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モーグル・スラッシュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
モーグル・スラッシュ
Mogul Thrash
出身地 イングランドの旗 イングランド
ジャンル プログレッシブ・ロックフュージョンエクスペリメンタル・ロックジャズ・ロック
活動期間 1970年 - 1971年
レーベル RCAレコード
共同作業者 キング・クリムゾン
コロシアム
ファミリー
アヴェレイジ・ホワイト・バンド
旧メンバー ジェイムス・リザーランド
ロジャー・ボール
マルコム・ダンカン
ビル・ハリソン
マイケル・ローゼン
ジョン・ウェットン

モーグル・スラッシュ[1]Mogul Thrash)は、1970年代初頭にイギリスで活躍したプログレッシブ・ロック・バンドである。

略歴

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英国のジャズ・ロック・バンドのモーグル・スラッシュは、ジェイムス・リザーランドのブラザーフッドから発展した。そのバンドには、ギタリストのリザーランド(1969年創設時にメンバーであったコロシアムを脱退)に加えて、ギタリスト/管楽器奏者のマイケル・ローゼン(児童向け詩人/作家ではない。以前はEclectionに在籍)、ドラマーのビル・ハリソン、「ダンディ・ホーンズ」と呼ばれたサックス奏者のロジャー・ボールとマルコム・ダンカンが在籍した。短命だったロンドンのバンド「Splinter」(サウス・シールズのボーカル・デュオではない)に在籍した、シンガーにしてベーシストであるジョン・ウェットンを加えて、グループはモーグル・スラッシュへと改名した。

「土曜の夜に誰もが見ていた『マイケル・マイルズ・ショー』と呼ばれるテレビ番組があってね。その中に『Yes No Interlude』と呼ばれるゲームがあって、それはとても素早い質問に出場者がYesやNoを使わないで答えなければならなかったんだ。もし使ってしまったら、隣に立っている男がゴングを鳴らし、出場者は退場しなければならないというわけ。亡くなった偉大なスパイク・ミリガンは彼自身のショー番組を持っていて、それは陽気で、バンドは必ずそれを毎週のように観ていたんだ。涙を流しながら大笑いしたりしてね。ミリガンは、付けっ鼻で『マイケル・マイルズ・ショー』のスケッチをしていて、彼のことをモーグル・スラッシュと呼んだんだ」

1970年にシングル「Sleeping in the Kitchen」でデビュー。翌年、彼らのセルフタイトルのアルバムがRCAレコードから登場し、母国ではほとんど気付かれないままヨーロッパの多くの地域で好評を得た。しかし、経営陣の法的問題に直面して、モーグル・スラッシュはレコードのリリース後すぐに解散を余儀なくされた。ウェットンはファミリーに加入し、その後はキング・クリムゾンエイジアで活躍、ダンカンとボールはアヴェレイジ・ホワイト・バンドで再会した。

モーグル・スラッシュは、ブライアン・オーガーがプロデュースした1枚のアルバム『モーグル・スラッシュ』(1971年)[2]をリリースしている。

このグループは、Half Man Half Biscuitのアルバム『ACD』収録曲「The Best Things in Life」でも言及された。

ディスコグラフィ

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スタジオ・アルバム

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  • 『モーグル・スラッシュ』 - Mogul Thrash (1971年) ※旧邦題『炸裂!モーグル・スラッシュ』

シングル

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  • "Sleeping in the Kitchen" / "St. Peter" (1970年)

脚注

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  1. ^ モーガル・スラッシュ」の表記もある。
  2. ^ Vernon Joynson, The Tapestry of Delights Revised, The Comprehensive Guide To British Music Of The Beat, R&B, Psychedelic and Progressive Eras 1963 - 1976, 2006 Edition (Borderline Productions, Reprinted 2008), ISBN 1-899855-15-7, pp. 575

外部リンク

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