マー伯爵
マー伯爵(マーはくしゃく、英語: Earl of Mar)は、スコットランド貴族の伯爵位。過去に6回創設されており、中世に創設されたマー伯爵位と1565年に新設されたとみなされているマー伯爵位の2つが現存している。
歴史
[編集]中世のマー伯
[編集]マーは古代アルバ王国(スコットランド王国)の封建家臣領のひとつであり、その支配者は「モーマー(mormaer)」と呼ばれた。その領域はアバディーンシャーのドン川とディー川の間あたりであった。マーのモーマーであったRuadrí(生没年不詳)は、1114年のスコーン修道院建立の勅許でラテン語の称号「Comes」を与えられたが、これは伯爵に相当する[1]。
その後、モーガン(生年不詳-1183頃)が2代マー伯を継承したことが1152年のダンファームリン修道院への勅許状の中で確認できる[1]。その後、その息子のジル・クリスト(生年不詳-1203頃)が3代伯となり[2]、ついでその弟ドノホー(生年不詳-1244頃)が4代伯となった。4代伯は1237年秋にイングランドとスコットランド間で締結されたヨーク条約の立会人を務めている[3]。
その息子の5代伯ウィリアム(生年不詳-1276頃)は、スコットランドの摂政会議のメンバーの一人となり、チェンバレンも務めた[1][4]。
その息子の6代伯ドムナル1世(生年不詳-1301頃)は、スコーンにおいてスコットランド王アレグザンダー3世(1241-1286)によってナイトに叙され、王女マーガレット(1261-1283)とノルウェー王エイリーク2世(1268-1299)の婚約の立会人を務めた。この2人の娘であるマーガレット(1283-1290)のスコットランド女王即位を支持したが、彼女がスコットランド帰国の道中に崩御するとブルース家の王位請求を支持し、娘のイザベラをロバート・ド・ブルース(1274-1329)(後のスコットランド王ロバート1世)の最初の妻にした(彼女とロバート1世の間の娘マージョリー・ブルースはハイ・ステュアートのウォルター・ステュアート(1296頃-1327)と結婚し、ステュアート朝の開祖ロバート2世(1316-1390)を産んだ)[1]。
6代伯の息子の7代伯ガルトナイト(生年不詳-1305頃)もブルース王家との関係を深めるべく、ロバート1世の姉にあたるクリスティーナ・ブルース(1278頃-1356/1357)と結婚した[1]。
その息子の8代伯ドムナル2世(生年不詳-1332)は、スコットランド王デイヴィッド2世(1324-1371)の摂政を務め、ダプリン・ミュアの戦いにおいて政府軍を率い、イングランド王エドワード3世(1312-1377)の息のかかった王位請求者エドワード・ベイリャル(1283-1367)や反乱貴族たちと戦ったものの、敗死している[5]。
その息子の9代伯トマス(生年不詳-1374頃)の代は平穏に終わったが、子供を残さずに死去したことにより最初の女系継承が行われ、妹のマーガレット(生年不詳-1391頃)が10代女伯爵を継承した[1]。彼女は初代ダグラス伯爵ウィリアム・ダグラス(1327頃-1384)の最初の妻だったが、男子を残さずに死去したため、娘であるイザベル・ダグラス(1360頃–1408)が11代女伯爵を継承した[6]。彼女はスコットランド王ロバート2世の孫アレグザンダー・ステュアート(1375頃–1435)と結婚し、その直後の1404年12月9日の勅許状により夫にマー伯位を譲っている[7]。夫妻に子供はなかったため、12代伯の死後、マー伯領は王室に没収された。
ステュアート王朝の分流の爵位に
[編集]後世に認定されたデ・ジュリの上では12代伯の死後、7代伯の娘エレンの孫にあたる初代アースキン卿ロバート・アースキン(生年不詳-1453)が13代マー伯位を継承したことになるが、その息子である2代アースキン卿トマス・アースキン(生年不詳-1494)(デ・ジュリの上では14代マー伯)が、12代伯の権利の継承者であることを請求した時、スコットランド王ジェイムズ2世(1430-1460)に認められなかった[1]。
アースキン家の継承を否認したジェイムズ2世は息子の一人ジョン・ステュアート(生年不詳-1479)にギリー伯(Earl of Garioch)とともにマー伯爵を与えた。しかしマー伯ジョンとオールバニ公アレグザンダー・ステュアート(1454頃–1485)は、兄王ジェイムズ3世(1452-1488)に反抗し、ついには兄王暗殺まで計画したため、1478年に逮捕された[8]。マー伯ジョンはその翌年に監禁状態のまま死去したが、子供がなかったため、爵位は一代で廃絶した[9]。
彼の死後、ジェイムズ3世の寵臣ロバート・コクラン(生年不詳-1482)にマー伯位が与えられたという伝承があるが、その記録は残っていない[10]。
