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モーリッツ (ヘッセン=カッセル方伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
モーリッツ
Moritz
ヘッセン=カッセル方伯
ヘッセン=カッセル方伯モーリッツ、マテウス・メーリアンによる版画
在位 1592年8月25日 - 1627年3月15日

出生 (1572-05-25) 1572年5月25日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ヘッセン=カッセル方伯領カッセル
死去 (1632-03-15) 1632年3月15日(59歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ヘッセン=カッセル方伯領エシュヴェーゲ
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ヘッセン=カッセル方伯領カッセル、聖マルティン教会
配偶者 アグネス・ツー・ゾルムス=ラウバッハ
  ユリアーネ・フォン・ナッサウ=ジーゲン
子女 一覧参照
家名 ヘッセン=カッセル家
父親 ヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム4世
母親 ザビーネ・フォン・ヴュルテンベルク
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モーリッツ(Landgraf Moritz von Hessen-Kassel, 1572年5月25日 - 1632年3月15日)は、ヘッセン=カッセル方伯(在位:1592年 - 1627年)。ヴィルヘルム4世ヴュルテンベルク公クリストフの娘ザビーネの子。学者伯(der Gelehrte)と呼ばれた。

生涯

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1604年に叔父のヘッセン=マールブルク方伯Hessen-Marburgルートヴィヒ4世が子の無いまま死去、遺言でヘッセン=カッセルとヘッセン=ダルムシュタットに分割相続すること、教義をルター派から改宗しないことと取り決めた。しかし、モーリッツはヘッセン=マールブルク方伯領を全て併合、教義もルター派からカルヴァン派に改宗したため、従弟のヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ5世と対立、1627年に退位、息子のヴィルヘルム5世に伯位を譲り、1632年にエシュヴェーゲで亡くなった。

音楽の後援者であり、ハインリヒ・シュッツジョン・ダウランドの援助を行っていた。

子女

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1593年アグネス・ツー・ゾルムス=ラウバッハと結婚、6人の子を儲けたが、アグネスは1602年に亡くなった。

  1. オットー(1594年 - 1617年)
  2. エリーザベト(1596年 - 1625年) - 1618年、メクレンブルク公ヨハン・アルブレヒト2世と結婚
  3. 子(1597年)
  4. 子(1599年)
  5. モーリッツ(1600年 - 1612年)
  6. ヴィルヘルム5世(1602年 - 1637年)

1603年、ナッサウ=ジーゲン伯ヨハン7世の娘ユリアーネと再婚、14人の子を儲けた。3人の息子はそれぞれ分邦を与えられた。

  1. フィリップ(1604年 - 1626年)
  2. アグネス(1606年 - 1650年) - アンハルト=デッサウ侯ヨハン・カジミールと結婚。
  3. ヘルマン4世ドイツ語版(1607年 - 1658年) - ヘッセン=ローテンブルク方伯
  4. ユリアーネ(1608年 - 1628年)
  5. ザビーネ(1610年 - 1620年)
  6. マグダレーナ(1611年 - 1671年) - ザルム=ライファーシャイト伯エーリヒ・アドルフと結婚。
  7. モーリッツ(1614年 - 1633年)
  8. ゾフィー(1615年 - 1670年) - シャウムブルク=リッペ伯フィリップと結婚。
  9. フリードリヒドイツ語版(1617年 - 1655年) - ヘッセン=エシュヴェーゲ方伯
  10. クリスティアン(1622年 - 1640年)
  11. エルンスト1世(1623年 - 1693年) - ヘッセン=ラインフェルス方伯、のちヘッセン=ラインフェルス=ローテンブルク方伯
  12. クリスティーネ(1625年 - 1626年)
  13. フィリップ(1626年 - 1629年)
  14. エリーザベト(1628年 - 1633年)

脚注

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先代
ヴィルヘルム4世
ヘッセン=カッセル方伯
1592年 - 1627年
次代
ヴィルヘルム5世