ミカ・ミリャホ
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ミカ・ユハニ・ミリャホ(フィンランド語:Mika Juhani Myllyaho、1966年12月30日[1][2] - )は、フィンランドの国立劇場総監督、俳優、劇作家。ケラヴァ生まれ。2010年からフィンランド国立劇場総監督を務めている[3][4]。
経歴
[編集]ミカ・ミリャホは父ウルホ・ミリャホ、母リリャ・ミリャホの下に生まれた。1999年、ヘルシンキ演劇大学を卒業。2002年から2006年まで同大学の講師。主要な活動の場は1998年からグループ劇場(Ryhmäteatteri)とフィンランド国立劇場であり、前者の芸術監督を作家で演出家のエサ・レスキネンと共同で務める。また自身の演出により、後者のウィレンサウナ劇場でソフィ・オクサネンの劇作品「粛清」(Purge)の世界初演を手がけ(2007年)、同じ演出版をタンペレ劇場でも上演した。
新しい形式の活動を国立劇場にもたらそうと、運営改革を重ねて設け劇場2箇所は「Kiertueäyttämö」とレストラン兼クラブに転用できる「Lavaklubi」があり、前者は全国に幅広く波及効果があった[3]。従来、海外の脚本中心に上演してきたプログラムを見直し、作家と演者のレジデント制(座付き制度)を導入して、自らも後進の指導にあたった[3]。国立劇場の演出作品は「lli Jukola's story」(2015年)、「Kirsikkapuisto」(2013年)、「Frankenstein」(2013年)、「Kansanhiihto」(2012年)、「Täällä Pohjantähten alla 201」(2011年)、「Puhdistus」(2007年)[3]。
ミリャホは劇作家として国内で最も実績のある一人で、国際的にも「パニック」(2005年)、「カオス」(2007年)、「ハルモニア」(2009年)は評価が高い[6]。舞台監督として国内で高く評価された作品に「クレルヴォ」(2001年、アレクシス・キヴェン)や新解釈「ハムレット」(2003年、シェイクスピア)など[3]。
ミリャホは俳優として劇場と映画で活動してきた。また3人の芸術監督の一人として、2007年からタンペレ演劇フェスティバル(Tampere Theatre Festival)に参画してきた。
受賞歴
[編集]- エイノ・カリマ賞[3] フィンランド国立劇場。クレルヴォの共同演出に対して。(同劇場の最優秀演出賞に相当)。
演出
[編集]年 | 劇場の略号 (凡例) |
原作 | 演目 | 備考欄 |
---|---|---|---|---|
1995 | コッコラ
市立劇場 |
ユサ・ペルトニエミ | ヒントレックの追悼行進 Peltoniemen Hintrekin Surumarssi | |
1997 | ∫ | カリグラ Caligula | ||
1998 | Ω | ネグラ島の郵便屋 | ||
Ω | ミーティング | |||
1999 | Ω | オリヴァー・ブコフスキ | 東京へ行く Tokioon menossa | |
Ω | そして彼はジャケットを着ている Ja hän puki takin yllensä' | |||
Ω | ウォータールー[疑問点 ] Waterloo | |||
2000 | Ω | サミ・ケスキ・ヴァハラ | 大洋の上で Valtameren yllä (2000) | |
≈ | 泣き虫 Itkupilli | |||
∫ | パト Pato | |||
2001 | Ω | ピーター・シェーファー | アマデウス | |
≈ | アレクシス・キヴィ | クッレルヴォ Kullervo | ||
2002 | Ω | ハーポヤ Haapoja | ||
≈ | 鉄はおいくら? Mitä rauta maksaa? | |||
≈ | ピクニック Piknik | |||
2003 | Ω | ハムレット 150 bpm | ||
スオメンリンナ
夏季劇場 |
アストリッド・リンドグレーン | 私の兄ライオンハート | ||
2004 | ≈ | マーティン・マクドナー | イニッシュモア中尉 Inishmoren luutnantti | |
Q劇場 | アストリッド・リンドグレーン | 私の兄ライオンハート Veljeni Leijonamieli | ||
2005 | Ω | ミカ・ミリャホ | パニック Panikki | |
2006 | Ω | 共同監督(エサ・レスキネン、ミカ・ミリャホ) | ヘルシンキの空の下で Helsingin taivaan alla[注釈 1] | |
ラハティ
市立劇場 |
青い惑星の野蛮な子供たち Sinisen planeetan villit lapset | |||
