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ムハマド・ユヌス

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ムハマド・ユヌス
Muhammad Yunus
মুহাম্মদ ইউনূস
2012年撮影)
生年月日 (1940-06-28) 1940年6月28日(84歳)
出生地 イギリス領インド帝国の旗 イギリス領インド帝国
ベンガル管区英語版 チッタゴン
出身校
前職 経済学者
現職 首席顧問
称号 ノーベル平和賞(2006年)
親族 モニカ・ユヌス英語版(長女)
サイン
公式サイト [Personal ]

在任期間 2024年8月8日 - 現職
大統領 モハンマド・シャハブッディン
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Muhammad Yunus
ムハマド・ユヌス
ムハマド・ユヌス(2013)
生誕 (1940-06-28) 1940年6月28日(84歳)
イギリス領インド帝国の旗 イギリス領インド帝国
ベンガル管区英語版 チッタゴン 
国籍 バングラデシュの旗 バングラデシュ
研究分野 マイクロクレジット 
研究機関 ミドルテネシー州立大学
出身校 ダッカ大学
ヴァンダービルト大学
主な受賞歴 ノーベル平和賞(2006)
プロジェクト:人物伝
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ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:2006年
受賞部門:ノーベル平和賞
受賞理由:貧困層の経済的・社会的基盤の構築に対する貢献

ムハマド・ユヌスベンガル語: মুহাম্মদ ইউনুস Muhammad Yunus、1940年6月28日 - )は、バングラデシュの経済学者、実業家。同国にあるグラミン銀行の創設者、またそこを起源とするマイクロクレジットの創始者として知られる。2006年にはノーベル平和賞受賞。学位経済学博士ヴァンダービルト大学)。また、国連SDG Advocates の一人である[1]

2024年8月6日、反政府デモ(2024年バングラデシュクオータ制度改革運動)の激化を受けて首相を辞任したシェイク・ハシナに代わり、バングラデシュ暫定政府の首席顧問に指名された[2]8月8日に首席顧問への就任宣誓を行った[3]

人物

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ボーイスカウト姿のユヌス(1953年撮影)
2019年撮影
2010年、菅直人首相(当時・左)と握手する

英国統治下にあったバングラデシュの南部チッタゴンの宝石店の二男として生まれる。チッタゴンカレッジを経て、ダッカ大学で修士号を取得し卒業。フルブライト奨学金を得て渡米し、1969年ヴァンダービルト大学で経済学の博士号を取得した。テネシー州で同郷の友人とともに「バングラデシュ市民委員会」を組織、祖国の独立を支援した。1969年から1972年までミドルテネシー州立大学で経済学の助教授を務める。その後、バングラデシュ独立の翌年の1972年に帰国し、チッタゴン大学経済学部長に就任した。1976年に貧困救済プロジェクトをジョブラ村にて開始し、銀行に融資するように働きかけ自ら村民の保証人にまでなったが、銀行の融資は受けられず、1983年に同プロジェクトはバングラデシュ政府の法律により独立銀行(政府認可の特殊銀行)となる。無担保で少額の資金を貸し出すマイクロ・クレジットでは、8万4000村で558万人ほどの貧しい女性を主対象に貸し出している。このマイクロ・クレジットは貧困対策の新方策として国際的に注目され、主に第三世界へ広がっている。 グラミン銀行は多分野で事業を展開し、「グラミン・ファミリー」と呼ばれるグループへと成長をとげた。2006年のノーベル平和賞が授与された。2007年2月、新党「市民の力」を発足。

2011年3月2日、バングラデシュ中央銀行は商業銀行総裁の60歳定年を定めた法律を違反して、ユヌスが総裁を続けているとして、グラミン銀行総裁を解任したと発表した。その際グラミン銀行側は役員会から永久総裁として認められていると反論し[4]、撤回を求めて提訴したが、バングラデシュ最高裁に棄却され解任が決定になった[5]。原因は二大政党制に批判的なユヌスが政党を立ち上げようとしたことで首相と対立したため[5]とも、当時首相を目指すのではないかと憶測を呼び本人は否定したもののハシナ首相の警戒を招いたためとも[6]言われている。

