モンブラン (ケーキ)
モンブラン(Mont Blanc aux marrons)は、栗などを原料とするクリームを生地の上面に絞りかけたケーキ。モンブラン山の形に似ていることからこう呼ばれる。
概要
[編集]典型的には、カップケーキ型のスポンジ生地やメレンゲ、タルト生地などで作った土台の上にホイップクリームを乗せ、それを螺旋状に包むように絞り袋や小田巻[1]を使って絞り出した栗のクリームをあしらう[2]。その上に半分に切ったマロングラッセ、あるいは甘露煮の栗が一片載せられることもある[1]。形状や大きさ、土台となる生地部分には様々なバリエーションがある。上に降りかけられる白い粉砂糖は雪を表している[1]。
モンブランは各国で形状が異なる。フランス式のものは丸みを帯びたドーム状になっているが、これはフランスから見たモンブラン山のなだらかな丸みを反映しているとされる。一方イタリア式のものは鋭い山状になっているが、これはイタリア側から見える氷河に削り取られた峻厳な岩肌を投影していると考えられる[1]。
栗のクリームとして、形の崩れたマロングラッセをつぶして使うこともある[1]。
バリエーション
[編集]- 日本ではクリ以外にも、サツマイモやカボチャなどで代用したり、色付けし砂糖と香料を加えた白餡を乗せたケーキにも、同じ名称が冠されている[3]。また、栗のクリームに抹茶を混ぜ込んだ抹茶のモンブランや、ココアを混ぜ込んだチョコレートモンブランなどもある。更には栗を使用せず、生クリームにいちごやマンゴー等の果汁を混ぜ込こんで風味付けをしたモンブランもある。
- 北海道小樽市の一部では、ココアスポンジに生クリームを挟んだショートケーキが「モンブラン」と呼ばれている[4]。
由来
[編集]栗のペーストとホイップクリームを組み合わせたデザート「モンブラン」は1847年には販売されており、19世紀中旬に一時流行した。他にさまざまな呼称がある。小型のケーキタイプや、メレンゲ台を使ったタイプも1890年代初頭にはあった。
モンブランを看板メニューとするパリの老舗カフェ「アンジェリーナ」の2015年現在の製品は、メレンゲ上にホイップクリームを載せ、その上に栗のクリームを麺状に絞り出した構成である[5]。同店が「モンブラン」という名の菓子を発売した時期は1920年代以前である。
前史
[編集]ヨーロッパで栗の甘い菓子としては、17世紀には栗のシロップがけや糖衣のレシピがあり[6]、18世紀には栗ペーストのアイスクリームのレシピもあった[7]。19世紀初頭に"Nesselrode pudding"(ネッセルロード[8]:601・プディング)という、栗と各種ドライフルーツを和えたアイスクリームが流行した[9]。
栗を麺のように絞り出した菓子は1842年の記録がある[10]。ただしこれはホイップクリームに関する言及がない。
栗ペーストとホイップクリームの菓子「モンブラン」
[編集]モンブランの原型はフランス・サヴォワ県や隣接するイタリア・ピエモンテ州の家庭菓子という説がある[12]。
1847年のフランスの広告記事はパリの菓子店Dessatが創ったという、栗とクリームの菓子"entremets du Mont-Blanc"(モンブラン)を紹介している[13]。白いクリームと褐色のマロンピュレ(裏ごし)を組み合わせたバニラ風味の菓子で姿も良い、とうたっている [14]。
1863年フランスの婦人雑誌のレシピnid de marrons(直訳:栗の巣)は、栗のペーストを麺状に絞り出して大きなドーナツ状の輪をつくり、中心の穴にホイップクリームを盛る[15]。
1871年のユルバン・デュボワによる挿絵付きレシピchestnut pureé with cream(栗のピュレ、クリーム添え) も栗の巣タイプ[11](フランス語: Purée de marrons à la crème[16])。デュボワの別の本では同じレシピ名"Purée de marrons à la crème"だが構成が違い、栗のペーストを絞って山盛りにし、それをホイップクリームで覆う[17]。
逆に下がホイップクリームの山で、その上に栗のペーストを細く絞ってかける構成は1874年のイギリスのレシピchestnut creamに見られる[18]。
