ヨハン・ネポムク・フォン・フックス
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ヨハン・ネポムク・フォン・フックス(ドイツ語: Johann Nepomuk von Fuchs, 1774年5月15日 - 1856年3月5日)[1]は、バイエルン王国の化学者・鉱物学者。鉱石の観察や可溶性ガラスの研究で知られた。
経歴
[編集]バイエルンの森に近いカーム郡ファルケンシュタイン近郊マッテンツェルの出身。1807年にランツフート大学の化学教授ならびに鉱物学教授になり、1823年にミュンヘンの鉱物コレクションの管理者となった。3年後に、ランツフート大学がミュンヘンに移転したことに伴い、現在のミュンヘン大学の鉱物学教授に就任。1852年に引退。1854年にバイエルン王ルートヴィヒ2世より貴族に列せられ、フォン・フックスと名乗ることを許された。ミュンヘンにて没。
白雲母の変種クロム白雲母(Fuchsite、フクサイト)は、フックスを讃えて命名された[2]。
脚注
[編集]- ^ “Johann Nepomuk Fuchs”. Catholic Encyclopedia. 2007年2月18日閲覧。
- ^ Fuchsite (英語), WebMineral.com, 2015年1月8日閲覧。
参考文献
[編集]- この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Fuchs, Johann Nepomuk von". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 11 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 272.