一方マー伯ジョンと一緒に逮捕されたオールバニ公は脱走に成功し、フランス、ついでイングランドへ亡命した[8]。1482年には、イングランド王エドワード4世(1442-1483)に臣従を約してイングランド軍とともにベリク包囲戦を開始したが、その戦争中にスコットランドで不平貴族による反乱があり、コクランは殺害されてジェイムズ3世が幽閉される事件があった。戦いに勝利してエディンバラに入城したオールバニ公だったが、自らの不人気を悟って「兄王を救出する」というお題目に切り替え、1482年9月には幽閉中のジェイムズ3世を解放した。これに感謝したジェイムズ3世は1483年1月頃にオールバニ公にマー伯位とギリー伯位を与えた。しかしその後オールバニ公が再び王位への野心を露わにしたので1483年6月に全爵位をはく奪された[11][12]。
その後、ジェイムズ3世の息子の一人であるジョン・ステュアート(生年不詳-1503)が1486年3月2日にマー伯に叙せられたが、結婚する前に死去したので子供はなく、彼一代で廃絶した[13]。
その後、ジェイムズ5世(1512-1542)と、5代アースキン卿ジョン・アースキン(生年不詳-1555)(デ・ジュリの上では17代マー伯)の娘であるマーガレット・アースキン(生年不詳-1572)の間に生まれた非嫡出子ジェイムズ・ステュアート(生年不詳-1570)が1562年1月30日にマリ伯爵とともにマー伯爵を与えられた[14][15]。しかし彼はジェイムズ6世(1566-1625)の摂政として親イングランド・プロテスタント政策を推進したため、ハミルトン家の者に暗殺されるという最期を迎えた[5]。彼には女子しかなかったため、女子相続が可能な特別継承規定が加えられたマリ伯は存続したが、特別継承規定が加えられなかったマー伯は彼一代で廃絶することになった[15][14]
アースキン家
[編集]アースキン姓はレンフルーのクライド川南のアースキンに由来する。この言葉は古代の共通ブリソン語で「緑の高台」という意味である[16]。アレグザンダー2世(1189-1249)の時代にはヘンリー・ド・アースキン(Henry de Erskine)がバロニー(封建的領地)を所有していた。ヘンリーは1226年のペイズリー修道院への保護権とロスニースの十分の一税徴収権のレノックス伯爵の勅許状の立会人になっている[16]。
ラグマン・ロールズにはエドワード1世(1239-1307)に臣従を誓ったスコットランド貴族の一人としてジョン・ド・アースキン(John de Irskyn)の名前が出てくる[16]。その息子のサー・ジョン・ド・アースキン(生没年不詳)は、娘のヘレン(生没年不詳)をロバート1世の弟トマス・ド・ブルース(生年不詳-1307)に嫁がせた[16][17]。また彼のもう一人の娘アリスもロバート2世の父にあたるウォルター・ステュアートの最初の妻になっている[18]。
アースキン家はブルース氏族の熱心な支持者であり、サー・ロバート・アースキン(Sir Robert Erskine, 生年不詳-1385)はデイヴィッド2世からスターリング城の城守やチェンバレンに任命され、デイヴィッド2世の崩御後はロバート2世の即位を支持してステュアート朝の樹立に貢献した[16][19]。
彼の息子であるサー・トマス・アースキン(生年不詳-1403)は、7代マー伯の娘エレンの孫にあたるジャネット・ケイス(生没年不詳)と結婚した[20]。前述のとおり、後世の認定ではその間の子ロバート・アースキンが12代伯の死後に13代伯を継承しているのだが、当時の国王ジェイムズ2世はアースキン家のマー伯継承を認めなかった。代わりにロバート・アースキンに認められたのはアースキン卿(Lord Erskine)という新規の爵位だった[21][22]。以降アースキン家はマー伯を請求して王室と対立する一方、国王の後見役を務め続けた[16]。
5代アースキン卿ジョン・アースキン(生年不詳-1555)(デ・ジュリで17代マー伯)の娘マーガレット・アースキン(生年不詳-1572)は、スコットランド王ジェイムズ5世(1512-1542)との間に非嫡出子の初代マリ伯ジェイムズ・ステュアートを儲けている。彼がマリ伯とともにマー伯位を新規に与えられたのは前述のとおりである[23]。
6代アースキン卿ジョン・アースキン(生年不詳-1572)は、当初メアリー女王の支持者であり[24]、1565年6月23日には女王によって18代マー伯位の継承を認められた[25]。この際に女王は「頑迷な統治者や役人たちによって締め出されてきた正統な継承者に継承物を回復させることに良心を動かされた」と宣言している[1]。また彼は、後述の1875年の貴族院の決定により1565年7月20日に新規のマー伯位にも叙せられたと見做されている[25]。彼は後にメアリー女王を見限って反乱貴族に加わり、彼女の投降を受け入れた後、ジェイムズ6世の摂政に就任した[26]、
