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カペリン (潜水艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
USS カペリン
基本情報
建造所 ポーツマス海軍造船所
運用者 アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍
艦種 攻撃型潜水艦 (SS)
級名 バラオ級潜水艦
艦歴
起工 1942年9月14日
進水 1943年1月20日
就役 1943年6月4日
最期 1943年12月2日スラウェシ島沖にて消息不明。
要目
水上排水量 1,526 トン
水中排水量 2,424 トン
全長 311 ft 9 in (95 m)
水線長 307 ft (93.6 m)
最大幅 27 ft 3 in (8.31 m)
吃水 16 ft 10 in (5.1 m)
主機 ゼネラルモーターズ278A 16気筒ディーゼルエンジン×4基
電源 ゼネラル・エレクトリック製 発電機×2基
出力 水上:5,400 shp (4.0 MW)
水中:2,740 shp (2.0 MW)
最大速力 水上:20.25 ノット
水中:8.75 ノット
航続距離 11,000 海里/10ノット時
航海日数 潜航2ノット時48時間、哨戒活動75日間
潜航深度 試験時:400 ft (120 m)
乗員 士官6名、兵員60名
兵装
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カペリン (USS Capelin, SS-289) は、アメリカ海軍潜水艦バラオ級潜水艦の一隻。艦名はカラフトシシャモの英語名に因む。

カラフトシシャモCapelin

艦歴

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カペリンは1942年9月14日にメイン州キタリーポーツマス海軍造船所で起工する。1943年1月20日にI・C・ボガート夫人によって進水し、艦長エリオット・E・マーシャル少佐(アナポリス1931年組)の指揮下1943年6月4日に就役する。カペリンは9月3日にコネチカット州ニューロンドンを出航しオーストラリアブリスベンに向かい、南西太平洋で潜水艦部隊の任務に従事する。

哨戒

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10月30日、カペリンは最初の哨戒でモルッカ海フローレス海およびバンダ海を経てマカッサル海峡方面に向かった。ダーウィンで給油した後哨区に向かい、11月11日にアンボン島沖で国玉丸(玉井商船、3,127トン)を撃沈した。しかし、哨戒中に司令塔のハッチ機能、艦首部分の騒音、不完全なレーダーチューブなど多くの不具合が生じ、カペリンは哨戒を一旦打ち切って修理することとなった。11月15日、カペリンは17日間の行動を終えてダーウィンに帰投し、問題箇所を2日間かけて修理した。

11月17日、修理が終わったカペリンは、2回目の哨戒でモルッカ海およびセレベス海方面に向かった。カペリンはハルマヘラ島カウ湾モロタイ海峡およびミンダナオ島周辺のダバオ湾英語版シアオエ島サンギ島タラウド諸島サランガニ島英語版などを偵察した後、12月6日に担当哨戒区域を離れる予定であった。しかし、カペリンはその後消息不明になる。僚艦のボーンフィッシュ (USS Bonefish, SS-223) が1943年12月2日にアメリカ軍の潜水艦を目撃したことを報告しているが、当時その海域ではカペリンが配備されていた。海軍は12月9日に通信を試みたが応答はなかった。

日本側の記録[1]によれば、カペリンがダーウィンを出航してから1週間後の11月23日午前9時ごろに、ハルマヘラ島カウ湾口において第九三四海軍航空隊の水上偵察機と、当時護衛任務に就いていた敷設艦若鷹が対潜攻撃を実施したことが記録に残されている。この記録は当時その海域で行われた唯一の攻撃であった。しかしながら、実際の接触の証拠はごく僅かであり、日本軍は最終的にはこの攻撃を中止したとある[注釈 1]。また、日本軍の機雷敷設区域がセレベス島の北方に数多くあったことが知られており、それはカペリンの哨戒区域と重なっていた。対潜攻撃の記録がいまひとつ決め手に欠けることから、カペリンが触雷により沈没したという推測もある。いずれにせよ、カペリンは勇敢な乗組員と共に跡形もなくなったが、アメリカ側では原因不明で喪失された艦として記録に残された。

なお、アメリカ側の記録の中には[3]、日本側の対潜攻撃があった11月23日に、攻撃があった海域の近くでカペリンが基山丸(鶴丸汽船、2,841トン)を撃沈したという記述があるが、基山丸撃沈が実際にカペリンによるものかどうかは不明であり、これに関しては日本側の記録[1]では、基山丸は11月23日16時30分ごろに、カウで四発機6機の空襲により沈没としている。

カペリンは第二次世界大戦の戦功で1個の従軍星章を受章した。カペリンの哨戒は一回が成功として記録された。

脚注

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注釈

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  1. ^ 若鷹の報告書にそのような記述あり、そのためアメリカ側がこの攻撃でカペリンが沈没したものとは公式には認めなかった[2]

出典

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  1. ^ a b 『(第二十六特別根拠地隊)戦時日誌』
  2. ^ 木俣『敵潜水艦攻撃』94ページ
  3. ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II

参考文献

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  • SS-289, USS CAPELIN(issuuベータ版)
  • 第二十六特別根拠地隊司令部『自昭和十八年十一月一日 至昭和十八年十一月三十日 戦時日誌』(昭和18年11月1日~昭和19年11月30日 第26特別根拠地隊戦時日誌戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030265500
  • Theodore Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II" Naval Institute press、ISBN 0-87021-731-3
  • 財団法人海上労働協会編『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、1962年/2007年、ISBN 978-4-425-30336-6
  • Clay Blair,Jr. "Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan" Lippincott、1975年、ISBN 0-397-00753-1
  • 木俣滋郎『敵潜水艦攻撃』朝日ソノラマ、1989年、ISBN 4-257-17218-5

関連項目

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外部リンク

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