アレクサンダー (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク公)
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アレクサンダー Alexander | |
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シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク公 | |
在位 | 1622年 - 1627年 |
出生 |
1573年1月20日 シュレースヴィヒ公国、ゾンダーブルク |
死去 |
1627年3月13日(54歳没) シュレースヴィヒ公国、ゾンダーブルク=ベック |
配偶者 | ドロテア・フォン・シュヴァルツブルク=ゾンダースハウゼン |
子女 |
ヨハン・クリスティアン アレクサンダー・ハインリヒ エルンスト・ギュンター ゲオルク・フリードリヒ アウグスト・フィリップ アドルフ アンナ・エリーザベト ヴィルヘルム・アントン ゾフィー・カタリーナ フィリップ・ルートヴィヒ |
家名 | ゾンダーブルク家 |
父親 | シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク公ハンス |
母親 | エリーザベト・フォン・ブラウンシュヴァイク=グルベンハーゲン |
アレクサンダー(デンマーク語:Alexander af Slesvig-Holsten-Sønderborg, ドイツ語:Alexander von Schleswig-Holstein-Sonderburg, 1573年1月20日 - 1627年3月13日)は、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク(スナボー)公。デンマーク=ノルウェー王クリスチャン3世の三男であるセナーボー公ハンスと、その最初の妻でブラウンシュヴァイク=グルベンハーゲン公エルンスト3世の娘エリーザベトの間に生まれた。父にとっては実質的に2番目の息子である。
生涯
[編集]兄クリスティアンは貴賤結婚をしたためアレクサンダーがゾンダーブルク公爵家の世継ぎとなり、1622年に父が死ぬと家督を引き継いだ。ミンデン司教区に属するレーネ郊外に領主館ハウス・ベック(Haus Beck)とその付属荘園を購入した。アレクサンダーの死後、息子たちは順次結婚するたびに分家を創設し、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク公爵領は更なる分裂を続けていくことになった。
1604年、シュヴァルツブルク=ゾンダースハウゼン伯ヨハン・ギュンター1世の娘ドロテア(1579年 - 1639年)と結婚し、間に10人の子供をもうけた。
- ヨハン・クリスティアン(1607年 - 1653年) - ゾンダーブルク公
- アレクサンダー・ハインリヒ(1608年 - 1667年)
- エルンスト・ギュンター(1609年 - 1689年) - アウグステンブルク公
- ゲオルク・フリードリヒ(1611年 - 1676年)
- アウグスト・フィリップ(1612年 - 1675年) - ベック公
- アドルフ(1613年 - 1616年)
- アンナ・エリーザベト(1615年 - 1616年)
- ヴィルヘルム・アントン(1616年)
- ゾフィー・カタリーナ(1617年 - 1696年) - 1635年、オルデンブルク伯アントン・ギュンターと結婚
- フィリップ・ルートヴィヒ(1620年 - 1689年) - ヴィーゼンブルク公
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