20代マー伯ジョン・アースキン(1585頃–1654)は、国王チャールズ1世の宗教政策に反対していたにもかかわらず、尊王心からピューリタン革命では王党派として戦い、その結果1660年の王政復古までマー伯爵家の財産が失われることになった[1]。
23代マー伯ジョン・アースキン(1675–1732)は、アン女王(1665–1714)時代のトーリー党政権でスコットランド担当大臣を務めたが、ジョージ1世(1660–1727)の即位後にホイッグ党政権が成立したことで政権から排除され、それを恨んでジャコバイトとなり、大僭称者ジェイムズ(1688–1766)のために1715年9月にブレイマーで挙兵し、スコットランドにおけるジャコバイト蜂起を起こした。しかしこの反乱は失敗に終わり、大僭称者とともにフランスへ逃げ帰った[26]。そのため1716年2月の議会法で私権剥奪されて爵位を喪失した[22]。一方大僭称者からはジャコバイトの爵位としてスコットランド貴族爵位「マー公爵(Duke of Mar)」や「アースキン侯爵(Marquess of Erskine)」、イングランド貴族爵位としての「マー伯爵」等を次々に与えられて厚遇された[27]。
23代伯の私権剥奪後、100年以上マー伯の不在が続いたが、23代伯の娘フランセス(生年不詳-1776)と23代伯の弟の子ジェイムズ・アースキン(生年不詳-1785)の間の子ジョン・フランシス・アースキン(1741–1825)は、1824年6月17日の議会法により2つのマー伯位(24代マー伯・7代マー伯)の回復を受けた[28]。
5代アースキン卿(デ・ジュリの17代マー伯)からの分流にスコットランド貴族ケリー伯爵アースキン家があったが、10代ケリー伯メスベン・アースキン(1750頃-1829)が1829年12月3日に死去すると初代ケリー伯の直系の男系男子はいなくなった。この家の持つ爵位群は初代以前に遡った継承が可能であったため、5代アースキン卿まで遡った分流の26代マー伯ジョン・フランシス・ミラー・アースキン(1795–1866)が継承していることが1835年9月3日に確認された。これによりスコットランド貴族爵位ケリー伯爵(Earl of Kellie)、フェントン子爵(Viscount of Fentoun)、ディールトンのアースキン卿(Lord Erskine of Dirletoun)、ディールトン卿(Lord Dirletoun)をマー伯の従属爵位に加えることになった[29]。
マー伯が2つに分裂
[編集]子供のない26代伯の死後、男系男子に限定されるケリー伯位は24代伯に遡っての分流であるウォルター・コニングスビー・アースキン(1810–1872)に継承されたが(12代ケリー伯)、マー伯位の方は継承者が不明になり、とりあえず26代伯の妹フランセス・アースキン(生年不詳-1842)とウィリアム・グッドイヴ(生年不詳-1861)の間の息子であるジョン・フランシス・アースキン・グッドイヴ=アースキン(1836–1930)が継承者と仮定された。しかし12代ケリー伯の息子である13代ケリー伯ウォルター・ヘンリー・アースキン(1839–1888)は、マー伯位はピーアリージ(peerage)の爵位ではなく、領土と不可分の爵位であるため、アレグザンダー・ステュアートの死後、その領土が王冠に返還された時点で廃絶しており、1565年に行われたマー伯位の回復とは、中世のマー伯の復活ではなく、ピーアリージの爵位として新規に与えられた物であり、したがって男系男子に限定される爵位と推測できるので自分がマー伯の継承者であると貴族院に請求した。一方グッドイヴ=アースキンは、そもそもジェイムズ1世はロバート・アースキンが継承すべきだったアレグザンダー・ステュアートのマー伯領を暴君的手法で不法に強奪したのであり、「本当のマー伯」たちもそれを主張し続けてきた。1565年のマー伯の回復は新規の創設ではなく、中世のマー伯位の復活させるものであると主張した。しかし1875年2月25日、貴族院の特権委員会は、マー伯位は1565年に新規に創設されたものとして12代ケリー伯にマー伯の継承資格を認めた[22][30]。
しかしこの1875年の貴族院特権委員会の決定には批判が多く、1885年の議会法により是正が行われた。これにより中世からのマー伯位の方も存続しており、グッドイヴ=アースキンがその継承者であることが確認された。すなわち1565年にジョン・アースキンは中世からのマー伯位の復活を受けるとともにその数週間後に別のマー伯位を新規に授与されたと見做すことになった[22][31]。