「モンブラン」の名が明記されたレシピとしては1885年の料理本がある。栗の巣タイプである[19]。
1885年の投稿記事のアルザス地方料理torche aux marronsは栗のピュレの山の上にホイップクリームを載せるタイプだが[20]、同名で麺状の栗の巣タイプのレシピもある[21]。
1889年の料理本のmarrons Chantilly(マロン・シャンテリー)は栗の巣タイプだが麺状ではない。ホイップクリームを岩か山のように立てる [22]。1901年のアメリカのレシピmarrons a la chantillyでは栗を漉し器で絞る[23]。
1889年の雑誌に、過去60年間に流行ったデザートを挙げた随筆がある。それによれば、ある時パリのパティシエ(菓子職人)が「モンブラン」と称する、栗を潰したものにホイップクリームをたっぷりかけた菓子を一時流行らせたが、流行はあっという間に冷めたという[24]。
19世紀後半にはDessat以外の店も「モンブラン」という菓子を売っていた: 1876年パリ[25]、1889年パリ[26]、1891年頃サヴォワ県・シャンベリ[27]。ただし詳しい構成は不明。
フランス料理の父[28]オーギュスト・エスコフィエによる1903年のレシピMont-Blanc aux Marrons(マロンのモンブラン)も栗の巣タイプ[29]。
小型のモンブランもあった。1908年イギリスの料理事典は栗の巣タイプの菓子を"bordure de marrons à la Chantilly"と呼んでいるが[30]:276、もう一種類「小さいダリオール形」で下の層が栗のピュレ・上の層がホイップクリームの菓子を"Mont Blanc"あるいは"vacharin Suisse"と呼んでいる[30](「ダリオール」は菓子の形状の一種[31]。カップケーキ型に似ている)。
焼いたケーキやメレンゲを台にした「モンブラン」
[編集]1890年の料理雑誌に発表されたレシピnid aux marronsは、タルトレット(小型のタルト (洋菓子))に栗のクリームと栗のバタークリームを絞り、リンゴのゼリーと小鳥の模型を飾る[32]。
1892年のスイスの料理本のレシピvacherin aux marrons(ヴァシュラン・オー・マロン)は、アーモンド・卵白のペーストを焼いて作った器に、麺状に絞り出した栗クリームとホイップクリームを交互に重ねたデザート。焼きメレンゲで作った器を使ったバージョンも紹介している[33]。ここで言う「ヴァシュラン」とは、チーズのヴァシュランではなくてケーキの一種。1913年イギリスの料理辞典中のvacherin Suisseも、メレンゲを台にしたモンブランである[34]。
1905年の料理本の栗のケーキのレシピ3種類はいずれも型で焼いた生地を台にしており、そのうちのgâteau à la purée de marron(レシピ番号3217)は栗のピュレを詰め、さらにホイップクリームを詰める[35]。
1909年のエミール・ダレンヌらによる料理本はモンブランにパート・シュクレ(タルトの台)を使う例を挙げており[36]、またモンブランに似た菓子Havrais(ル・アーヴル風)[37]やle nid(巣)はジェノワーズの台である[38]。
パリの老舗ランペルマイエとアンジェリーナ
[編集]パリ1区・リヴォリ通り226番地のカフェアンジェリーナ(Angelina)は、もとはRumpelmayer(IPA: [rœ̃'pɛlmajɛ:r][39]、日本語表記:「ランペルマイエ」など)という店名で[40]、1903年に開店した[41]。
1931年に、パリのフォーブール=サントノレ通りに同名の"Rumpelmayer"という別の店が大々的に開店した[42]。結局リヴォリ通りの店は1948年に"Angelina"(アンジェリーナ)と改称した[40]。その後、所有者は何度か変わっている[43]:165[44]。他方フォーブール=サントノレ通りの店は1981年までに消滅した[43]:165。
"Rumpelmayer"を名乗る店のうちで、モンブランを売っていた古い記録としては1915年のロンドン店への言及ある[45]。