2013年、ユヌスは日本人グラフィックデザイナー稲吉紘実のデザインによる「ユヌス・ソーシャル・ビジネス マーク」を発表した[7]

2021年に行われた2024年パリオリンピックへの構想計画ではSDGsとソーシャルビジネスへの配慮を含めて、選手村などのオリンピック開催後の再利用などを奨励している[8]

2024年2月、ユヌスのダッカの事務所が何者かに占拠され奪われる[6]。他に自身の設立した2つの会社から追い出され、このときまでに上訴保釈中ながら労働法違反で6か月の禁固刑判決を受け、さらに500万ドルの納税命令と移動自由制限が科され、100件を超える訴訟を抱えていた[6]

2024年8月7日、反政府デモ(2024年バングラデシュクオータ制度改革運動)の激化を受けて首相を辞任したシェイク・ハシナに代わり、デモに参加した学生団体の要請を受けて、暫定政府首席顧問に就任することを受諾[2]。8月8日には病気治療の滞在先フランスのパリから帰国[9]バンガババン(大統領官邸)で暫定政府首席顧問への就任宣誓を行った[3]。ユヌスは国民の認知や海外とのつながりもあり既成政党色が薄いため分断回避のために選ばれたと考えられている。就任時に「暴力は止めなければならない」「対話を通じ理解し合おう」「この政権は全ての国民のためのものだ」として結束を呼び掛けた[10]

思想

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資本主義

ユヌスは、現在の資本主義が、人間について利益の最大化のみを目指す一次元的な存在であると見なしているとする。これに対して人間は多元的な存在であり、ビジネスは利益の最大化のみを目的とするわけではないとユヌスは主張する。

ソーシャル・ビジネス

ユヌスは、利益の最大化を目指すビジネス(PMB)とは異なるビジネスモデルとして、「ソーシャル・ビジネス」を提唱した。ソーシャル・ビジネスとは、特定の社会的目標を追求するために行なわれ、その目標を達成する間に総費用の回収を目指すと定義している。また、ユヌスは2種類のソーシャル・ビジネスの可能性をあげている。一つ目は社会的利益を追求する企業であり、二つ目は貧しい人々により所有され、最大限の利益を追求して彼らの貧困を軽減するビジネスである[11]

不祥事

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ユヌスは、グラミン・ファミリーの一つであるグラミン・コミュニケーションズにて会長職を務めている。このグラミン・コミュニケーションズで、労働法に違反した事が発覚したとされる。ユヌスは2020年3月11日に他の会社幹部3人とともにバングラデシュの労働裁判所に公式に謝罪し、罰金として7500タカを支払った[12]。また、ユヌスが設立した別の非営利法人で、法で定められていた従業員のための福祉基金を設けなかったなどの労働法違反があったとして、他の重役3人とともに起訴され、ユヌス自身は違法性を否定したが2024年1月1日に禁錮6カ月の有罪判決を受け、即時保釈が認められていた。この逮捕には、かつて政界進出を表明し国民に人気の高いユヌスを警戒した政権側の意向があったと見る向きもある[13][14]。さらに、ダッカの裁判所は6月12日、労働者基金から2億5220万タカを横領および資金洗浄した罪でユヌスを含む14人を起訴した。暫定政権最高顧問になるにあたり、これらの有罪・無罪は政府顧問就任の資格に影響しないとみられていたが、バングラデシュの汚職対策委員会(ACC)の働きかけにより、同月7日、下級裁判所はこれらのユヌスの起訴を取り下げた[15]。これについてユヌスの弁護士は、ユヌスはこの動きを知らず関与していないと説明している[16]


