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マーク・チャップマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マーク・チャップマン
チャップマンのマグショット
生誕 (1955-05-10) 1955年5月10日(69歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 テキサス州フォートワース
現況 ウェンデ刑務所英語版にて服役
職業 被収容者
罪名 第二級謀殺
刑罰 無期刑
(服役して20年間経つと仮釈放される場合がある)
子供 なし
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マーク・デイヴィッド・チャップマン(Mark David Chapman、1955年5月10日 - )はアメリカ服役囚ジョン・レノン殺害犯。

略歴

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テキサス州フォートワース生まれ。アメリカ空軍3等軍曹の父デイヴィッドはチャップマンが生まれてまもなく除隊し、石油会社アメリカン・オイルで働いた[1][2]。母ダイアンは看護師。7歳下の妹がいる。本人談によると、父親は妻に暴力をふるう男で、息子にも愛情がなかった。父親に怯える生活の中で、自分は寝室の壁の中に住む小人たちを支配する王であるという空想に浸るようになる。小人たちの新聞やテレビに毎日登場し、彼らのためにヒーローのようにふるまうこともあれば、癇癪を起こして彼らを殺すこともあったが、いつも小人たちは許してくれた[2]。運動はできなかったがIQは121あり、大人の目には、ロケットUFOビートルズが大好きな普通の子供に映っていた[2]。父親はボーイスカウトのリーダーを務め、YMCAでギターを教えており、息子にも教える姿がしばしば目撃され、周囲からは幸せな一家と思われていた[2]

ディケーターのコロンビア高校に進学した14歳のころから親に反抗的になり、ドラッグに手を出し、夜遊びを始め、警察の世話になることもあったが、16歳のときに長老派伝道師説教会に行ったのをきっかけに人が変わったように真面目になり[1]聖書のリーフレットを配り歩き、学業も向上した。YMCAのサマーキャンプで指導員を務めたときは子供から絶大な人気を得、優秀指導員の賞を受けるほどだった。友人から『ライ麦畑でつかまえて』を薦められ、主人公のホールデン・コールフィールドにのめり込んでいった。

高校卒業後シカゴに移り、物まね芸をする友人と一緒に教会やクリスチャン向けのナイトスポットに出演し、ギターを担当したが、ほどなく故郷に戻りYMCAで働くためにコミュニティカレッジに通った[1][2]。YMCAの仕事でアーカンソー州ベトナム難民再定住施設で働き、ここでも子供から人気を集めた。その後、結婚を約束した恋人とテネシー州に移り、二人で長老派系の大学へ通ったが、成績が振るわず、しかも別の女性を愛して、罪悪感にさいなまれるようになった。このころから自殺願望が芽生え、大学を退学し、婚約者とも別れた[1][2]

故郷に戻り、再びYMCAのサマーキャンプ指導員になったがうまくいかず、警備員として働き始めた。1977年に自殺するためハワイへ向かったが、楽園で過ごすうちに生きる希望が生まれ、一度は故郷に戻ったが、両親と喧嘩して再びハワイへ飛んだ。浜辺で排ガス自殺を図ったが、日系人の漁師に見つかり一命を取り留め、神に救われたと感じた。病院でリハビリを受け、回復後は近くのガソリンスタンドで働きながら、病院のボランティアとして老人の介護や雑用を手伝った[1]。世界一周旅行の手配を通じて旅行代理店に勤めていた日系アメリカ人のグロリア・ヒロコ・アベと知り合った。グロリアには小さいころに患ったポリオのせいで足を引きずる障害があった。極東から東南アジアヨーロッパを回ってアトランタまで旅し、ハワイに戻って1979年にグロリアにプロポーズをした。グロリアは彼のために仏教からキリスト教に改宗した[2]

6月に結婚し、病院の印刷係として勤め始めたが、再び神経過敏になって周囲とうまくいかずクビになり、夜警になった。強迫観念から過度な飲酒と病的な浪費が始まったかと思えば、一転して節約に夢中になったり、さまざまな衝動的で暴力的な異常行動が続き、想像上の小人も再び現れるようになった。ジョン・レノンの伝記を読み、その金満生活に怒り狂い、レノン殺害計画を小人たちに話した。10月23日に夜警を辞め、27日に銃を買い、レノンの住むニューヨークに向けて30日にホノルルを発つ[1][2]

射殺事件の概要

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1980年12月8日22時50分ごろ、ニューヨークのセントラル・パーク西側の72番通りにある、ジョン・レノンの自宅であるダコタ・ハウスの前でレノンを銃撃し、その場で逮捕された[1]。レノンの妻オノ・ヨーコが「私達の安全が脅かされる」として仮釈放に反対している事もあり収監が継続されている[3]。12度目の仮釈放申請が2022年9月に却下されたので仮釈放は早くとも2024年である[4][5]

チャップマンはアパート前の草場の中でレノンの帰りを数時間待ち、レノンが到着すると背後から呼びかけた直後に拳銃を5発撃ち、内2、3発が胸に命中した(他は肩)。ハウスの警備員がすぐに駆けつけ拳銃を蹴り飛ばした。銃撃した後もチャップマンは現場にとどまり付近をうろついたり『ライ麦畑でつかまえて』を読んだりしている間に警官が到着してチャップマンを逮捕。