これ以降マー伯は、男子なき場合に女系継承が行われる中世からのマー伯と、男系男子に限定される1565年創設のマー伯の2つに分かれることになった。前者の現当主は第31代マー女伯爵マーガレット・アリソン・オブ・マー(1940-)である[22][32]。後者の現当主は第14代マー伯ジェイムズ・ソーン・アースキン(1949-)である[33][34]。マーガレットはマー氏族、ジェイムズはアースキン氏族の現在の族長(Chief)でもある。
現当主の保有爵位
[編集]中世創設のマー伯爵家
[編集]現当主マーガレット・オブ・マーは以下の爵位を保有している[22][32]。
- 第31代マー女伯爵 (31st Countess of Mar)
- (1114年頃創設のスコットランド貴族爵位)
1565年創設のマー伯爵家
[編集]現当主ジェイムズ・アースキンは以下の爵位を保有している[33][34]
- 第14代マー伯爵 (14th Earl of Mar)
- (1565年7月22日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
- 第16代ケリー伯爵 (16th Earl of Kellie)
- (1619年3月12日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
- 第16代フェントン子爵 (16th Viscount of Fentoun)
- (1606年3月18日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
- ディールトンの第16代アースキン卿 (16th Lord Erskine of Dirletoun)
- (1603年頃の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
- 第16代ディールトン卿 (16th Lord Dirletoun)
- (1606年3月18日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
- クラックマナンシャーにおけるアロアのアロアのアースキン男爵 (Baron Erskine of Alloa, of Alloa in Clackmannanshire)
- (2000年4月19日の勅許状による連合王国一代貴族爵位)
歴代当主一覧
[編集]マー伯 (中世創設)
[編集]- 初代マー伯Ruadrí (生没年不詳)
- 2代マー伯モーガン (生年不詳-1183頃)
- 3代マー伯ジル・クリスト (生年不詳-1203頃)
- 4代マー伯ドノホー (生年不詳-1244頃)
- 5代マー伯ウィリアム (生年不詳-1276頃)
- 6代マー伯ドムナル1世 (生年不詳-1301頃)
- 7代マー伯ガルトナイト (生年不詳-1305頃)
- 8代マー伯ドムナル2世 (生年不詳-1332)
- 9代マー伯トマス(生年不詳-1374頃)
- 10代マー女伯マーガレット(生年不詳-1391頃)
- 11代マー女伯イザベル・ダグラス(1360頃–1408)
- 12代マー伯アレグザンダー・ステュアート(1375頃–1435) 1404年の勅許状で妻からマー伯を継承
- 13代マー伯(デ・ジュリ)・初代アースキン卿ロバート・アースキン (生年不詳-1453) 1885年議会法により13代伯爵と見做される[Note 1]
- 14代マー伯(デ・ジュリ)・2代アースキン卿トマス・アースキン (生年不詳-1494)
- 15代マー伯(デ・ジュリ)・3代アースキン卿アレグザンダー・アースキン (生年不詳-1510)
- 16代マー伯(デ・ジュリ)・4代アースキン卿ロバート・アースキン (生年不詳-1513)
- 17代マー伯(デ・ジュリ)・5代アースキン卿ジョン・アースキン (生年不詳-1555)
- 18代/初代マー伯・6代アースキン卿ジョン・アースキン (生年不詳-1572) 1565年にマー伯を回復。これについて1875年の貴族院は新規と見做し、1885年議会法は復活と新規2つあると見做した。新規の方は下記参照
- 19代/2代マー伯・7代アースキン卿ジョン・アースキン (1558頃–1634)
- 20代/3代マー伯・8代アースキン卿ジョン・アースキン (1585頃–1654)
- 21代/4代マー伯・9代アースキン卿ジョン・アースキン (生年不詳-1668)
- 22代/5代マー伯・10代アースキン卿チャールズ・アースキン (1650–1689)
- 23代/6代マー伯・11代アースキン卿ジョン・アースキン (1675–1732) 1716年に私権剥奪
- 24代/7代マー伯ジョン・フランシス・アースキン(1741–1825) 1824年に回復
- 25代/8代マー伯ジョン・トマス・アースキン (1772–1828)
- 26代/9代マー伯・11代ケリー伯ジョン・フランシス・ミラー・アースキン (1795–1866) 1829年にケリー伯を継承したことが1835年に確認される