著書

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  • Banker to the Poor (1998) 邦訳『ムハマド・ユヌス自伝 : 貧困なき世界をめざす銀行家』 ムハマド・ユヌス、アラン・ジョリ著、猪熊弘子訳、早川書房、1998年 ISBN 4152081899
  • A World Without Poverty (2008) 邦訳『貧困のない世界を創る : ソーシャル・ビジネスと新しい資本主義』 ムハマド・ユヌス著、猪熊弘子訳、早川書房、2008年 ISBN 415208944X
  • A World of Three Zeros (2018) 邦訳『3つのゼロの世界――貧困0・失業0・CO2排出0の新たな経済』 ムハマド・ユヌス著、山田文訳、早川書房、2018年 ISBN 978-4152097446

受賞歴

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など多数にのぼる(List of awards received by Muhammad Yunusも参照)。

備考

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  • 高校2年英語教科書『Genius』(大修館)のレッスン4に彼の活躍が英文となっている。
  • 高校3年生用英語教科書『CROWN English Reading』(三省堂)レッスン6で、グラミン銀行とユヌスが教材となっている。
  • 中澤幸夫『テーマ別英単語 ACADEMIC [初級]』(Z会) 第1章 経済・ビジネス
  • 高3用英語教科書 MAINSTREAM EC Ⅲ (増進堂)チャプター2で彼の活躍が書かれている。

脚注

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  1. ^ Martin. “Sustainable Development Goals Advocates” (英語). United Nations Sustainable Development. 2018年12月21日閲覧。
  2. ^ a b “バングラ暫定政権顧問にユヌス氏 ノーベル平和賞受賞者”. 東京新聞. https://www.tokyo-np.co.jp/article/345553 2024年8月7日閲覧。 
  3. ^ a b Muhammad Yunus sworn in as chief adviser to Bangladesh’s interim government”. The Indian Express. 2024年8月8日閲覧。
  4. ^ ノーベル平和賞のユヌス・グラミン銀総裁、バングラ中銀が解任(2011年3月3日 Thomson Reuters)
  5. ^ a b グラミン銀、ユヌス氏解任決定的に 撤回の訴え棄却”. 日本経済新聞 (2011年4月5日). 2017年9月30日閲覧。
  6. ^ a b c 「ノーベル賞ユヌス氏、高まる政権の圧力」『日経速報ニュースアーカイブ』2024年2月27日。
  7. ^ About Logo - Shape of Hope: Symbol Mark of Social Business”. 2024年8月9日閲覧。
  8. ^ パリ五輪はソーシャルビジネスを推進”. alterna. 2024年8月8日閲覧。
  9. ^ ユヌス氏がバングラデシュ帰国=首席顧問就任、暫定政権正式発足へ”. 時事通信ニュース. 2024年8月9日閲覧。
  10. ^ 「バングラ暫定政権 発足へ」『読売新聞』2024年8月9日、朝刊。
  11. ^ 『貧困のない世界を創る』 猪熊弘子訳、54頁、65頁
  12. ^ “ノーベル平和賞のユヌス氏、労働法違反認め謝罪 バングラデシュ”. AFPBB News. (2020年3月13日). https://www.afpbb.com/articles/-/3273043 2020年3月13日閲覧。 
  13. ^ “ユヌス氏に禁錮刑=労働法違反、06年にノーベル賞―バングラデシュ”. 時事ドットコム. 時事通信. (2024年1月1日). https://sp.m.jiji.com/article/show/3133182 2024年1月1日閲覧。 
  14. ^ ノーベル平和賞ユヌス氏に禁錮6か月の有罪判決 バングラデシュ”. NHK. 2024年9月5日閲覧。
  15. ^ バングラデシュ:バングラに暫定政権 ユヌス氏トップ 権力の空白、解消”. 毎日新聞社. 2024年9月5日閲覧。
  16. ^ ユヌス博士はあらゆるケースに向き合いたい”. BDD. 2024年9月5日閲覧。
  17. ^ ムハマド・ユヌス博士に「オリンピック月桂冠賞」を授与”. 2024年8月9日閲覧。
  18. ^ Agarwal, Kalptaru (2021年7月21日). “Bangladesh's Nobel laureate to become the second recipient of Olympic Laurel” (英語). thebridge.in. 2024年8月19日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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動画

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先代
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暫定政府首席顧問
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次代
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