モーグル・スラッシュ
モーグル・スラッシュ Mogul Thrash | |
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出身地 | イングランド |
ジャンル | プログレッシブ・ロック、フュージョン、エクスペリメンタル・ロック、ジャズ・ロック |
活動期間 | 1970年 - 1971年 |
レーベル | RCAレコード |
共同作業者 |
キング・クリムゾン コロシアム ファミリー アヴェレイジ・ホワイト・バンド |
旧メンバー |
ジェイムス・リザーランド ロジャー・ボール マルコム・ダンカン ビル・ハリソン マイケル・ローゼン ジョン・ウェットン |
モーグル・スラッシュ[1](Mogul Thrash)は、1970年代初頭にイギリスで活躍したプログレッシブ・ロック・バンドである。
略歴
[編集]英国のジャズ・ロック・バンドのモーグル・スラッシュは、ジェイムス・リザーランドのブラザーフッドから発展した。そのバンドには、ギタリストのリザーランド(1969年創設時にメンバーであったコロシアムを脱退)に加えて、ギタリスト/管楽器奏者のマイケル・ローゼン(児童向け詩人/作家ではない。以前はEclectionに在籍)、ドラマーのビル・ハリソン、「ダンディ・ホーンズ」と呼ばれたサックス奏者のロジャー・ボールとマルコム・ダンカンが在籍した。短命だったロンドンのバンド「Splinter」(サウス・シールズのボーカル・デュオではない)に在籍した、シンガーにしてベーシストであるジョン・ウェットンを加えて、グループはモーグル・スラッシュへと改名した。
「土曜の夜に誰もが見ていた『マイケル・マイルズ・ショー』と呼ばれるテレビ番組があってね。その中に『Yes No Interlude』と呼ばれるゲームがあって、それはとても素早い質問に出場者がYesやNoを使わないで答えなければならなかったんだ。もし使ってしまったら、隣に立っている男がゴングを鳴らし、出場者は退場しなければならないというわけ。亡くなった偉大なスパイク・ミリガンは彼自身のショー番組を持っていて、それは陽気で、バンドは必ずそれを毎週のように観ていたんだ。涙を流しながら大笑いしたりしてね。ミリガンは、付けっ鼻で『マイケル・マイルズ・ショー』のスケッチをしていて、彼のことをモーグル・スラッシュと呼んだんだ」
1970年にシングル「Sleeping in the Kitchen」でデビュー。翌年、彼らのセルフタイトルのアルバムがRCAレコードから登場し、母国ではほとんど気付かれないままヨーロッパの多くの地域で好評を得た。しかし、経営陣の法的問題に直面して、モーグル・スラッシュはレコードのリリース後すぐに解散を余儀なくされた。ウェットンはファミリーに加入し、その後はキング・クリムゾン、エイジアで活躍、ダンカンとボールはアヴェレイジ・ホワイト・バンドで再会した。
モーグル・スラッシュは、ブライアン・オーガーがプロデュースした1枚のアルバム『モーグル・スラッシュ』(1971年)[2]をリリースしている。
このグループは、Half Man Half Biscuitのアルバム『ACD』収録曲「The Best Things in Life」でも言及された。
ディスコグラフィ
[編集]スタジオ・アルバム
[編集]- 『モーグル・スラッシュ』 - Mogul Thrash (1971年) ※旧邦題『炸裂!モーグル・スラッシュ』
シングル
[編集]- "Sleeping in the Kitchen" / "St. Peter" (1970年)
脚注
[編集]- ^ 「モーガル・スラッシュ」の表記もある。
- ^ Vernon Joynson, The Tapestry of Delights Revised, The Comprehensive Guide To British Music Of The Beat, R&B, Psychedelic and Progressive Eras 1963 - 1976, 2006 Edition (Borderline Productions, Reprinted 2008), ISBN 1-899855-15-7, pp. 575