コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ヨハン・クリスティアン (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヨハン・クリスティアン
Johann Christian
3代シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク
在位 1627年 - 1653年

出生 (1607-04-26) 1607年4月26日
ゾンダーブルク公領、レーネ
死去 (1653-06-28) 1653年6月28日(46歳没)
ゾンダーブルク公領、スナボー
配偶者 アンナ・フォン・オルデンブルク=デルメンホルスト
子女 ドロテア・アウグステ
クリスティーネ・エリーザベト
ヨハン・フリードリヒ
クリスティアン・アドルフ
家名 ゾンダーブルク家
父親 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク公アレクサンダー
母親 ドロテア・フォン・シュヴァルツブルク=ゾンダースハウゼン
テンプレートを表示

ヨハン・クリスティアンJohann Christian von Schleswig-Holstein-Sonderburg, 1607年4月26日 レーネハウス・ベックドイツ語版荘園 - 1653年6月28日 スナボー(ゾンダーブルク))は、第3代シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク(スナボー)公(在位:1627年 - 1653年)。

生涯

[編集]

シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク公アレクサンダーとその妻でシュヴァルツブルク=ゾンダースハウゼン伯ヨハン・ギュンター1世ドイツ語版の娘であるドロテアの間の第1子・長男。1627年父が死ぬと、母の監督下に家督を継ぎ、所領を単独相続した。しかし実際には、その5年前の祖父ハンス若公の死に伴う分割相続によりゾンダーブルク(スナボー)公爵領は既に極めて狭小になっており、弟たちとの分割相続が事実上不可能になっていたためだった。1633年に相続協定を結び、分封領を分与できない代わりに弟たちに一定額の年金の支給を決めたが、これにより父から引き継いだ負債がさらに巨額に膨れ上がり、公爵領は経営難に陥った。

子女

[編集]

1634年11月、デルメンホルスト伯アントン2世の三女アンナ(1605年 - 1668年)と結婚し、4子をもうけた。

引用・脚注

[編集]
先代
アレクサンダー
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク
1627年 - 1653年
次代
クリスティアン・アドルフ