リヴォリ通りの店(後の「アンジェリーナ」)のモンブランについては、1920年代の日本人による言及[46]、および1936年の記事広告がある[47]。それ以前の看板商品はマロングラッセとチョコレートであった[48]。
他に、フォーブール=サントノレ通りの店[49]、ニューヨーク店[50]、および日本のランペルマイエ和泉家でも売っていた[51]。
パリのアンジェリーナのモンブランは1980年の時点ではメレンゲ上にホイップクリームを載せ、その上に栗のクリームを麺状に絞り出して覆った形で [52]、以後2015年時点でも同様である [53][54][5]。1950年代日本のランペルマイエ和泉家の製品や[51][55]、1984年日本のプランタン銀座内アンジェリーナの製品[56]も同じ構成であった。
細部は店や時代によって違う。フランスのランペルマイエ(店名不記)はホイップクリームに砂糖を入れていた[43]:164。 これに対し日本のランペルマイエ和泉家は、1950年代には入れていたが[55]1980年代には入れていない[43]:164。パリのアンジェリーナも、ある時点(2015年以前)からホイップクリームに入れる砂糖を減らした[5]。2008年時点では、日本のアンジェリーナが行なった製法改良をパリの店でも一部採用しており、絞り出し器具も日本製品に切り替えている[54]。
パリのアンジェリーナのモンブランは好評だが、食べ残しが散見された例を挙げて「モンブランは過大評価されている」という意見もあった[57]。
21世紀初頭から「アンジェリーナ」ブランドのフランチャイズ店が世界各地で開店し[44]、そこでモンブランを看板商品の一つとして掲げている[44]。
パリのアンジェリーナは一時期、モンブランの提供時期を「1903年創業当時から」だと言っていたが[58]、後に「20世紀初頭」と言い直している[59]。
名称
[編集]栗とクリームの菓子の名称
[編集]「モンブラン」という名前の由来は、アルプス山脈のモンブラン[60](フランスとイタリアの最高峰)。
- フランス語では、Mont-Blanc aux marrons[8](モン・ブラン・オ・マロン)、またはmont-blanc[60](モンブラン)。
- または、torche aux marrons(トルシュ・オー・マロン、"torche"は松明(たいまつ)): フランス東北部アルザス地方[61]、スイス[62]。
- アルザス語で storichnescht[63](フランス語訳:nid de cigogne[63]、直訳:コウノトリの巣)。
- イタリアでは、montebianco[64](モンテ・ビアンコ[65])(山名と同様)。菓子名としての"montebianco"は、フランス語の"mont-blanc"からの翻訳借用[64]。借用語ではあるが1900年には既に使われていた[66]。
- スイスでは、Vermicelles[67](ヴェルミセル。フランス語由来のスイスドイツ語。IPA: [vɛrmiˈsɛl][68])。なお、フランス語の"vermicelle"は、菓子ではなくてパスタの一種ヴェルミチェッリを指す[69]。
"Mont Blanc"という菓子名
[編集]"Mont Blanc"という語は他の料理を指すこともある。
1832年レシピ集にある"Monts blancs au café"は、栗ではなくてアーモンドとコーヒー豆の焼き菓子にアイシングをかけたケーキ[70]。1865年のピエール・ラカンの"Le Mont-Blanc"も同様、砕いたアーモンド入りの生地をブリオッシュ形に焼いて上にメレンゲを絞った物であり、栗はない[71]。
1875年のアメリカの"Mont Blanc Cake"は、スポンジケーキにメレンゲとココナツのアイシングをかけたもの[72]、1881年のアメリカの"Mont Blanc"、別名"White Mountain Cake"(ホワイトマウンテンケーキ)は、スポンジケーキを積み重ねてゼラチン主体の白いアイシングをかけたものである[73]。
1888年アメリカの"Mont blanc potato"(モンブランポテト)は、粉吹き芋に生のメレンゲをかけてオーブンで加熱して卵白を固める。砂糖は使わず、副菜とする[74]。
