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深夜叢書

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ミニュイ社から転送)
深夜叢書
正式名称 深夜叢書
Les Éditions de Minuit
種類 株式会社
設立日 1941年1955年に法人登記)
代表者 イレーヌ・ランドン (Irène Lindon)
本社所在地 フランスの旗 フランスパリ6区
7 rue Bernard Palissy, 75006 Paris
資本金 334,000 €
売上高 3,040,300 € (2018年)[1]
従業員数 6~9人
主要出版物 『海の沈黙』などの地下出版物(第二次世界大戦中)、ヌーヴォー・ロマン
定期刊行物クリティックフランス語版
『フィロゾフィー』
得意ジャンル 文学哲学
関係する人物 ヴェルコール
サミュエル・ベケット
アラン・ロブ=グリエ
ジョルジュ・バタイユ
外部リンク http://www.leseditionsdeminuit.fr/
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深夜叢書(しんやそうしょ、Les Éditions de Minuit、またはミニュイ社[2])は、ナチス・ドイツ占領下のフランス1941年、当時挿絵画家であったジャン・ブリュレル(ヴェルコール)と作家のピエール・ド・レスキュールフランス語版が創設した地下出版社。第1巻のヴェルコール著『海の沈黙』のほか、ルイ・アラゴンの『グレバン蝋人形館』、フランソワ・モーリアックの『黒い手帖』、エルザ・トリオレの『アヴィニヨンの恋人』、ポール・エリュアールらが22人のレジスタンス詩人の作品を編纂した『詩人たちの名誉フランス語版』、レジスタンス文学アンソロジー祖国は日夜つくられるフランス語版』などを刊行した。戦後は、サミュエル・ベケットの三部作以降のすべての作品、およびアラン・ロブ=グリエをはじめとするヌーヴォー・ロマンの一連の作品の刊行によって知られることになった。また、1950年からジョルジュ・バタイユが創刊した『クリティックフランス語版』誌を刊行するほか、ジル・ドゥルーズらのフランス現代哲学モニック・ウィティッグらの新しい傾向の作家を多数紹介している。

設立までの経緯

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第二次世界大戦中のヴィシー政権下ではナチス・ドイツによって反独的な書物やユダヤ人による出版は禁止され、厳しい検閲が行われていた。また、あらゆる物資が不足し、インクなども配給制であった。ドイツ軍は配給を制限することで、さらに言論思想の自由を抑圧したのである[3][4][5]。さらに、1940年9月28日には出版社労働組合と占領当局との間で検閲協定が締結された[6]。この結果、ナチスの呼びかけに応じて対独協力路線を歩む作家もあり、たとえば、1909年2月にアンドレ・ジッドジャン・シュランベルジェフランス語版ジャック・コポーら6人の作家によって創刊された『新フランス評論』は、党派性を排除し、外国文学を積極的に紹介したことで戦間期には国際的な影響力をもつ文学雑誌として知られていたが、ナチスによる言論統制を受けながらも刊行を続けるために、1940年から43年までファシズム政党であるフランス人民党ピエール・ドリュ=ラ=ロシェルが編集長を務め、主に対独協力作家の作品が掲載された(このため、戦後1953年まで休刊)[7][8]。だが、対独協力・反ユダヤ主義に転向した、最も責任の重い新聞は、『オ・ピロリフランス語版(さらし台)』紙、『ジュ・スイ・パルトゥーフランス語版 (監視)』紙、『ラ・ジェルブフランス語版(花束)』誌であった[9]。当時挿絵画家であったヴェルコールは、占領下において作家やジャーナリストが直面したジレンマを、「表立って公然と物が言えなかったため、公的な表現の企てはナチスへの奉仕に直結した。すべて彼らの都合のよいように解釈され、それに異議を唱えることはできなかったのだ。したがって、私たちに残された唯一の義務、唯一の信条は、ただ沈黙を守ることであった」と表現する。すなわち、ナチスの検閲を経て出版された作品は、この事実によって必然的に対独協力の性格を帯びてしまう以上、良心的な作家は「沈黙」を余儀なくされたのである[10]

1943年に地下出版された『詩人たちの名誉』の表紙

一方、この間、レジスタンス運動機関紙をはじめとして、地下出版物も多数刊行された。特定のレジスタンス・グループに参加するのではなく、文筆活動によってナチスの弾圧に抵抗し、言論・表現の自由を擁護する活動であり、こうしたレジスタンス文学運動を牽引したのが、共産党が結成したレジスタンス・グループ「国民戦線フランス語版」の地下出版物の一つである文学誌『レットル・フランセーズ (フランス文学)』[11]と深夜叢書である。

