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ミキハウス硬式野球部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミキハウス硬式野球部
チーム名(通称) ミキハウス
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 企業チーム
創部 1995年
チーム名の遍歴

  • ミキハウス (1995 - 2005 , 2019 - )
本拠地自治体

監督 陣田匡人
都市対抗野球大会
出場回数 5回
最近の出場 2024年
最高成績 2回戦進出
社会人野球日本選手権大会
出場回数 2回
最近の出場 2003年
最高成績 ベスト4
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし

ミキハウス硬式野球部(ミキハウスこうしきやきゅうぶ)は、大阪府八尾市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟している社会人野球の企業チーム。

概要

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スポーツ活動に力を入れる子供服メーカーの三起商行が、1995年に『ミキハウス硬式野球部』として創部。創部当初からキューバ人選手を迎え入れるなど積極的なチーム作りを見せる。合宿所、練習グラウンドはいずれも三重県上野市(現:伊賀市)に所在していた。

1999年プロ野球ドラフト会議では吉崎勝日本ハムファイターズから3位指名を受け、同チームから初となるプロ野球選手が誕生した。

2000年日本選手権で初出場を果たし、2003年日本選手権ではベスト4まで勝ち進んだ。

2004年秋、本社の経営悪化に伴うスポーツ活動の見直しから、翌2005年都市対抗野球をもって廃部することが決定。主力選手が大量に移籍して戦力が大幅に弱体化した中で都市対抗野球野球本大会に初出場を果たすが、同年の8月25日付けで解散し、10年間の歴史の幕を閉じた[1]

2009年、三起商行はクラブチームの『Ritsベースボールクラブ』のスポンサーとなり、チーム名を『ミキハウスREDS』と改称し野球活動を再開。その後、チーム名を『ミキハウスベースボールクラブ』と改称し、2013年にはクラブ野球選手権で準優勝を果たし、プロ入り選手も輩出した。

2018年12月25日、三起商行が支援体制が整ったとして企業チームとして復活することとなった[2][3]。活動実績は1995年~2005年のミキハウスのものを引き継ぎ[2]、部員やスタッフはミキハウスベースボールクラブから引き継いで活動する[3]。活動再開に先立ち、ミキハウスベースボールクラブは12月10日付で解散となった[2]

2021年第92回都市対抗野球大会では予選を勝ち抜き近畿第2代表として出場が決まり[4]、活動再開後初めてとなる全国大会出場を果たした。都市対抗本戦では、2020年東京オリンピックの空手競技で銀メダルを獲得した清水希容をマスコットとしてベンチ入りさせた[5]

2022年、都市対抗に2年連続で出場すると、1回戦で名古屋市・東邦ガスに勝利し、大会初勝利を挙げた。

設立・沿革

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主要大会の出場歴・最高成績

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主な出身プロ野球選手

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2005年以前
2019年以降

元プロ野球選手の競技者登録

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2005年以前
2019年以降

かつて在籍していた選手

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2019年以降

脚注

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  1. ^ 最後までチームに残った選手のうち数名は翌2006年から活動を開始したセガサミーに転籍し、チームの草創期を支えた。
  2. ^ a b c チーム情報 2018年 登録・変更情報”. 日本野球連盟. 2018年12月27日閲覧。
  3. ^ a b ミキハウスが再加盟”. 時事通信 (2018年12月25日). 2018年12月27日閲覧。
  4. ^ ミキハウス16年ぶり2度目の都市対抗出場「第2代表はできすぎ」陣田監督”. 日刊スポーツ (2021年9月22日). 2021年12月1日閲覧。
  5. ^ “清水希容 都市対抗野球で“ベンチ入り”、所属する「ミキハウス」チームマスコットで「最高のエール送る」”. スポーツニッポン. (2021年11月23日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2021/11/23/kiji/20211123s00105000157000c.html 2021年12月1日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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