ヤシュワント・シンハ
ヤシュワント・シンハ Yashwant Sinha | |
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世界経済フォーラム東アジア会議に出席するシンハ(2008年) | |
生年月日 | 1937年11月6日(86歳) |
出生地 | イギリス領インド帝国・ビハール州パトナ |
出身校 | パトナ大学 |
前職 | 公務員 |
所属政党 |
(ジャナタ党→) (ジャナタ・ダル→) (インド人民党→) 全インド草の根会議派 |
配偶者 | ニルマ・シンハ |
子女 | シャルミナ、ジャヤント、スマント |
内閣 | 第3次ヴァージペーイー内閣 |
在任期間 | 2002年7月1日 - 2004年5月22日 |
内閣 | 第2次ヴァージペーイー内閣 |
在任期間 | 1998年12月5日 - 2002年7月1日 |
内閣 | チャンドラ・シェーカル内閣 |
在任期間 | 1990年11月10日 - 1991年6月5日 |
ヤシュワント・シンハ(Yashwant Sinha, 1937年11月6日 - )は、インドの元公務員、政治家。財務大臣(1990年-1991年、1998年-2002年)や外務大臣(2002年-2004年[1])などの重要ポストを歴任した。かつてはインド人民党(BJP)の上級メンバーにせんしゅつされていたが、その後2018年4月に離党している[2]。
2021年3月に全インド草の根会議派(AITC)に参加。その後2022年大統領選挙に統一野党候補として出馬するため、AITCを離党した。選挙ではBJP率いる政党連合、国民民主同盟(NDA)候補のドラウパディ・ムルムに敗れ、落選した。
生い立ち
[編集]ビハール州パトナのカヤスタ階級の家庭に生まれる[3]。パトナ大学で歴史学、同大学院修士課程で政治学を学び1958年に卒業。その後1962年までの5年間、同大で教鞭をとった。
公務員として
[編集]1960年に国家公務員となり、24年以上にわたり重要なポストを歴任した。キャリアの中では副県政務官や県政務官、ビハール州財務局で課長補佐(Under Secretary)、課長(Deputy Secretary)ポストを務めた。また、インド商務省の課長(Deputy Secretary)も務めた[4]。
1971年から1973年にかけて、一等書記官(商務担当)として西ドイツの首都ボンに赴任。続いて1974年までフランクフルト総領事として赴任した[5]。この分野で7年以上働いたのち、欧州経済共同体(EEC)とインドとの貿易に関する業務に従事した。その後はビハール州産業・インフラ局やインド産業省で働き、通商や貿易、知財等の業務に従事した[6]。
その後、1980年からインド通商省次官補(Joint Secretary)として陸運や港湾などを担当し、1984年に退職した[7]。
政治家として
[編集]ジャナタ党時代
[編集]1984年に公務員を退官したシンハは、ジャナタ党員として精力的に活動した。そして1986年には同党の全インド事務局長に就任し、1988年にインド上院(ラージヤ・サバー)議員となった[8]。
1989年にジャナタ・ダルが結党されると彼はその事務局長に選出され、1990年にはチャンドラ・シェーカル内閣で財務大臣に就任した[9]。
インド人民党時代
[編集]1996年、彼はインド人民党のスポークスパーソンに就任した。そして1998年には同党から立候補し、下院(ローク・サバー)議員となった。1998年には再び財務大臣に就任し、その後2002年には外務大臣となった。2004年総選挙ではインド共産党候補に敗れて落選したが、2005年には再入閣を果たしている。そして2009年6月、インド人民党副代表の座を退いた[10]。2014年に行われた総選挙でも次期首相候補にBJP党首のナレンドラ・モディを推薦する[11]など良好な関係を維持していたが、2018年にインド人民党を離れた。その際には離党理由として「民主主義が大きな危険にさらされているから」とコメントしている[2]。
大統領選挙
[編集]2021年3月、彼はかつて所属していたインド人民党候補と戦うため、全インド草の根会議派に入党した。そして同月中に党首マムター・バナルジーから副党首に任命されている。そして2022年大統領選挙では野党統一候補として立候補した[12]が、人民党候補のドラウパディ・ムルムに敗れて落選した[13]。
脚注
[編集]- ^ “Indian government reshuffled”. BBC News. (1 July 2002) 30 September 2007閲覧。
- ^ a b “Yashwant Sinha Quits BJP, Says India's Democracy Is In Danger”. NDTV.com. 30 April 2020閲覧。
- ^ Yashwant., Sinha (2019). Relentless : an Autobiography of Yashwant Sinha.. Bloomsbury Publishing India Pvt. Ltd. ISBN 978-93-86950-36-9. OCLC 1109811023
- ^ Prasad, Anuja, Gireesh Chandra (2018年12月31日). “I know I am putting the political career of my son in jeopardy: Yashwant Sinha” (英語). mint. 2021年7月2日閲覧。
- ^ “Who is Yashwant Sinha?” (英語). India Today. (March 1, 2012) 2021年9月2日閲覧。.
- ^ “Yashwant Sinha: A brief profile” (英語). Hindustan Times (2004年6月22日). 2021年9月2日閲覧。
- ^ “Yashwant Sinha – The Telegraph”. The Telegraph. 6 November 2019閲覧。
- ^ Sinha, Yashwant (5 January 2019). “Yashwant Sinha asks in his latest book: Where are the jobs?” (英語). National Herald. 5 January 2019時点のオリジナルよりアーカイブ。16 November 2020閲覧。
- ^ “Yashwant Sinha | Biography & Facts” (英語). Encyclopedia Britannica. 16 November 2020閲覧。
- ^ “Yashwant Sinha quits as BJP vice president”. Ibnlive.in.com (13 June 2009). 16 June 2009時点のオリジナルよりアーカイブ。4 July 2013閲覧。
- ^ “次期首相候補にモディ氏を支持 BJP幹部のシンハ氏”. 日刊インド経済 (2013年1月29日). 2024年3月25日閲覧。
- ^ “月間インドニュース(2022年6月)”. 公益財団法人日印協会 (2022年7月15日). 2022年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月25日閲覧。
- ^ “インド新大統領にムルム氏 初の先住民族出身、女性2人目”. 時事ドットコム (2022年7月22日). 2022年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月25日閲覧。
公職 | ||
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先代 ジャスワント・シン |
外務大臣 第22代:2002年 - 2004年 |
次代 ナトワル・シン |
先代 P・チダンバラム マドゥ・ダンダヴァット |
財務大臣 1998年 - 2002年 1990年 - 1991年 |
次代 ジャスワント・シン マンモハン・シン |