設立・刊行物

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1940年11月11日、1918年の同月同日に締結された(第一次世界大戦における)ドイツと連合国の休戦協定を記念してシャンゼリゼ大通りから凱旋門にかけて高校生、大学生、教員らが大規模なデモを行い、ゲシュタポに逮捕された(1940年11月11日のデモフランス語版)。最初のレジスタンス運動の一つとされるこのデモの弾圧で、運動はさらに広がり、『パンタグリュエルフランス語版』などの非合法の新聞が刊行され始めた。こうした動きに勇気づけられたヴェルコールは、同じように「手から手へと渡り」、「戸口から戸口へと配られる」ような出版物として文学作品を刊行することを考えた。作品は、友人で作家のピエール・ド・レスキュールの協力を得て、文学界、財界、法曹界、大学人などに配布することになった[4][12]。深夜叢書の活動には詩人を中心に多くの作家、知識人が参加した。とりわけ、1943年7月14日の革命記念日に刊行した『詩人たちの名誉』は、ポール・エリュアールピエール・セゲルスフランス語版ジャン・レスキュールフランス語版らが編集し、ルイ・アラゴンら22人の詩人の作品が収められた。みな、偽名である。このアンソロジーは民衆の共感を呼び、たちまち数版を重ね、さらに翌44年5月には第2号「欧州編」が刊行された[13]。また、単著以外に、『禁止されたコラム』、『深夜のコラム』などの定期刊行物も配布した。

地下出版された主な作品
作家 筆名 作品 邦訳 (括弧は未訳)
1942 ジャン・ブリュレル ヴェルコール Le Silence de la mer 海の沈黙・星への歩み』河野与一加藤周一共訳、岩波現代叢書、1951年。
注記:ナチス・ドイツの暴行の犠牲となって死去した象徴主義の詩人・劇作家サン=ポル=ルーに捧げられている[14]
1943 ジャン・ブリュレル ヴェルコール La Marche à l’étoile 同上
1943 レオン・モチャーンフランス語版 ティムレ La Pensée patiente (根気強い思想)
1943 フランソワ・モーリアック フォレ Le Cahier noir (黒い手帖)
1943 エルザ・トリオレ ローラン・ダニエル Les Amants

d’Avignon

『アヴィニヨンの恋人』川俣晃自訳、岩波書店、1953年。
1943 ジャック・ドビュ=ブリデルフランス語版 アルゴンヌ Angleterre (英国)
1943 ポール・エリュアール、ピエール・セゲルス、ジャン・レスキュール編 L'Honneur des poètes (詩人たちの名誉)
1944 同上 L'Honneur des poètes II Europe (詩人たちの名誉 第2号 欧州編)
1944 ピエール・ボスト ヴィバレ La Haute fourche (オート・フルシュ)
1944 ジャン・カスー ジャン・ノワール 33 sonnets composés au secret 「密室のなかでつくられたソネット」(抜粋)
ジャン・ポーランドミニク・オーリー編『祖国は日夜つくられる』第I巻 (渡辺淳小場瀬卓三安東次男共訳、月曜書房、1951年) 所収;
大島博光著『レジスタンスと詩人たち』(白石書店、1981年) 所収。
1944 ジョン・スタインベック Nuits noires (The Moon Is Down) 『月は沈みぬ』龍口直太郎訳、新潮文庫、1953年; 須山静夫訳、角川文庫、1969年; 白神栄子、高村博正訳『スタインベック全集 第8巻』所収。
1944 ルイ・アラゴン 怒りのフランソワ Le Musée Grévin 『グレバン蝋人形館』大島博光訳『アラゴン詩集』(飯塚書店、1968年) 所収。
1944 クロード・アヴリーヌ ミネルヴォワ Le Temps mort (失われた時)
1944 クロード・モルガン モルターニュ La Marque de l’homme 『人間のしるし』石川湧訳、岩波書店、1952年。
1944 ジャン・ゲーノ セヴェンヌ Dans la prison 「牢獄にて」(抜粋)
ジャン・ポーラン、ドミニク・オーリー編『祖国は日夜つくられる』第I巻 (渡辺淳、小場瀬卓三、安東次男共訳、月曜書房、1951年) 所収。
1945 ジョルジュ・アダムフランス語版 エノー A l’appel de la liberté (自由の叫び)
1945 エディット・トマフランス語版 オーソワ Contes d’Auxois (オーソワ物語)