レノンの容態は急を要したため救急車を待たず、駆けつけたパトカーの後部シートに乗せられ、近くのルーズヴェルト病院英語版に搬送されたが、出血多量による死亡が23時ごろ確認されている。

事件後の処分

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逮捕後の裁判で彼は第二級謀殺の疑いで告発された。弁護士は彼が精神異常である事を申し立てると思われたが、有罪の申し立てを行なった[1]

チャップマンは第二級謀殺の罪で有罪と認定され「禁錮20年ないし終身の無期刑」を言い渡された。ニューヨーク州の州法においては、第二級謀殺の罪は20年服役後に仮釈放が許可される場合がある無期刑が最高刑[6]。ニューヨーク州バッファローの近くにあるウェンデ刑務所英語版にて服役中である。

ニューヨーク州・仮釈放委員会に2000年から2020年まで2年毎に仮釈放を合計12回申請したが、チャップマンの精神・言動に反省や謝罪や更生が見られない事、レノンの遺族である妻子への犯行の恐れがある事、レノンの妻であるオノ等の反対、チャップマンが仮釈放されたらレノンのファンに殺される恐れがある等として却下され[7][8][9][10][11] 現在も服役中である。

2014年に妻のグロリアに初インタビューしたイギリスの『デイリー・メール』誌によると、二人は年に一度44時間、刑務所内のキッチン付きトレーラーで過ごす事が許されているという[12]。結婚して1年半後に夫がレノンを殺害したが事件後も離婚していない[12]。夫婦でオノに対し赦しを乞う手紙を書いており、レノンとチャップマンは天国で再会すると信じており、また、ポール・マッカートニーに対し、刑務所を訪ねて現在のチャップマンに会えば、きっと彼を好きになるだろうと語ったという[12]。この件に関し、『デイリー・メール』誌は「心がかき乱される内容」と表現。マッカートニーも「私は誰でも許せる性質だと思うが、こいつだけは許す理由が見つからない。こいつは正気を失って、取り返しのつかない事をした。そんな人間に何故、容赦の気持ちを恵んでやる必要があるのかわからない」と述べている。

事件の疑惑

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犯行当時、レノンの狂信的ファンであると報じられ、世界的にその報道が定着したが、さまざまな憶測も語られた。ケネディ大統領暗殺事件に似た陰謀的暗殺[13]CIAの関与した催眠術説などがあるが、現在はチャップマンの単独犯行であると結論付けられている。

アメリカ国籍を正式取得する(永住権取得後、連続5年滞在で申請資格が出来る)1981年直前にレノンが殺害されたので反戦運動など政治的影響力のあるレノンを排除するため米国政府がレノンを暗殺したのでは?と推測する人もいる[14]。だが、チャップマン自身は「有名になりたくてレノンを殺した」と仮釈放申請の際に述べている。

映画

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参考文献

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  • ジャック・ジョーンズ『ジョン・レノンを殺した男』(堤雅久訳、リブロポート、1995年11月刊) ISBN 978-4845710485
  • 『昭和55年 写真生活』(ダイアプレス、2017年1月刊) ISBN 978-4802302524

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『昭和55年 写真生活』p32-34
  2. ^ a b c d e f g h Mark David Chapman: The Man Who Killed John Lennon Crime Library
  3. ^ ジョン・レノン殺害犯釈放にオノ・ヨーコが抗議 (映画.com 2010年7月28日付) 2010年9月8日閲覧
  4. ^ ジョン・レノン殺害犯、仮釈放申請11回目の却下”. BARKS (2020年8月28日). 2020年12月24日閲覧。
  5. ^ 故ジョン・レノンを射殺したマーク・デヴィッド・チャップマンの12回目の仮釈放申請が却下”. billboard Japan (2022年9月13日). 2022年9月30日閲覧。
  6. ^ Death Penalty Information Center>State by State>New York
  7. ^ BBC News>23 August 2012>Lennon killer Chapman denied parole for seventh time
  8. ^ Guardian>23 August 2012>John Lennon's killer Mark Chapman denied parole for seventh time
  9. ^ Telegraph>23 August 2012>John Lennon's killer Mark Chapman denied parole for seventh time
  10. ^ Daily Mail>23 August 2012>John Lennon's killer Mark David Chapman denied parole for SEVENTH time
  11. ^ CNN>August 23 2012>Man who shot John Lennon denied parole for 7th time
  12. ^ a b c WORLD EXCLUSIVE - My life married to John Lennon's killer: Disturbing first interview with the wife who's stood by Mark Chapman for 34 years as she reveals their sex behind bars.... and why she wants Yoko to forgive DailyMail, 13 December 2014
  13. ^ フィル・ストロングマン/アラン・パーカー共著『ジョン・レノン暗殺‐アメリカの狂気に殺された男』 (小山景子訳、K&Bパブリッシャーズ、2004年12月刊) ISBN 978-4902800012‐FBI資料をもとにレノン謀殺を説くノンフィクション。
  14. ^ 愛嶋稜『実録コミック フリーメイソン暗黒史』2007年12月24日初版 イースト・プレス刊