ジョン・ドーソン (初代ポータリントン伯爵)
初代ポータリントン伯爵ジョン・ドーソン(英語: John Dawson, 1st Earl of Portarlington PC (Ire)、1744年8月23日 – 1798年11月30日)は、アイルランド王国の貴族、政治家。アイルランド庶民院議員(在任:1768年 – 1779年)を務めた[1]。
生涯
[編集]初代カーロウ子爵ウィリアム・ヘンリー・ドーソンと妻メアリー(Mary、旧姓デイマー(Damer)、1769年6月2日没、ジョセフ・デイマーの娘)の長男として、1744年8月23日に生まれた[2]。1757年7月から1763年までイートン・カレッジに通った後[2]、1763年11月9日にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学したが[3]、卒業しなかった[2]。
1766年にポータリントン選挙区でアイルランド庶民院議員に選出されたあと、1768年にクイーンズ・カウンティ選挙区に鞍替えして再選、1776年にも再選した[1]。
1779年8月22日に父が死去すると、カーロウ子爵位を継承、同年10月12日にアイルランド貴族院議員に就任した[2]。同年から1798年までクイーンズ・カウンティ総督の1人を務めた[2]。1785年6月21日にアイルランド貴族であるクイーンズ・カウンティにおけるポータリントン伯爵に叙され、同年7月19日にポータリントン伯爵としてアイルランド貴族院議員に就任した[2]。1795年1月4日、アイルランド枢密院の枢密顧問官に任命された[2]。
1798年にダブリンに向かう道中[1]、11月30日にティロン県オークナクロイで死去、クイーンズ・カウンティのイモで埋葬された[2]。長男ジョンが爵位を継承した[2]。
家族
[編集]1778年1月1日、キャロライン・ステュアート(1750年5月 – 1813年1月20日、第3代ビュート伯爵ジョン・ステュアートの娘)と結婚[2]、5男4女をもうけた[4][5]。
- ジョン(1781年2月26日 – 1845年12月28日) - 第2代ポータリントン伯爵[2]
- キャロライン・エリザベス(1782年3月21日[4] – 1861年2月16日) - 1801年2月4日、初代コングルトン男爵ヘンリー・パーネルと結婚[5]
- ルイーザ・メアリー(1783年9月7日 – 1845年8月18日) - 1829年2月2日、ウォルター・デイヴェンポート・ブロムリー(Walter Davenport)と結婚[4]
- ハリエット(1784年10月9日 – 1827年12月16日) - 1813年5月4日、ヘンリー・デイヴィッド・アースキン閣下(Hon. Henry David Erskine)と結婚[4]
- ヘンリー(1786年7月19日 – 1841年5月27日) - 海軍大佐。1829年3月14日に姓をドーソン=デイマーに改めた。1813年5月20日、イライザ・モリアーティ(Eliza Moriarty、1857年6月12日没、エドマンド・ジョシュア・モリアーティの娘)と結婚、子供あり。第3代ポータリントン伯爵ヘンリー・ドーソン=デイマーの父[5]
- ジョージ・ライオネル(1788年10月28日 – 1856年4月14日) - 陸軍大佐。1825年、メアリー・ジョージアナ・エマ・シーモア(Mary Georgiana Emma Seymour、1848年10月30日没、ヒュー・シーモア卿の娘)と結婚、子供あり。第4代ポータリントン伯爵ライオネル・ドーソン=デイマーの父[5]
- ライオネル・チャールズ(1790年5月7日 – 1842年2月25日) - 1820年9月15日、エリザベス・エミリー・ニュージェント(Elizabeth Emily Nugent、1863年9月6日没、第7代ウェストミーズ伯爵ジョージ・ニュージェントの娘)と結婚、子供あり[5]
- ウィリアム・マッケンジー(1793年 – 1859年2月16日) - 1820年、ペイシェンス・スコット(Patience Scott、1821年没)と結婚。1827年、ルイーザ・フランシス・ライト(Louisa Frances Wright、1847年6月24日没、S・T・ライトの娘)と再婚、子供あり。1856年5月20日、ジュリア・ホプキンソン(Julia Hopkinson)と再婚[5]
- アンナ・マリア(1793年以降[4] – 1866年12月12日[5])
出典
[編集]- ^ a b c "Biographies of Members of the Irish Parliament 1692-1800". Ulster Historical Foundation (英語). 2023年3月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1945). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Oakham to Richmond) (英語). Vol. 10 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 579–580.
- ^ "Dawson, John. (DW763J)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ a b c d e Lodge, Edmund, ed. (1846). The Peerage of the British Empire as at Present Existing (英語) (15th ed.). London: Saunders and Otley. pp. 423–424.
- ^ a b c d e f g Butler, Alfred T., ed. (1925). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語) (83rd ed.). London: Burke's Peerage Limited. pp. 1826–1827.
アイルランド議会 | ||
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先代 ジョージ・ハートポール ジョン・デイマー |
庶民院議員(ポータリントン選挙区選出) 1766年 – 1768年 同職:ジョン・デイマー 1766年 – 1768年 ロジャー・パーマー 1768年 |
次代 ウィリアム・ヘンリー・ドーソン ロジャー・パーマー |
先代 ウィリアム・ヘンリー・ドーソン ウィリアム・ポール |
庶民院議員(クイーンズ・カウンティ選挙区選出) 1768年 – 1779年 同職:ウィリアム・ポール 1768年 – 1776年 チャールズ・クート 1776年 – 1779年 |
次代 ジョン・ウォーバートン チャールズ・クート |
アイルランドの爵位 | ||
爵位創設 | ポータリントン伯爵 1785年 – 1798年 |
次代 ジョン・ドーソン |
先代 ウィリアム・ヘンリー・ドーソン |
カーロウ子爵 1779年 – 1798年 |