- 27代マー伯ジョン・フランシス・アースキン・グッドイヴ=アースキン (1836–1930) 1885年に回復
- 28代マー伯ジョン・フランシス・ハミルトン・シンクレア・カンリフ・ブルックス・フォーブス・グッドイヴ=アースキン (1868–1932)
- 29代マー伯ライオネル・ウォルター・アースキン=ヤング (1891–1965)
- 30代マー伯ジェイムズ・クリフトン・オブ・マー (1914–1975)
- 31代マー女伯マーガレット・アリソン・オブ・マー (1940-)[35]
- 推定相続人は現当主の長女スーザン・ヘレン・オブ・マー (1963-)
- その推定相続人はその娘のイザベル・アリス・オブ・マー (1991-)
- 推定相続人は現当主の長女スーザン・ヘレン・オブ・マー (1963-)
マー伯 (1459年創設)
[編集]- 初代マー伯/初代ギリー伯ジョン・ステュアート (生年不詳-1479)
マー伯 (1483年創設)
[編集]- 初代オールバニ公/初代マー伯/初代ギリー伯アレグザンダー・ステュアート (1454頃–1485) 1483年に没収
マー伯 (1486年創設)
[編集]- 初代マー伯/初代ギリー伯ジョン・ステュアート (生年不詳-1503)
マー伯 (1562年創設)
[編集]- 初代マリ伯/初代マー伯ジェイムズ・ステュアート (生年不詳-1570)
マー伯 (1565年創設)
[編集]- 初代/18代マー伯ジョン・アースキン (生年不詳-1572) 1565年にマー伯を回復。これについて1875年の貴族院は新規と見做し、1885年議会法は復活と新規2つあると見做した。復活の方は上記参照
- 2代/19代マー伯ジョン・アースキン (1558頃–1634)
- 3代/20代マー伯ジョン・アースキン (1585頃–1654)
- 4代/21代マー伯ジョン・アースキン (生年不詳-1668)
- 5代/22代マー伯チャールズ・アースキン (1650–1689)
- 6代/23代マー伯ジョン・アースキン (1675–1732) 1716年に私権剥奪
- 7代/24代マー伯ジョン・フランシス・アースキン(1741–1825) 1824年に回復
- 8代/25代マー伯ジョン・トマス・アースキン (1772–1828)
- 9代/26代マー伯・11代ケリー伯ジョン・フランシス・ミラー・アースキン (1795–1866) 1829年にケリー伯を継承したことが1835年に確認される
- 10代マー伯(デ・ジュリ)・12代ケリー伯ウォルター・コニングスビー・アースキン (1810–1872) 死後に10代マー伯に認定される
- 11代マー伯・13代ケリー伯ウォルター・ヘンリー・アースキン (1839–1888) 1875年にマー伯を回復
- 12代マー伯・14代ケリー伯ウォルター・ジョン・フランシス・アースキン (1865–1955)
- 13代マー伯・15代ケリー伯ジョン・フランシス・ハーヴィー・アースキン (1921–1993)
- 14代マー伯・16代ケリー伯ジェイムズ・ソーン・アースキン (1949-)
家系図
[編集]2代マー伯 モーガン (生年不詳-1183頃) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
3代マー伯 ジル・クリスト (生年不詳-1203頃) | 4代マー伯 ドノホー (生年不詳-1244頃) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
5代マー伯 ウィリアム (生年不詳-1276頃) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
6代マー伯 ドムナル1世 (生年不詳-1301頃) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
スコットランド王 ロバート1世 (1274-1329) | イザベラ (生没年不詳) | 7代マー伯 ガルトナイト (生年不詳-1305頃) | |||||||||||||||||||||||||||||||
マージョリー・ブルース (1297-1316) m.ウォルター・ステュアート | |||||||||||||||||||||||||||||||||
スコットランド王 ロバート2世 (1316-1390) | 8代マー伯 ドムナル2世 (生年不詳-1332) | エレン (生没年不詳) m.ジョン・ド・メンティス | |||||||||||||||||||||||||||||||
