アンリ・モアッサン
アンリ・モアッサン | |
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Henri Moissan | |
生誕 |
1852年9月28日 パリ |
死没 |
1907年2月20日 (54歳没) パリ |
国籍 | フランス |
研究分野 | 化学 |
研究機関 | ソルボンヌ |
出身校 | 高等研究実習院 |
博士課程 指導教員 | Pierre Paul Dehérain |
主な業績 | フッ素の分離 |
主な受賞歴 | ノーベル化学賞 (1906) |
プロジェクト:人物伝 |
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フェルディナン・フレデリック・アンリ・モアッサン(Ferdinand Frédéric Henri Moissan、1852年9月28日 – 1907年2月20日)はフランスの化学者である。フリードリヒ・ヴェーラーが最初に生成した炭化カルシウムを、1892年にトーマス・ウィルソンと商業的に生産する方法を開発した。1906年、フッ素の研究と分離およびモアッサン電気炉の製作の業績によりノーベル化学賞を受賞した。この電気炉は実績があり、この中に石灰とコークスの混合物を入れて2000℃超に加熱するとカルシウム・カーバイドが得られたのである。
生涯
[編集]モアッサン家はトゥールーズからパリに移り住み、そこでアンリ・モアッサンが生まれた。父は東部鉄道の下級管理職で、母はお針子だった。1864年に一家はモーに移り、モアッサンはそこで地元の学校に通った。1870年、大学入学資格を得ないまま学校を去り、パリの薬屋で働き始める。そこでヒ素中毒の人を助けるという体験をし、化学を勉強することを決心した。まずエドモンド・フレミーの研究室で学び始め、後に Pierre Paul Dehérain に師事した。Dehérain は彼に学歴をつけるよう説き伏せた。モアッサンは大学入学に必要なバカロレアを何度か失敗した末の1874年に取得した。
1874年、モアッサンは Dehérain と共同で初めての学術論文を発表した。それは植物における二酸化炭素と酸素の代謝についての論文だった。その後、植物生理学から無機化学へと転向し、自然発火性の鉄に関する研究が当時のフランスの無機化学をリードしていた2人の化学者アンリ・サンクレール・ドヴィーユとアンリ・ドブレに注目された。1880年に博士号を取得すると、ある研究所での職を友人から紹介された。1882年に結婚、1885年に息子が生まれている。1880年代のモアッサンはフッ素の研究、特にフッ素の分離に注力していた。モアッサンは自前の実験室を持っておらず、シャルル・フリーデルらの実験室を借りていた。そこに90個のブンゼン電池を使った強力な電池があり、モアッサンは三塩化ヒ素の電気分解によって気体が発生する様子を観察できた。その気体は三塩化ヒ素に再び吸収される。1886年6月26日、フッ化水素の電気分解によってフッ素が分離できた。フランス科学アカデミーは3人の代理人マルセラン・ベルテロ、アンリ・ドブレ、エドモン・フレミーを送り、その報告が正しいか確認させた。しかし、このときモアッサンは実験を再現することができなかった。実は、最初の実験でフッ素が得られたのは、フッ化水素に不純物としてフッ化カリウムが含まれていたせいであり、今回の実験ではそれが含まれていなかった。その後問題に気づき、何度かフッ素の分離を実演し、最終的に1万フランの賞金を得た。その後1891年まではフッ素の研究に明け暮れた。モアッサンは様々なフッ素化合物を発見しており、例えば1901年には Paul Lebeau と共に六フッ化硫黄を発見した。
1900年までに220アンペア、80ボルトの大電力で3500℃の温度に達する電気炉を開発し、ホウ素や人工ダイヤモンドを作り出す研究を行った。自身の発明した電気炉により、様々なホウ化物や炭化物を作ることができるようになり、それがモアッサンのもう1つの研究分野となった。
1906年にフッ素の研究と分離およびモアッサン電気炉の製作の業績によりノーベル化学賞を受賞。彼がノーベル賞の受賞候補者としてノミネートされた時、一緒に、ロシアのメンデレーエフもノミネートされていたが、一票差でモアッサンが勝利した[要出典]。
受賞の翌年の1907年2月、パリにて急死。急性虫垂炎が原因とされているが、フッ素の研究が影響したかどうかは不明である。
研究
[編集]フッ素の単離
[編集]フッ素は1771年のカール・シェーレ以来、その化合物の存在は知られていたものの、ガラスや貴金属とも反応してしまうほどの強い活性を持ち、毒性も強い元素であるため、単離(純粋なフッ素の単体を取出すこと)が極めて困難であった。多くの化学者が単離に挑戦して失敗し、中には実験中に亡くなった者もいた。