このシリーズは戦後、深夜叢書が合法化された後にも引き続き刊行された。1947年にはレジスタンス文学のアンソロジー『祖国は日夜つくられる』を出版。邦訳も1951年に月曜書房から刊行された。ジャン・ポーランとドミニク・オーリーが編纂したこのアンソロジーには、これまでに深夜叢書から作品を発表した作家のほか、ジョルジュ・ベルナノスジャン・ジロドゥマックス・ジャコブピエール・ジャン・ジューブピエール・エマニュエルフランス語版ジュリアン・バンダフランシス・ポンジュアンドレ・マルロージャック・マリタンロジェ・カイヨワ、アンドレ・ジッド、サン=テグジュペリエマニュエル・ダスティエシモーヌ・ド・ボーヴォワールアルベール・カミュジャン・ケロールフランス語版ジャン=ポール・サルトルなど多くの作家、詩人、知識人が参加している[15][16]

戦後刊行された主な作品
作家 作品 邦訳 (括弧は未訳)
1947 ジャン・ポーラン、ドミニク・オーリー La patrie se fait tous les jours 『祖国は日夜つくられる』第I巻・第II巻 (渡辺淳、小場瀬卓三、安東次男共訳、月曜書房、1951年)
1947 ジャン・ムーラン Premier combat (最初の闘い) - 序文:シャルル・ド・ゴール
1955 インゲ・ショルフランス語版 La Rose blanche 『白バラは散らず ― ドイツの良心ショル兄妹』内垣啓一訳、未來社、1964年。
1957 ミシュリーヌ・モーレルフランス語版 Un camp très ordinaire (あまりにもありきたりの収容所)
1958 エリ・ヴィーゼル La Nuit 村上光彦訳、みすず書房、1967年。
1965 ダヴィッド・ルーセフランス語版 L’Univers concentrationnaire (強制収容所の世界) - 再版
1967 ヴェルコール La Bataille du silence 『沈黙のたたかい ― レジスタンスの記録』森乾訳、藤森書店、1978年; 新評論、1992年。
1970 シャルロット・デルボフランス語版 Auschwitz et après (アウシュヴィッツとその後)

戦後

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戦後の経営難

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戦後、深夜叢書が合法化されると、ヴェルコールは1945年に正式に株式会社を設立した。だが、商業的には『海の沈黙』が成功を収めただけで、深刻な経営難に陥った[17]。そこで、文芸顧問のジョルジュ・ランブリクスフランス語版は、編集方針を変えることなく、新しい傾向の作家を紹介することにし、1947年に哲学者ジョルジュ・バタイユの『鼠の話』、『ディアヌス』、後にルネ・クレマン監督の映画として知られることになるフランソワ・ボワイエフランス語版の原作『禁じられた遊び』、新しい戦争小説で知られるアンリ・カレフランス語版の『アメリカ』、『30から40』、ランボーの影響を強く受けた(後のフェミナ賞受賞作家)アンドレ・ドーテルフランス語版の『マザグラン高原』、『ダヴィッド』のほか、米国の小説家アーサー・ミラーの『みんな我が子』の仏語訳、ウェールズの小説家ディラン・トマスの『仔犬のような芸術家の肖像』を刊行。さらに48年にはピエール・クロソウスキーの『ロベルトは今夜』、アンリ・トマフランス語版らの評論『84』[18]ドイツの哲学者カール・ヤスパースの『責罪論』など[19]を出版したが、いずれも発行部数が限られていたため、経営難を脱することができず、ヴェルコールは社長を辞任。ジェローム・ランドンフランス語版が編集長に就任し、発行責任者を兼任した[17]

その後3年間は、引き続きバタイユの『呪われた部分』、『C神父』、『エポニーヌ』(『エロティシズム』は後の1957年に同じく深夜叢書から刊行)のほか、モーリス・ブランショの『ロートレアモンとサド』、『永遠の繰言』、ジャン・カスーの『近代芸術の状況』[20]ジャン・フーラスティエフランス語版の『機械化と幸福』、ジャン・ポーランの『どのような批判にもささやかな序文を』などを刊行し、51年にサン=ジェルマン=デ=プレに移転した後、ジャック・イレレフランス語版の『パリ街路歴史事典』、ポーランの『レジスタンス指導者への手紙』、サミュエル・ベケットの『モロイ』といった分野の異なる重要な書物を刊行した[17]