バカン伯 アレグザンダー・ステュアート (1343-1405) | 9代マー伯 トマス (生年不詳-1374頃) | 10代マー女伯 マーガレット (生年不詳-1391頃) m.初代ダグラス伯ウィリアム・ダグラス | クリスティアン・メンティス (生年不詳-1387頃) m.エドワード・ケイス | ||||||||||||||||||||||||||||||
12代マー伯 アレグザンダー・ステュアート (1375頃–1435) | 11代マー女伯 イザベル・ダグラス (1360頃–1408) | ジャネット・ケイス (1348頃-1413) m.トマス・アースキン | |||||||||||||||||||||||||||||||
スコットランド王 ロバート3世 (1337-1406) | 13代マー伯(デ・ジュリ) 初代アースキン卿 ロバート・アースキン (生年不詳-1453) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
スコットランド王 ジェイムズ1世 (1394-1437) | 14代マー伯(デ・ジュリ) 2代アースキン卿 トマス・アースキン (生年不詳-1494) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
スコットランド王 ジェイムズ2世 (1430-1460) | 15代マー伯(デ・ジュリ) 3代アースキン卿 アレグザンダー・アースキン (生年不詳-1510) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
1483年マー伯(3期)創設 | 1458年頃マー伯(2期)創設 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
スコットランド王 ジェイムズ3世 (1451-1488) | 初代オールバニ公 初代マー伯 アレグザンダー・ステュアート (1454頃–1485) | 初代マー伯 ジョン・ステュアート (生年不詳-1479) | 16代マー伯(デ・ジュリ) 4代アースキン卿 ロバート・アースキン (生年不詳-1513) | ||||||||||||||||||||||||||||||
1483年マー伯(3期)剥奪 | マー伯(2期)廃絶 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
1486年マー伯(4期)創設 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
スコットランド王 ジェイムズ4世 (1473-1513) | 初代マー伯 ジョン・ステュアート (生年不詳-1503) | 17代マー伯(デ・ジュリ) 5代アースキン卿 ジョン・アースキン (生年不詳-1555) | |||||||||||||||||||||||||||||||
マー伯(4期)廃絶 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
1565年マー伯(1期)回復 1565年マー伯(6期)創設 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
スコットランド王 ジェイムズ5世 (1512-1542) | マーガレット・アースキン (生年不詳-1572) | 18代マー伯 初代マー伯 6代アースキン卿 ジョン・アースキン (生年不詳-1572) | |||||||||||||||||||||||||||||||
1562年マー伯(5期)創設 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
初代マリ伯 初代マー伯 ジェイムズ・ステュアート (生年不詳-1570) | 19代マー伯 2代マー伯 7代アースキン卿 ジョン・アースキン (1558頃–1634) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
マー伯(5期)廃絶 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
マリ伯爵家へ | |||||||||||||||||||||||||||||||||
20代マー伯 3代マー伯 8代アースキン卿 ジョン・アースキン (1585頃–1654) | 6代バカン伯爵 ジェイムズ・アースキン (1600-1640) m.6代バカン女伯メアリー・ダグラス | ||||||||||||||||||||||||||||||||
バカン伯爵家へ | |||||||||||||||||||||||||||||||||
21代マー伯 4代マー伯 9代アースキン卿 ジョン・アースキン (生年不詳-1668) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
