モンテネグロの首相
表示
モンテネグロ 首相 Predśednik Vlade Crne Gore Предс́едник Владе Црне Горе | |
---|---|
指名 | 大統領 (ヤコフ・ミラトビッチ) |
任命 | 議会 |
任期 | なし (議会の信任を得ている限り) |
初代就任 | ボジョ・ペトロヴィッチ=ニェゴシュ |
創設 | 1879年3月20日 |
俸給 | 年間 US$15,522[1] |
ウェブサイト | www.gov.me |
モンテネグロの首相(モンテネグロのしゅしょう)は、モンテネグロにおける政府の長に相当する役職である。
概要
[編集]2007年施行のモンテネグロ憲法では第3章において首相について規定されている。第100条によれば、首相率いる内閣は以下のことを行う。
- モンテネグロの内政および外交政策を管理する。
- 議会で可決された法律を執行する。
- 条約の締結、署名を行う。
- 閣僚の指名権
- モンテネグロの開発計画を提案する。
- 予算案及び最終報告書を提案する。
- 防衛安全保障理事会を主宰し、国家安全保障を含む防衛政策を決定する。
- 国家の承認と他国との外交・領事関係の確立を決定する。
- 国外に対する外交使節団の大使および長の任免を大統領に提案する。
- 憲法や法律に定められるその他の任務を行う。
首相の選出手続きは大統領の推薦を受けた上で、議会が承認することが条件である。だが、実際には総選挙後の与党の指導者が、首相に就任するのが慣例となっている。閣僚の指名権については、議会の承認が必要。
議会は政府に対し、不信任決議を提出することができる。首相率いる内閣が議会での信頼を失った場合、年度末の3月31日までに予算を集計できないと共に内閣は解散となる。内閣解散で辞任となる首相は新内閣が発足するまで職責を負うが、議会解散権を行使することはできない。
(出典)Montenegro 2007 (rev. 2013)
首相の一覧
[編集]君主制下のモンテネグロ
[編集]代 | 氏名 | 肖像 | 就任日 | 退任日 | 政党 | 備考 | 君主 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
モンテネグロ公国 | |||||||
国家評議会議長(дугогодишњи предсједник Државног савјета) | |||||||
1 | ボジョ・ペトロヴィッチ=ニェゴシュ Božo Petrović-Njegoš |
1879年3月20日 | 1905年12月19日 | 無所属 | 事実上の初代首相 | ニコラ1世 (国王) | |
閣僚評議会議長(Предсједници Министарског савјета) | |||||||
2 | ラザル・ミジュシュコビッチ Lazar Mijušković |
1905年12月19日 | 1906年11月24日 | 真の人民党(PNS) | |||
3 | マルコ・ラドゥロビッチ Marko Radulović |
1906年11月24日 | 1907年2月1日 | 人民党(NS) | |||
4 | アンドリヤ・ラドビッチ Andrija Radović |
1906年11月24日 | 1907年2月1日 | ||||
5 | ラザル・トマノビッチ Lazar Tomanović |
1907年4月17日 | 1910年8月28日 | 無所属 | |||
モンテネグロ王国 | |||||||
閣僚評議会議長(Предсједници Министарског савјета) | |||||||
(5) | ラザル・トマノビッチ Lazar Tomanović |
1910年8月28日 | 1912年6月19日 | 無所属 | |||
6 | ミタール・マルティノビッチ Mitar Martinović |
1912年6月19日 | 1913年5月8日 | 真の人民党(PNS) | 軍人首相 | ||
7 | ヤンコ・ヴコティッチ Janko Vukotić |
1913年5月8日 | 1915年7月16日 | 無所属 | |||
8 | ミロ・マタノビッチ Milo Matanović |
1915年7月16日 | 1916年1月2日 | ||||
(2) | ラザル・ミジュシュコビッチ Lazar Mijušković |
1916年1月2日 | 1916年1月25日 | 真の人民党(PNS) | |||
