849年1月23日、少尉および中尉(Ensign and Lieutenant)への辞令を購入して、スコッツガーズに配属された[2]。1854年7月14日、中尉および大尉(Lieutenant and Captain)に昇進した[3]クリミア戦争に参戦した後[1]、1856年1月に陸軍から引退した[4]。同年4月7日、ドーセット・ヨーマンリー連隊英語版コルネット英語版(騎兵少尉)に任命された[5]。1858年4月20日、中尉に昇進した[6]。1871年11月29日、ヨーマンリー連隊での軍職を辞した[7]

1857年12月12日、クイーンズ・カウンティ(現リーシュ県)の副統監に任命された[8]庶民院では1857年から1865年までと1868年から1880年までポータリントン選挙区英語版の代表として議員を務めた[1]

1889年3月1日に伯父ヘンリーの息子ヘンリー・ジョン・リューベンが死去すると、ポータリントン伯爵位を継承した[1]

1892年12月17日にボーンマスで死去、ドーセットケイム英語版で埋葬された[1]。長男ジョージ・ライオネル・ヘンリー・シーモア英語版が爵位を継承した[1]

家族

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1855年4月19日、ハリエット・リディア・モンタギュー(Harriet Lydia Montague、1829年7月23日 – 1894年11月23日、第6代ロークビー男爵ヘンリー・モンタギュー英語版の娘)と結婚、2男1女をもうけた[1][9]

  • ジョージ・ライオネル・ヘンリー・シーモア英語版(1858年8月19日 – 1900年8月31日) - 第5代ポータリントン伯爵[9]
  • メアリー・フランシス・シーモア(Mary Frances Seymour、1860年7月26日 – 1895年2月24日) - 1880年7月21日、アルジャーノン・ヘンリー・ミルズ閣下(Hon. Algernon Henry Mills、1856年2月13日 – 1922年10月21日、初代ヒリンドン男爵チャールズ・ヘンリー・ミルズ英語版の次男[10])と結婚、子供あり[9]
  • モンタギュー・フランシス・ビーチャム・シーモア(Montagu Francis Beauchamp Seymour、1864年10月1日 – 1898年3月24日) - 1896年2月5日、マーガレット・スターリング・マクロード(Margaret Stirling MacLeod、1951年6月18日没、トマス・マクロードの娘)と結婚、1女をもうけた[11]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward, ed. (1895). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (N to R) (英語). Vol. 6 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 268–269.
  2. ^ "No. 21040". The London Gazette (英語). 23 November 1849. p. 3525.
  3. ^ "No. 21572". The London Gazette (英語). 14 July 1854. p. 2193.
  4. ^ "No. 21839". The London Gazette (英語). 15 January 1856. p. 156.
  5. ^ "No. 21872". The London Gazette (英語). 15 April 1856. p. 1436.
  6. ^ "No. 22130". The London Gazette (英語). 23 April 1858. p. 2004.
  7. ^ "No. 23803". The London Gazette (英語). 8 December 1871. p. 5521.
  8. ^ "No. 6764". The Edinburgh Gazette (英語). 22 December 1857. p. 1297.
  9. ^ a b c Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. p. 1623.
  10. ^ Townend, Peter, ed. (1963). Burke's Genealogical and Heraldic History of the Peerage, Baronetage and Knightage (英語). Vol. 2 (103rd ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 1226.
  11. ^ Townend, Peter, ed. (1963). Burke's Genealogical and Heraldic History of the Peerage, Baronetage and Knightage (英語). Vol. 2 (103rd ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 1966.

外部リンク

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グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代
フランシス・プランケット・ダン英語版
庶民院議員(ポータリントン選挙区英語版選出)
1857年1865年
次代
ジェームズ・アンソニー・ローソン英語版
先代
ジェームズ・アンソニー・ローソン英語版
庶民院議員(ポータリントン選挙区英語版選出)
1868年1880年
次代
バーナード・フィッツパトリック英語版
アイルランドの爵位
先代
ヘンリー・ドーソン=デイマー
ポータリントン伯爵
1889年 – 1892年
次代
ジョージ・ドーソン=デイマー英語版