2007 | Ω | 無名兵士 | ||
≈ | ソフィ・オクサネン | 粛清 Puhdistus | 世界初演 | |
スオメンリンナ
夏季劇場 |
ヴァイノ・リンナ | 無名兵士 Tuntematon sotilas | ||
2008 | Ω | ミカ・ミリャホ | カオス Kaaos | |
2009 | Ω | ミカ・ミリャホ | ハルモニア | |
2011 | ≈ | ここ北極星の下で Täällä Pohjantähden alla | ||
2012 | ≈ | 大衆スキー Kansanhiihto | ||
2013 | ≈ | フランケンシュタイン Frankenstein | ||
≈ | Kirsikkapuisto[訳語疑問点] Kirsikkapuisto | |||
2015 | ≈ | アッリ・ユコラの物語 Alli Jukolan tarina | ||
2018 | ≈ | ミカ・ミリャホ | Korjaamo | |
2021 | ≈ | ミカ・ミリャホ | Kampaamo | |
セイナヨキ市立劇場。 | 凡例 Ω=グループ劇場。 ≈=フィンランド国立劇場。 ∫=
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 出演者は、サミ・ケスキ・ヴァハラ、エサ・レスキネン(Esa Leskinen)、ティーナ・リミ(fi)、ミカ・ミリャホ、ヴェイッコ・ヌーティネン(fi)、ハッリ・ヴィルタネン(fi)。
出典
[編集]- ^ 人物名鑑2011年版 2011, p. 621
- ^ 『Ilta-Sanomat』 2011, pp. 38–39
- ^ a b c d e f “CEO Mika Myllyaho” (pdf). フィンランド国立劇場 (2015年10月19日). 2016年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月29日閲覧。
- ^ “Teatterin pääjohtajan kausi on ollut täynnä säästöjä – "Kansallisteatterin paikallakin voi 20 vuoden päästä olla kuntosali" - [劇場の総監督時代は貯蓄に満ちていた - 「20年以内に国立劇場の敷地にジムが立つかもしれない」]” (フィンランド語). web.archive.org. Kulttuuri - Suomen kansallisteatteri [文化 - フィンランド国立劇場]. 新聞社ヘルシンギン・サノマット - Helsingin Sanomat (2015年1月31日). 2015年2月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月29日閲覧。
- ^ “Myllyaho, Mika” (en,fi,sv). www.dramacorner.fi. Nordic Drama Corner. 2024年2月29日閲覧。
- ^ 作品評は「Panikki」(2005年)、「Kaaos」(2007年)、「Harmonia」(2009年)、「Korjaamo」(2018年フィンランド国立劇場)、「Kampaamo」(2021年同左)が参照できる[5]。
- ^ “Myllyaho Mika [ミリヤホ、ミカ]”. Ilona-esitystietokanta [演劇データベース]. ウェブ出典. 2023年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月19日閲覧。
外部リンク
[編集]- 劇場総監督の任期は蓄えがたっぷりありそう - 「20年以内に国立劇場の敷地にジムが立つかもしれない」 2009年10月時点のインタビュー(就任9か月前)、聞き手はヘルシンギン・サノマット紙(HS.fi)Suna Vuori(スナ・ヴオリ)(Wayback Machine2015年02月04日版)。2024年2月29日閲覧。
- どうやって私は私になったか - ミカ・ミルヤホ 2010年3月8日時点のインタビューの文字起こし、聞き手はフィンランド放送局Emilia Kemppi(エミリア・ケンピ)。Ylen Elävä アーカイブ(Wayback Machine2016年8月8日版)。2024年2月29日閲覧。
- 国立劇場ミカ・ミリャホ総監督:劇場が上品でクレイジーでありますように(音声ファイル:43分) 2015年10月17日公開、フィンランド国営放送局のインタビュー、パニック障害を告白するミリャホ(ストリーミングサービス Yle Arena)。2024年2月29日閲覧。