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ヨルダン王位継承順位

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヨルダン王太子旗

ヨルダン王位継承順位は、ヨルダン憲法英語版第28条に規定されている[1]

王位継承順位の規定

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王位継承順位は長子相続制に基づくが、勅令により順位を変更することができる。王位継承資格を有するのは、アブドゥッラー1世男系の子孫で、ムスリムの両親の下に生まれた嫡出のムスリムの男子のみである[1]

国王は、自身の兄弟の内の1人を法定相続人に任命することができる[1]。後継者がいない状態で国王が死亡した場合は、アラブ反乱の指導者であるフサイン・イブン・アリーの子孫の中から国民議会が選んだ人物に王位が委譲される[1]

勅令により、不適切を理由としてある人物を王位継承順位から外すことができる[1]。その場合でも、王位継承順位から外された人物の子孫は、王位継承順位から自動的には除外されない[1]

王位継承順位

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歴代の法定相続人・推定相続人

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アブドゥッラー1世の法定相続人

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タラール1世の法定相続人

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フセイン1世の法定相続人・推定相続人

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フセインの弟ムハンマドは、フセインの長男アブドゥッラーの誕生まで王位の推定相続人だった。アブドゥッラーは、1962年の誕生とともに王位の法定相続人となったが、1960年代は国情が不安定であったことから、1965年にフセインは18歳の弟ハサンを相続人に任命した[2]

フセインは4人目の妃ヌールと結婚した直後に、第3王子のアリーを相続人とするよう弟に指示した。しかし、1992年までにフセインはその方針を変更した。彼の息子の他に、甥のタラール・ビン・ムハンマド英語版を相続人とみなした。最終的に、死の直前の1999年1月25日に第1王子のアブドゥッラーを相続人とすることを表明し、フセインの死後、アブドゥッラーが王位を継承した[3]

アブドゥッラー2世の法定相続人

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 諸外国における王位継承制度の例(概要) 資料3”. 首相官邸. 2018年12月17日閲覧。
  2. ^ Robins, 193.
  3. ^ Robins, 196.
  • Robins, Philip: A History of Jordan Cambridge University Press 2004 ISBN 0-521-59895-8