モアッサンも実験中に片目を失明したが、1886年6月、液体フッ化水素 (HF) に二フッ化水素カリウム (KHF2) を溶かした溶液を電気分解し、フッ化カルシウム(蛍石)の容器を捕集に使うなどすることにより、ついにフッ素の初単離に成功した。二フッ化水素カリウムを溶かしたのは、フッ化水素が導体でないためである。電極には白金/イリジウム、容器には白金を使い、全体を-50℃まで冷却した。これにより、正の電極から水素ガスが、負の電極からフッ素ガスが得られた[1][2]。フッ素を生産する技法は今もこれと基本的に同じである。
その後の研究
[編集]モアッサンはさらにフッ素の研究を行い、さらに電気炉を開発した。モアッサン電気炉は大電流でアーク放電を起こして3500℃もの高温を得るものである。
モアッサンはモアッサン炉を使って鉄と炭素を溶解させたあと急冷し、金属の収縮圧でダイヤモンドを合成する実験を行った。1893年に合成の成功を発表したが、モアッサンの死後、実際は助手がモアッサンを喜ばすため、生成物に天然のダイヤモンドを仕込んだことを告白するという話を残している[3]。
1893年、アリゾナ州のバリンジャー・クレーターで見つかった隕石の破片の研究を始めた。モアッサンは隕石の破片から微量の新種鉱物を発見し、研究の末、それが炭化ケイ素であると結論付けた。1905年、この鉱物はモアッサンにちなんでモアッサナイトと名付けられた。
受賞歴
[編集]- 1896年 デービーメダル
- 1898年 エリオット・クレッソン・メダル
- 1903年 ホフマン賞
- 1906年 ノーベル化学賞
脚注・出典
[編集]- ^ H. Moissan (1886). “Action d'un courant électrique sur l'acide fluorhydrique anhydre”. Comptes rendus hebdomadaires des séances de l'Académie des sciences 102: 1543–1544 .
- ^ H. Moissan (1886). “Sur la décomposition de l'acide fluorhydrique par un courant électrique”. Comptes rendus hebdomadaires des séances de l'Académie des sciences 103: 202 .
- ^ 「ダイアモンド博物館」 藤田英一,大嶋隆一郎著 アグネ技術センター
参考文献
[編集]- A.G. Morachevskii (2002). “Henri Moissan (To 150th Anniversary of His Birthday)”. Journal Russian Journal of Applied Chemistry 75 (10): 1720–1722. doi:10.1023/A:1022268927198.
- G. V. Samsonov, V. A. Obolonchik (1886). “Frederic Henri Moissan, on the 120th anniversary of his birth”. Journal Powder Metallurgy and Metal Ceramics 11 (9): 766–768. doi:10.1007/BF00801283.
- Tressaud, Alain (October 2006). “Henri Moissan: winner of the Nobel Prize for Chemistry 1906”. Angew. Chem. Int. Ed. Engl. 45 (41): 6792–6. doi:10.1002/anie.200601600. PMID 16960820.
- Royère, C (March 1999). “The electric furnace of Henri Moissan at one hundred years: connection with the electric furnace, the solar furnace, the plasma furnace?”. Annales pharmaceutiques françaises 57 (2): 116–30. PMID 10365467.
- Kyle, R A; Shampo M A (October 1979). “Henri Moissan”. JAMA 242 (16): 1748. doi:10.1001/jama.242.16.1748. PMID 384036.
外部リンク
[編集]- Biography Biography from Nobelprize.org website
- Scientific genealogy
- Biography
- 『モアッサン』 - コトバンク