オーギュスト・エスコフィエは、栗に限らず複数種類の菓子名に採用している:
- Mont Blanc aux Fraisier(苺のモンブラン): ホイップクリームに野イチゴを和え、イチゴで飾る[29]:726
- Mont Blanc aux Marrons(マロンのモンブラン): 栗の巣タイプのモンブラン[29]:726
- Biscuit Mont-Blanc: 三層のアイスクリーム(ラム酒・マロン・バニラ)[29]:743
日本での歴史
[編集]19世紀末には日本語のレシピがあった。1920年代から日本の文化人達がパリ「ランペルマイエ」のモンブランの評判を伝え、1935年時点では日本で複数の店がモンブランを発売していた。
21世紀初頭の日本でモンブランの典型的イメージは、カステラの台の上にひも状の黄色いクリームが渦巻きに絞り出され、その上に栗の甘露煮が乗ったケーキである[1]。これとほぼ同じ構成の製品が1934年にはあった。
日本の料理本
[編集]栗の山にホイップクリームを乗せるデザートのレシピは19世紀末には日本に入って来ていた。
明治31年(1898年)のレシピ「ピレテマロンアラシヤンテレ」(Purée de marrons à la Chantilly ?)は、栗の裏漉しを小高く盛ってホイップクリームで飾る[75]。
1905年のレシピ「モント・ブランク」は、アメリカのベストセラー[76] "The Boston cooking-school cook book" (英語版) からの和訳。栗の裏漉しを「三角柱」(原著では「ピラミッド型」[77])に成型して、上と周囲をホイップクリームで飾る[78]。
焼いた生地に栗のピュレを塗ったケーキとしては1906年のレシピ「マロングガトー」がある[79]。
栗のクリームを「鳥の巣のように」絞り出す技法、および焼きメレンゲの台を使ったモンブランのレシピは1927年の料理本に見られる[80]。
栗の代わりにサツマイモをかけたケーキのレシピもあった。1931年の「マロンターツ」は栗の裏漉しの真ん中に栗の蜜煮を飾る[81]:94というレシピだが、サツマイモの裏漉しと栗の砂糖煮で代用した例も紹介している[81]:94。1931年の「ポテートターツ」ではサツマイモの裏漉しを渦型に絞り出す手法を使っている[81]。
なお、これら以前から和食分野では裏漉しした芋類を細く絞り出す「糸かけ」という技法が行なわれていた。例: 栗きんとんに長芋を原料とした紅白の糸かけ[82]、甘藷(サツマイモ)の糸かけ[83]。
1934年の婦人雑誌『婦人之友』の「モンブランポテト」というレシピは、サツマイモの裏漉しに生のメレンゲをかけたおやつ[84]。1935年の婦人雑誌『主婦之友』のおやつ「ポテト・シャンテリー」も同様で、ホイップクリームまたは生のメレンゲをかける [85]。
パリの老舗ランペルマイエの評判
[編集]1920年代から複数の日本人がパリのランペルマイエのモンブランを讃えている: 駐英銀行員・江尻正一(1927年刊行[46]。ヨーロッパ滞在1919年-1924年[86])、木下杢太郎(初出1929年[87]。ヨーロッパ滞在1921年-1924年[88])、中河与一(1936年刊行)[89]、山田珠樹(1942年刊行)[90]、柳沢健(1950年刊行)[91]。斎藤茂吉も、1924年付の手帳に同店のモンブランに関する買い物情報をメモしている[92]。
山田珠樹の回想録(1942年)によれば、20年前に売られていたものは「日本のあんこに似たもの」に白いクリームがかかっており、「懐かしく」感じて愛好したという[90]。
店名不記載や他店も含めると、戦前のヨーロッパのモンブランについて言及した者は他にもある: 吉村国子[93]、門倉國輝[94]、 岡田八千代[95]、和辻哲郎[96]、福島慶子[97]、北白川房子[98]、江上トミ[99]。
1930年代までパリに在住した福島慶子は、パリのモンブランは栗クリームのほうがクリームの上に乗っていたと書いている[97]。店名は不記。
日本での栗クリームをかけたケーキの販売
[編集]明治末期(1912年以前)に菓子店 米津風月堂で「ビスキューイ・オーマロン」という小型ケーキを売っていたという[102]:772が、どのようなものだったかは書かれていない。