モンテネグロ王国亡命政府 閣僚評議会議長 | |||||||
(2) | ラザル・ミジュシュコビッチ Lazar Mijušković |
1916年1月25日 | 1916年5月12日 | 真の人民党(PNS) | |||
(4) | アンドリヤ・ラドヴィッチ Andrija Radović |
1916年5月12日 | 1917年1月17日 | 人民党 | |||
(8) | ミロ・マタノビッチ Milo Matanović |
1917年1月17日 | 1917年6月11日 | 無所属 | 軍人首相 | ||
9 | エフゲニー・ポポビッチ Evgenije Popović |
1917年6月11日 | 1919年2月17日 | 無所属 | |||
10 | アント・グヴォズデノビッチ Anto Gvozdenović |
1919年2月17日 | 1921年3月1日 | 軍人首相 | |||
11 | ヨヴァン・プラムナック Jovan Plamenac |
1921年3月1日 | 1922年1月13日 | 真の人民党(PNS) | ミハイロ・ペトロヴィチ (ペトロヴィチ=ニェゴシュ家当主) | ||
12 | ミルティン・ブチニッチ Milutin Vučinić |
1922年1月13日 | 1922年2月13日 | 真の人民党(PNS) | |||
(10) | アント・グヴォズデノビッチ Anto Gvozdenović |
1922年2月13日 | 1922年7月13日 | 無所属 | 軍人首相 | ||
1922年にモンテネグロ王国がユーゴスラビア王国へ完全に併合し、消滅。 |
共産主義政権下のモンテネグロ
[編集]代 | 氏名 | 肖像 | 就任日 | 退任日 | 政党 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
モンテネグロ社会主義共和国 | ||||||
ユーゴスラビアモンテネグロ担当大臣 | ||||||
- | ミロヴァン・ジラス Milovan Djilas |
1945年3月7日 | 1945年4月17日 | ユーゴスラビア共産主義者同盟(SKJ) | 東側諸国中およびユーゴスラビアにおける最も有力な反体制者。 | |
首相 | ||||||
1 | ブラジョ・ヨヴァノビッチ Blažo Jovanović |
1945年4月17日 | 1953年2月4日 | モンテネグロ共産主義者同盟(SKCG) | ||
執行評議会議長(председник Извршног већа
Скупштине НР Црне Горе) | ||||||
(1) | ブラジョ・ヨヴァノビッチ Blažo Jovanović |
1953年2月4日 | 1953年12月16日 | モンテネグロ共産主義者同盟(SKCG) | ||
2 | フィリップ・バイコビッチ Filip Bajković |
1953年12月16日 | 1962年7月12日 | |||
3 | ジョリジェ・パイコヴィッチ Đorđije Pajković |
1962年7月12日 | 1963年6月25日 | |||
4 | ヴェセリン・ジュラノビッチ Veselin Đuranović |
1963年6月25日 | 1966年12月8日 | |||
5 | ミジュシュコ・シバリッチ Mijuško Šibalić |
1966年12月8日 | 1967年5月5日 | |||
6 | ヴィドジェ・ジャルコビッチ Vidoje Žarković |
1967年5月5日 | 1969年10月9日 | |||
7 | ジャルコ・ブラジッチ Žarko Bulajić |
1969年10月9日 | 1974年5月6日 | |||
8 | マルコ・オルランディッチ Marko Orlandić |
1974年5月6日 | 1978年4月28日 | |||
9 | モムチロ・チェモビッチ Momčilo Cemović |
1978年4月28日 | 1982年4月28日 | |||
10 | ラディボイェ・ブラヨビッチ Radivoje Brajović |
1982年4月28日 | 1986年6月6日 | |||
11 | ヴコ・ヴカディノビッチ Vuko Vukadinović |
1986年6月6日 | 1989年3月29日 | |||
12 | ラドイェ・コンティッチ Radoje Kontić |
1989年3月29日 | 1991年2月15日 |