サミュエル・ベケット

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1950年11月にサミュエル・ベケットの妻シュザンヌ(シュザンヌ・ドゥシュヴォー=デュメニルフランス語版)が、ベケットの『モロイ』、『マロウン死す』、『名づけえぬもの』の原稿を深夜叢書に持ち込んだ。アイルランド出身のベケットは1938年からフランスの定住し、フランス語で執筆していたが、これら3作はいずれも多くの出版社に断られていた。1951年に『モロイ』と『マロウン死す』が刊行されると、ジャン・ブランザフランス語版は『フィガロ・リテレールフランス語版』紙上で、ついに「戦後の主要作品が現れた」と称え、モーリス・ナドーフランス語版は『コンバフランス語版 (闘争)』紙上で「捉えがたい現実を見事に征服した」作品と評した[17]。これら三部作のほか、1952年の不条理演劇の代表作『ゴドーを待ちながら[21]およびこれ以後のベケットの作品はすべて深夜叢書から刊行された。ベケットは1969年にノーベル文学賞を受けた。

アラン・ロブ=グリエ / ヌーヴォー・ロマン

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アラン・ロブ=グリエ

1953年の『クリティック (批判)』誌にアラン・ロブ=グリエが『ゴドーを待ちながら』の書評を掲載した。同誌はジョルジュ・バタイユが創刊した文学・哲学・芸術雑誌で、1950年以降は深夜叢書から刊行されていた。農業技師であったロブ=グリエはこの優れた書評によって、同年、深夜叢書からヌーヴォー・ロマンの先駆けとされる処女作『消しゴム』を発表する機会を得た。この作品を今度はロラン・バルトが『クリティック』紙上で絶賛。さらに、編集長ジェローム・ランドンと親交を深めたロブ=グリエは1954年末にジョルジュ・ランブリクスの後任として文芸顧問に就任し、彼の主導により深夜叢書は1950年代にヌーヴォー・ロマンの作品を次々と発表した。なお、ロブ=グリエは1985年まで30年にわたって文芸顧問を務めた。

1957年から58年にかけて深夜叢書から刊行されたヌーヴォー・ロマンの作品
作家 作品 邦訳 (括弧は未訳)
サミュエル・ベケット Fin de partie 勝負の終わり・クラップの最後のテープ (ベスト・オブ・ベケット 2)』安堂信也高橋康也共訳、白水社、1990年。
アラン・ロブ=グリエ La Jalousie 『嫉妬』白井浩司訳、新潮社, 1959年
クロード・シモン Le Vent 平岡篤頼訳『世界の文学 23』(集英社、1977年) 所収。
ナタリー・サロート Tropismes (トロピスム)
ミシェル・ビュトール La Modification 『心変わり』清水徹訳、河出書房新社、1959年・1971年; 岩波文庫、2005年。
マルグリット・デュラス Moderato Cantabile 『モデラート・カンタービレ』田中倫郎訳、河出書房新社、1970年、河出文庫、1985年。

ロブ=グリエはもちろん、ビュトール、デュラスの多くの小説、およびクロード・シモンの作品のほとんどが深夜叢書から刊行された。

時事問題

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深夜叢書は主に文学、哲学、芸術に関する書物を刊行しているが、政治・社会問題については特にアルジェリア独立戦争におけるフランス軍の拷問に抗議する運動に参加し、1957年に民族解放戦線 (FLN) 地下組織の指導者ヤセフ・サーディフランス語版の協力者として爆弾を運んだ容疑で逮捕されて拷問を受け、テロ行為で死刑判決を受けたジャミラ・ブーヒレッドフランス語版を擁護する弁護士ジャック・ヴェルジェスフランス語版と作家・調査報道記者ジョルジュ・アルノーフランス語版の著書『ジャミラ・ブーヒレッドのために』、1958年に自ら体験した拷問の実態を綴ったアンリ・アレッグフランス語版の『尋問』[22]、および、25歳のアルジェリア共産党員・独立運動家で数学者のモーリス・オーダンがフランス軍に拷問され、失踪した事件について真相究明を求める「オーダン委員会」を結成した歴史学者ピエール・ヴィダル=ナケの『オーダン事件』を刊行した。『尋問』は6万部以上の売上となり[23]、政府に没収されたが、にもかかわらず、次いで、拷問を受けたアルジェリアの学生ら5人の証言をまとめた『壊疽』を刊行し、発禁処分を受けた。深夜叢書は以後約4年にわたって10冊以上の「ドキュメント」シリーズを刊行し、1960年には脱走兵ジャン=ルイ・ユルストフランス語版がモーリエンヌの筆名で書いた反植民地主義宣言『脱走兵』を刊行したために、ランドン編集長が有罪判決を受けた。ヴィダル=ナケはこうした経緯をまとめた研究書『共和国における拷問 1954-1962』を執筆。1972年に深夜叢書から刊行された。