22代マー伯 5代マー伯 10代アースキン卿 チャールズ・アースキン (1650–1689) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
23代マー伯 6代マー伯 11代アースキン卿 ジョン・アースキン (1675–1732) | ジェイムズ・アースキン (1679–1754) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
1716年私権剥奪でマー伯(1期/6期)喪失 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
アースキン卿(儀礼称号) トマス・アースキン (1705–1766) | フランセス・アースキン (-1776) | ジェイムズ・アースキン (-1785) | |||||||||||||||||||||||||||||||
1824年マー伯(1期/6期)回復 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
24代マー伯 7代マー伯 ジョン・アースキン (1741–1825) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
25代マー伯 8代マー伯 ジョン・アースキン (1772–1828) | ヘンリー・アースキン (1776-1846) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
26代マー伯 9代マー伯 11代ケリー伯 ジョン・アースキン (1795–1866) | フランセス・アースキン (生年不詳-1842) m.ウィリアム・グッドイヴ | 10代マー伯(デ・ジュリ) 12代ケリー伯 ウォルター・アースキン (1810–1872) | |||||||||||||||||||||||||||||||
死後マー伯帰属者不明に | |||||||||||||||||||||||||||||||||
1885年マー伯(1期)回復 | 1875年マー伯(6期)回復 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
フランセス・グッドイヴ (1831-1887) m.ジェイムズ・ヤング | 27代マー伯 ジョン・グッドイヴ=アースキン (1836–1930) | 11代マー伯 13代ケリー伯 ウォルター・アースキン (1839–1888) | |||||||||||||||||||||||||||||||
アリス・ヤング (1858-1951) m.ジェイムズ・レーン | チャールズ・ヤング (1862-1898) | 28代マー伯 ジョン・グッドイヴ=アースキン (1868–1932) | 12代マー伯 14代ケリー伯 ウォルター・アースキン (1865–1955) | ||||||||||||||||||||||||||||||
チャールズ・レーン (1882-1956) | 29代マー伯 ライオネル・アースキン=ヤング (1891–1965) | アースキン卿(儀礼称号) ジョン・アースキン (1895-1953) | |||||||||||||||||||||||||||||||
30代マー伯 ジェイムズ・オブ・マー (1914–1975) | 13代マー伯 15代ケリー伯 ジョン・アースキン (1921–1993) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
31代マー女伯 マーガレット・オブ・マー (1940-) m.エドウィン・オブ・マー | 14代マー伯 16代ケリー伯 ジェイムズ・アースキン (1949-) | マスターオブマー=ケリー(儀礼称号) アレグザンダー・アースキン (1952-) | |||||||||||||||||||||||||||||||
ミストレス・オブ・マー(儀礼称号) スーザン・オブ・マー (1963-) m.ブルース・ウィリー | アレグザンダー・アースキン (1979-) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
イザベル・オブ・マー (1991-) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1404年の勅許状からの13代伯爵と見做されており、これは12代伯アレグザンダー・ステュアートを含めたものである。しかしいくつかの文献はアレグザンダー・ステュアートを除くため、代数が一代ずれていることがある
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i Tribe of Mar: History
