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メルビン・クランツバーグ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
メルビン・クランツバーグ

メルビン・クランツバーグ(Melvin Kranzberg、1917年11月22日 - 1995年12月6日)は、技術史を専門としたアメリカ合衆国歴史家

クランツバーグは、彼が提唱した技術の法則によって知られており、その第一法則は、「技術は善でも悪でもなく、また、中立でもない」というものである[1]

経歴

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ミズーリ州セントルイスに生まれたクランツバーグは、アマースト大学を卒業し、ハーバード大学で修士号と博士号 (PhD) を取得した後、第二次世界大戦中はアメリカ陸軍の一員としてヨーロッパ戦線に従軍した。ドイツ兵捕虜を尋問して、ナチ側の大砲の配置を聞き出した功績によって、ブロンズスターメダル(青銅星章)を授与された。クランツバーグは、ジョージ・パットンの指揮下で捕虜審問を務めた9人の兵士の中で、戦争を生き延びた僅かふたりのうちのひとりであった。

1952年から1971年にかけてケース・ウェスタン・リザーブ大学歴史学教授であり、1972年から1988年にかけてはジョージア工科大学のキャラウェイ技術史教授 (Callaway professor of the history of technology)であった。

彼は、アメリカ合衆国における技術史学会英語版の創設者のひとりであり、長く学術誌『Technology and Culture』の編集にあたった。クランツバーグは、1983年から1984年にかけて、技術史学会の会長を務め、学会誌の編集に1959年から1981年まで従事し、その仕事をスミソニアン学術協会のロバート・C・ポスト (Robert C. Post) に引き継いだ。技術史学会は、技術史分野の博士論文を準備している博士課程の学生を対象としsた年額 $4000 の奨学金 (fellowship) にクランツバーグの名を冠している。世界中の学生が、その対象とされている。クランツバーグは1967年に、技術史学会からレオナルド・ダ・ヴィンチ・メダル英語版を贈られた。

ハワード・P・シーガル英語版は、『Virginia Quarterly Review』に、クランツバーグを顕彰する有益な略伝を寄稿している[2]

Technology and Culture』には、ロバート・C・ポストによる評伝が2回掲載された。

  • "Back at the Start: History and Technology and Culture," T&C 51 (2010): 961–94
  • "Chance and Contingency: Putting Mel Kranzberg in Context," T&C 50 (2009): 839–72.

クランツバーグは、国際技術史会議英語版の創設にも貢献した[3]

クランツバーグの技術の法則

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メルビン・クランツバーグが提唱した技術の六法則は以下のようなものである[4]

  1. 技術は善でも悪でもなく、また、中立でもない。 (Technology is neither good nor bad: nor is it neutral.)
  2. 発明は必要の母。(Invention is the mother of necessity.)
  3. 技術は、大きいものや小さいものが、ひとかたまりになって現れる。(Technology comes in packages, big and small.)
  4. 技術は多くの公的課題の主要な要素でありえるが、技術政策の決定には非技術的要因が優越する。(Although technology might be a prime element in many public issues, nontechnical factors take precedence in technology-policy decisions.)
  5. すべての歴史は重要であるが、技術史は何よりも重要である。(All history is relevant, but the history of technology is the most relevant.)
  6. 技術は極めて人間的な活動であり、技術史もそうである。(Technology is a very human activity – and so is the history of technology.)[5]

日本語での紹介

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クランツバーグの技術史学会会長として講演が『Technology and Culture』に掲載された内容の一部は、1975年に『高分子』に抄訳紹介された[6]

キャロル・W・パーセル2世ドイツ語版との共編著『Technology in Western Civilization』(全2巻)は、小林達也の監訳により、1976年に『20世紀の技術』(上・下)と題されて出版された[7]

1994年には『岩波講座現代思想13 テクノロジーの思想』に、橋本毅彦の訳により「コンテクストのなかの技術」が収録された[8]

脚注

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  1. ^ Christopher Mims, "The Six Laws of Technology Everyone Should Know" Wall Street Journal (Nov. 26, 2017) https://www.wsj.com/articles/the-6-laws-of-technology-everyone-should-know-1511701201
  2. ^ Segal, Howard P. (Autumn 1998). “Technology, History, and Culture: An Appreciation of Melvin Kranzberg”. The Virginia Quarterly Review 74 (4). http://www.vqronline.org/issues/74/4/autumn-1998 2017年11月26日閲覧。. 
  3. ^ Post, Robert C. (2014). “Our Mel Kranzberg: Risks He Took, Stumbles, and Sometimes a Second Thought”. Icon 20 (1): 6–16. JSTOR 23788083. 
  4. ^ Kranzberg, Melvin (July 1986). “Technology and History: "Kranzberg's Laws"”. Technology and Culture 27 (3): 544–560. doi:10.2307/3105385. 
  5. ^ Hansen, James R. “Technology and the History of Aeronautics: An Essay”. U.S. Centennial of Flight. 2020年5月24日閲覧。
  6. ^ メルビン・クランツバーグ「提言 技術進歩と未来社会」『高分子』第24巻第1号、高分子学会、1975年、18-19頁。  NAID 130001448167
  7. ^ 20世紀の技術”. 国立国会図書館. 2020年5月24日閲覧。
  8. ^ 岩波講座現代思想 13 (テクノロジーの思想)”. Webcat Plus / 国立情報学研究所. 2020年5月24日閲覧。

外部リンク

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