この他、パレスチナ問題に関するヴェルジェスの著書や、エリアス・サンバーらが創刊した中東問題に関する季刊『パレスチナ研究誌』(1982年から2008年まで計108号) を刊行した[24]

新傾向の文学・哲学

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近年までの文学作品では、特に新しい傾向の作家を発掘し、モニック・ウィティッグの代表作『子供の領分』(メディシス賞受賞)、『女ゲリラたち』、『レスビアンの躰』、トニー・デュヴェールの『幻想の風景』(メディシス賞受賞)ほか全作品、ジャン・エシュノーズの『チェロキー』(メディシス賞受賞)、『ぼくは行くよ』(ゴンクール賞受賞)ほか全作品、ジャン=フィリップ・トゥーサンの『逃げる』(メディシス賞受賞)ほか全作品、エルヴェ・ギベールの1989年までの作品、マリー・ンディアイの『ロジー・カルプ』(フェミナ賞受賞)ほか2004年までの作品[25]、エルヴェ・ギベールの1989年までの作品などを刊行している。

深夜叢書のシリーズには言語研究に関する「プロポジシオン (提案)」、ディディエ・フランクが創刊した「フィロゾフィー (哲学)」があり、また、ジル・ドゥルーズのほとんどの作品が「クリティック」、「アルギュマン (議論)」、「パラドックス (逆説)」のシリーズとして刊行された。また、ピエール・ブルデューは「サンス・コマン (常識)」シリーズを創刊・主宰し、代表作をこのシリーズから発表している。これらのシリーズはダヴィッド・ラプジャードら若手研究者を紹介する場ともなっている。