- ^ Lundy, Darryl. “Gilchrist, 3rd Earl of Mar” (英語). thepeerage.com. 2017年11月9日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Duncan, 4th Earl of Mar” (英語). thepeerage.com. 2017年11月9日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “William, 5th Earl of Mar” (英語). thepeerage.com. 2017年11月9日閲覧。
- ^ a b 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 189.
- ^ Lundy, Darryl. “Margaret, Countess of Mar” (英語). thepeerage.com. 2017年11月9日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Isabel Douglas, Countess of Mar” (英語). thepeerage.com. 2017年11月9日閲覧。
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- ^ Lundy, Darryl. “John Stewart, Earl of Mar and Garioch” (英語). thepeerage.com. 2017年11月9日閲覧。
- ^ N. A. T. Macdougall, ‘“It is I, the earle of Mar”: in search of Thomas Cochrane’, R. Mason and N. A. T. Macdougall (eds.), People and Power in Scotland: Essays in Honour of T. C. Smout (Edinburgh, 1992), 28–49, 42–3.
- ^ 森護 1988, p. 210-214.
- ^ Lundy, Darryl. “Alexander Stewart, 1st Duke of Albany” (英語). thepeerage.com. 2017年11月9日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Alexander Stewart, 1st Duke of Albany” (英語). thepeerage.com. 2017年11月9日閲覧。
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- ^ Lundy, Darryl. “Sir Thomas Bruce” (英語). thepeerage.com. 2017年11月9日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Walter Stewart, 6th High Steward of Scotland” (英語). thepeerage.com. 2017年11月9日閲覧。
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- ^ a b c d e f Heraldic Media Limited. “Mar, Earl of (S, 1114)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2017年10月26日閲覧。
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- ^ a b Heraldic Media Limited. “Mar, Earl of (S, 1565)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2017年10月26日閲覧。
- ^ a b Lundy, Darryl. “James Thorne Erskine, 14th Earl of Mar” (英語). thepeerage.com. 2017年11月9日閲覧。
- ^ Burke's Peerage[リンク切れ]
参考文献
[編集]- 松村赳、富田虎男『英米史辞典』研究社、2000年。ISBN 978-4767430478。
- 森護『スコットランド王国史話』大修館書店、1988年。ISBN 978-4469242560。