現在のモンテネグロ
[編集]イタリック体の日付は、職務として事実上継続していることを示している。
代 | 氏名 | 肖像 | 就任日 | 退任日 | 政党 | 備考 | 大統領 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
モンテネグロ共和国 (1992-2006) | |||||||
1 | ミロ・ジュカノヴィチ Milo Đukanović |
1991年2月15日 | 1998年2月5日 | モンテネグロ社会主義者民主党(DPS)[注 1] | 同国歴代大統領や首相も含め、7回も選出されている。 首相を一時的に退任後も、シュトラヴィッチ政権やルクシッチ政権で最高権力者として、影響力を及ぼしていた。 タバコ密輸疑惑やセルビア正教会大司教即位阻止事件を引き起こしている。 世論からは、政治手法が権威主義であると批判されていた[2]。 |
モミル・ブラトヴィッチ | |
2 | フィリップ・ヴヤノヴィッチ Filip Vujanović |
1998年2月5日 | 2002年11月5日 | ミロ・ジュカノヴィッチ | |||
(1) | ミロ・ジュカノヴィチ Milo Đukanović |
2002年11月15日 | 2006年6月3日 | 同国歴代大統領や首相も含め、7回も選出されている。 | フィリップ・ヴヤノヴィッチ | ||
モンテネグロ | |||||||
(1) | ミロ・ジュカノヴィチ Milo Đukanović |
2006年6月3日 | 2006年11月10日 | モンテネグロ社会主義者民主党(DPS) | |||
3 | ジェリコ・シュトラノヴィッチ Željko Šturanović |
2006年11月10日 | 2008年2月29日 | 就任当時は肺癌を患っていた為、ジュカノヴィッチが行政を補佐していた[3] | |||
(1) | ミロ・ジュカノヴィチ Milo Đukanović |
2008年2月29日 | 2010年12月29日 | ||||
4 | イゴル・ルクシッチ Igor Lukšić |
2010年12月29日 | 2012年12月4日 | 就任中は、ジュカノヴィッチの影響下に置かれていた。 | |||
(1) | ミロ・ジュカノヴィチ Milo Đukanović |
2012年12月4日 | 2016年11月28日 | ||||
5 | ドゥシュコ・マルコヴィッチ Duško Marković |
2016年11月28日 | 2020年12月4日 | ミロ・ジュカノヴィッチ | |||
6 | ズドラヴコ・クリヴォカピッチ Zdravko Krivokapić |
2020年12月4日 | 2022年4月28日 | 無所属 | 就任前から、権威主義的なジュカノヴィチの批判者として活動してきた。 連立政権内では親欧州連合派との路線対立が激化し政権は行き詰まり、2年で政権崩壊。 | ||
7 | ドリタン・アバゾビッチ Dritan Abazović |
2022年4月28日 | 2023年10月31日 | 「平和は私たちの国」連合 | ヤコフ・ミラトビッチ | ||
8 | ミロイコ・スパイッチ Milojko Spajić |
2023年10月31日 | (現職) | ヨーロッパ・ナウ! | 学生時代は大阪大学や埼玉大学に留学していた為、知日派とされる。 就任前は、セルビアとモンテネグロの二重国籍であることが疑惑となっていた。 |
首相の年表
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ モンテネグロ共産主義者同盟(SKCG)の後継組織。
出典
[編集]- ^ Tota, Elton (December 26, 2017). “Kosovo's PM is the highest paid in the region”. Independent Balkan News Agency. オリジナルのAugust 19, 2018時点におけるアーカイブ。 May 4, 2022閲覧。
- ^ Bieber, Florian (July 2018). “Patterns of competitive authoritarianism in the Western Balkans”. East European Politics 38 (3): 337–54. doi:10.1080/21599165.2018.1490272.
- ^ [1]