脚注

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  1. ^ EDITIONS DE MINUIT (PARIS 6) Chiffre d'affaires, résultat, bilans sur SOCIETE.COM - 552064883” (フランス語). www.societe.com. 2019年8月23日閲覧。
  2. ^ 名称の訳語については、1) 岩波書店広辞苑』のほか、2)「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」、3)「小学館 デジタル大辞泉」、4)「三省堂 大辞林 第三版」、5)「小学館 精選版 日本国語大辞典」に「深夜叢書」の項目がある。2)から5)はコトバンク深夜叢書」による。この他、大島博光著『レジスタンスと詩人たち』(白石書店、1981年) の「深夜叢書として非合法に出版」、ジャン・ポーラン編『祖国は日夜つくられる』第I巻(渡辺淳小場瀬卓三安東次男共訳、月曜書房、1951年)所収のピエール・ド・レスキュール著「深夜叢書」など。脚注、参考資料も参照のこと。
  3. ^ Musée de la Résistance et de la Déportation de la Haute-Garonne. “Art et Littérature pendant la seconde guerre mondiale” (フランス語). Musée de la résistance en ligne. 2019年8月23日閲覧。
  4. ^ a b 細川真由 2017.
  5. ^ 安原伸一朗「紙の争奪戦 ― ナチス占領下のフランスにおける検閲と作家の文筆活動」『言語情報科学』第4号、2006年、339-355頁。 
  6. ^ 重見晋也「パラテクスト研究の問題点 ― Confluences誌を対象とした調査の事例に基づいて」『HERSETEC. テクスト布置の解釈学的研究と教育』第5巻第2号、2011年、23頁。 
  7. ^ Historique” (フランス語). La Nouvelle Revue Française. 新フランス評論. 2019年8月23日閲覧。
  8. ^ 吉井亮雄「『新フランス評論』創刊百周年 : アンドレ・ジッド関連の出版・行事を中心に」『仏文研究』第40巻、京都大学フランス語学フランス文学研究会、2009年10月、1-12頁、doi:10.14989/138007hdl:2324/19167ISSN 0385-1869NAID 120002834456 
  9. ^ 戦後、『オ・ピロリ』の編集長ジャン・ドローフランス語版は、7年の懲役刑、『ジュ・スイ・パルトゥー』の編集長ロベール・ブラジヤック銃殺刑、『ラ・ジェルブ』の創刊者アルフォンス・ド・シャトーブリアンフランス語版戦争犯罪を問われドイツに逃亡。
  10. ^ 松田和之 2004.
  11. ^ レットル・フランセーズ (精選版 日本国語大辞典)”. コトバンク. 2019年8月23日閲覧。
  12. ^ 大島博光 1981.
  13. ^ 大島博光「英雄・殉難者・詩人たちの名誉」『エリュアール』新日本出版社、1988年http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/blog-entry-3298.html 
  14. ^ Lugan, Mikaël (2016-07-12). Boisset, Emmanuel; Corno, Philippe. eds (フランス語). Que m'arrive-t-il ? : Littérature et événement. Rennes: Presses universitaires de Rennes. pp. 279–292. ISBN 9782753546332. http://books.openedition.org/pur/29818 
  15. ^ ジャン・ポーラン編 編、小場瀬卓三ほか 訳『祖国は日夜つくられる (第I巻)』月曜書房、東京、1951年https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000274215-00 
  16. ^ ジャン・ポーラン編 編、小場瀬卓三ほか 訳『祖国は日夜つくられる (第II巻)』月曜書房、東京、1951年https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000612203-00 
  17. ^ a b c d Historique” (フランス語). www.leseditionsdeminuit.fr. Les Éditions de Minuit. 2019年8月23日閲覧。
  18. ^ L'existence courte et mouvementée de la revue 84, sous le parrainage d'Artaud” (フランス語). France Culture (2018年10月21日). 2019年8月23日閲覧。
  19. ^ 『鼠の話』、『ディアヌス』とも『ジョルジュ・バタイユ著作集 第2巻 不可能なもの』(生田耕作訳、二見書房、1979年) 所収。『アーサー・ミラー III ― みんな我が子 / 橋からのながめ』倉橋健訳、早川書房 / ハヤカワ演劇文庫、2017年。ディラン・トマス『仔犬のような芸術家の肖像』松浦直巳訳、昭森社、1964年。ピエール・クロソウスキー『ロベルトは今夜』若林真訳、河出書房新社、2006年。カール・ヤスパース『責罪論』橋本文夫訳、理想社、1965年。
  20. ^ ジョルジュ・バタイユ『呪われた部分』酒井健訳、筑摩書房 / ちくま学芸文庫、2018年。『C神父 (ジョルジュ・バタイユ著作集)』若林真訳、二見書房、1971年。『エロティシズム』酒井健訳、筑摩書房 / ちくま学芸文庫、2004年。モーリス・ブランショ『ロートレアモンとサド』小浜俊郎訳、国文社、1970年。『ブランショ小説選 ― 謎の男トマ / 死の宣告 / 永遠の繰言』菅野昭正三輪秀彦訳、書肆心水、2005年。ジャン・カスー『近代芸術の状況』滝口修造大久保和郎訳、人文書院、1956年。
  21. ^ サミュエル・ベケット『モロイ』宇野邦一訳、河出書房新社、2019年。『マロウン死す』宇野邦一訳、河出書房新社、2019年。『名づけえぬもの』安藤元雄訳、白水社、1995年。『新訳ベケット戯曲全集1 ゴドーを待ちながら / エンドゲーム』岡室美奈子訳、白水社、2018年。
  22. ^ 『尋問』長谷川四郎訳、みすず書房、1958年
  23. ^ 大嶋えり子「【68年5月/移民】:移民との連帯:アルジェリア独立戦争から68年5月へ」『人文学報フランス文学』第515巻第15号、首都大学東京人文科学研究科 人文学報編集委員会、2019年、71-89頁、CRID 1050001338938693120ISSN 0386-8729NCID AN00122923 
  24. ^ Revue d'études palestiniennes n° 108” (フランス語). www.leseditionsdeminuit.fr. Les Éditions de Minuit. 2019年8月23日閲覧。
  25. ^ モニック・ウィティッグ『子供の領分』小佐井伸二訳、白水社、1966年。『女ゲリラたち』小佐井伸二訳、白水社、1973年。『レスビアンの躰』中安ちか子訳、講談社、1980年。トニー・デュヴェール『幻想の風景』斎藤昌三訳、白水社、1979年。『チェロキー』谷昌親訳、白水社、1994年。『ぼくは行くよ』青木真紀子訳、集英社、2002年。ジャン=フィリップ・トゥーサンの『逃げる』野崎歓訳、集英社、2006年。マリー・ンディアイの『ロジー・カルプ』小野正嗣訳、早川書房、2010年。

参考資料

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関連項目

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外部リンク

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