ユーグ5世・ド・リュジニャン
表示
ユーグ5世・ド・リュジニャン Hugues V de Lusignan | |
---|---|
リュジニャン領主 | |
在位 | 1026年ごろ - 1060年 |
出生 |
1021年ごろ |
死去 |
1060年10月8日 |
配偶者 | アルモディス・ド・ラ・マルシュ |
子女 |
ユーグ6世 ジョルダン メリザンド |
家名 | リュジニャン家 |
父親 | ユーグ4世・ド・リュジニャン |
母親 | オーデアルド・ド・トゥアール |
ユーグ5世・ド・リュジニャン(フランス語:Hugues V de Lusignan, 1021年ごろ - 1060年10月8日)は、5代リュジニャン領主およびクエ(en)領主。1026年ごろに父ユーグ4世より継承した。敬虔卿(le Pieux)といわれる。
結婚と子女
[編集]ユーグはラ・マルシュ伯ベルナール1世の娘アルモディスと結婚し[1]、これにより子孫はラ・マルシュ伯位の権利を主張することとなる。後に近親婚を理由に離婚し、アルモディスはトゥールーズ伯ポンスと再婚した[1]。2人の間には以下の子女が生まれた。
- ユーグ6世(1039/1043年 - 1102年)[2] - リュジニャン領主
- ジョルダン
- メリザンド(1055年以前生) - 1074年以前にパルトネーのヴィダム・シモン1世("l'Archevêque")と結婚
対立
[編集]ユーグの上級領主であったアキテーヌ公ギヨーム8世がギヨーム4世・ド・トゥールーズと戦うことになった際、アルモディスは自身の息子ギヨーム4世の側に付くようユーグを説得した[1]。アキテーヌ公がリュジニャンを包囲し、ユーグは食糧のために出撃しようとしたとき、門のところで殺害された[1]。長男ユーグ6世が跡を継いだ。
脚注
[編集]- ^ a b c d Painter 1957, p. 33.
- ^ Coureas & Riley-Smith 1995, p. 39.
参考文献
[編集]- Coureas, Nicholas; Riley-Smith, Christopher (1995). Cyprus and the Crusades. Cyprus Research Centre and SSCLE: Nicosia
- Painter, Sidney (1957). “The Lords of Lusignan in the Eleventh and Twelfth Centuries”. Speculum (The Chicago University Press) 32, No. 1, Jan. (1): 27–47. doi:10.2307/2849244. JSTOR 2849244.
|
|
|