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モレイ (潜水艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
USS モレイ
基本情報
建造所 クランプ造船所
運用者 アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍
艦種 攻撃型潜水艦 (SS)
級名 バラオ級潜水艦
艦歴
起工 1943年4月21日
進水 1944年5月14日
就役 1945年1月26日
退役 1946年4月12日
除籍 1967年4月1日
その後 1970年6月18日、南カリフォルニア沖で標的艦として海没処分。
要目
水上排水量 1,526 トン
水中排水量 2,424 トン
全長 311 ft 9 in (95 m)
水線長 307 ft (93.6 m)
最大幅 27 ft 3 in (8.31 m)
吃水 16 ft 10 in (5.1 m)
主機 フェアバンクス=モース38D-1/8型10気筒ディーゼルエンジン×4基
電源 エリオット社英語版製発電機×2基
出力 水上:5,400 shp (4.0 MW)
水中:2,740 shp (2.0 MW)
最大速力 水上:20.25 ノット
水中:8.75 ノット
航続距離 11,000 海里/10ノット時
航海日数 潜航2ノット時48時間、哨戒活動75日間
潜航深度 試験時:400 ft (120 m)
乗員 士官10名、兵員70 - 71名
兵装
テンプレートを表示

モレイ (USS Moray, SS-300) は、アメリカ海軍潜水艦バラオ級潜水艦の一隻。艦名は熱帯および亜熱帯の珊瑚礁に生息するウツボの総称に因む。

シマアラシウツボ(Barred moray
グリーン・モレイ(Green moray

艦歴

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モレイは1943年4月21日にペンシルベニア州フィラデルフィアクランプ造船所で起工する。1944年5月14日にニューハンプシャー州上院議員スティールス・ブリッジスの夫人によって進水し、艦長フランク・L・バロウズ中佐(アナポリス1935年組)の指揮下1945年1月26日に就役する。モレイは1月31日、フィラデルフィアを出港し、翌日コネチカット州ニューロンドンに到着した。整調後の訓練を終えた後、モレイは僚艦カープ (USS Carp, SS-338) と護衛駆逐艦ジレット (USS Gillette, DE-681) とともにニューロンドンを出港し、4月14日にはバルボアに、そして25日にはパナマ運河地帯に到着した。5月5日から潜行訓練を実施し、真珠湾に到着後21日まで最終調整を行った後、6月7日にマリアナ諸島に向かった。前進基地が置かれていたサイパン島に到着したのは6月20日のことだった。

哨戒

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6月27日、モレイは最初の哨戒でシーポーチャー (USS Sea Poacher, SS-406) 、アングラー (USS Angler, SS-240) 、セロ (USS Cero, SS-225) 、レイポン (USS Lapon, SS-260) およびカープの5隻とウルフパックを構成し、日本近海に向かった。ウルフパックは7月1日に哨戒海域の東京沖に到着し、バロウズ中佐は部隊に救助ステーション任務を割り当てた。哨戒の第1段階はパイロット救助任務に集中した。7月7日から9日までモレイは本州の南東部で第38任務部隊ジョン・S・マケイン・シニア中将)の攻撃準備のためのレーダーピケット任務に従事し、その後救助任務を続けた。モレイが実戦に投入されたこの時期には、アメリカ海軍の潜水艦部隊は日本軍艦船の大半を破壊し、残った艦船のほとんどは燃料不足と機雷による封鎖で港湾に封じ込められていた。この時期の潜水艦部隊の任務の大半は味方パイロットの救助へ移り変わっていった。しかしながら、モレイはいくつかの戦闘の機会に遭遇した。、7月10日、モレイはキングフィッシュ (USS Kingfish, SS-234) と共に金華山沖で輸送船団に対して攻撃を行った。キングフィッシュが最初の攻撃を行い、モレイは続いて5本の魚雷を発射した。数秒後に魚雷が捕鯨船第五文丸西大洋漁業、361トン)に命中しこれを撃沈した[1]。他の船への命中は観測されなかった。哨戒海域は7月16日に千島列島に移動した。8月6日、モレイは52日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。

モレイは第二次世界大戦の戦功で1個の従軍星章を受章した。

戦後

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終戦後の9月1日にモレイは西海岸に向かい、9月11日にカリフォルニア州サンフランシスコに到着した。その後メア・アイランド海軍造船所で不活性化オーバーホールを行う。モレイは1946年4月26日に退役し、1947年1月に太平洋予備役艦隊入りする。1962年12月1日に AGSS-300 (調査潜水艦)として艦種変更された。モレイは1967年4月1日に除籍され、1970年6月18日に標的艦としてカリフォルニア州サン・クレメンテ沖で海没処分された。

脚注

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  1. ^ 「SS-300, USS MORAY」p.17,18

参考文献

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  • SS-300, USS MORAY(issuuベータ版)
  • 財団法人海上労働協会編『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、1962年/2007年、ISBN 978-4-425-30336-6
  • Clay Blair,Jr. "Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan" Lippincott、1975年、ISBN 0-397-00753-1

外部リンク

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