1920年代末には栗クリームの各種ケーキ製品の紹介記事が見られる。ただし実際に販売されたかどうか曖昧なものもある。
麻布和泉家(1928年の記事)など各社のビスキュイ・オー・マロンは、スポンジケーキに栗入りカスタードクリームを絞りかけたもので、ホイップクリームはない[103][104][100]。「ビスキュイ」という名だがビスケットではなくてスポンジケーキである。「タルトアラマロン」は同じクリームの乗ったタルト[103]:112。
ホイップクリームなどと併用した製品としては、1928年の麻布和泉家の「アームロール」はホイップクリームと栗入りカスタードクリームを詰めた円筒型のパイ[103]:112。1932年頃の森島健吉(新宿・中村屋[105]) による「タルトマロン」はタルトに栗のピュレと生のメレンゲを乗せて焼いたものである[104]:(7)。
麺状に絞った栗のクリームを載せたケーキとしては、1934年の洋菓子店 本郷・紅谷の無名品がある[106][107]。
同じく1934年の本郷・紅谷の「クリサンテ フレーバ」は、マロンクリームを細く絞って高く盛り上げたモンブランに、パイナップル・カレンツ・ミカンを詰めたような構成である[101]。
日本でのモンブランの発売
[編集]1935年(昭和10年)市島謙吉は随筆に、東京・銀座の洋菓子・喫茶店コロンバンが「モン・ブラン」という品名で蕎麦をグルグル巻いたような、栗の味のスイスの菓子を売っていた、と書いている[111]。当時の「新人」の流行語だったという[111]。
この前年1934年にも、フィクションではあるが大衆小説の中でコロンバンのモンブランが言及されている[112]。
コロンバンの創業者門倉国輝は1920年代にフランスで菓子作りを修業し[102]:886、1931年にも再度ヨーロッパを視察しており[94]:114、1932年時点でフランスの菓子店で売られているモンブランを知っていた[94]。
同じく1935年に、本郷・紅谷の鹽澤芳朗が店頭商品「モンブラン」を写真付きで紹介している。 スポンジケーキの台にバタークリームを塗り、その上に栗のバタークリームを細長く絞って渦巻き状にかけて、チェリーを載せたケーキである[109]。
この時代は、1931年に映画『モンブランの嵐』[113]、1935年2月に映画『モンブランの王者』[114] が相次いで封切られ、「モンブラン」という語の露出度は高かった [115]。
内田誠 (随筆家)(本業明治製菓社員)は1936年に、複数の店が栗の裏漉しにクリームをかけた菓子を「マロン・シヤンテリイ」あるいは「モン・ブラン」という品名で売っていると記し[116]、別の記事では帝国ホテルのグリルルームが栗にクリームをかけたものを提供していたとも記している [117]。内田はまた1939年に、銀座のある洋菓子店の「モン・ブラン」は栗の裏ごしの細い糸をカステラの台にかけたもの、別の店の「モン・ブラン」はシャンパングラスに栗の裏漉しを盛ってクリームを乗せたもの、と書いている [118]。
コース料理
[編集]コース料理でも20世紀初頭からデザートにモンブランが提供されていた形跡がある。
日本郵船の国際航路客船「春日丸」の1900年のメニューに"Mont Blanc"というデザートがあるが[119]、内容は書かれていない。
1927年のテーブルマナー解説書は、マロン・ア・ラ・シャンテリーを食べるときに「ボロボロして取り落とすおそれがある」と注意し[120]、1929年の本はレセプションのメニュー例に「モンブラン・オウ・マロン」を挙げている [121]。
1937年に、当時計画されていた1940年東京オリンピックや日本万国博覧会などの紀元二千六百年記念行事に向けて、訪日外国人客を想定した西洋料理が検討された[122]。その標準メニューの昼食デザートの一品として「モンブラン・オー・マロン」が選定された[123]。試作品も作られた。日本料理用の栗の甘露煮缶詰品を裏漉ししてそぼろ状にし、型に詰めて皿にあけ、ホイップクリームをかけたものであった[124]。
黄色いモンブラン
[編集]一時期、「モンブラン」といえば栗のクリームがヨーロッパの茶色のものではなく黄色いタイプが定番だった[12]。
クリの種類が違うことが一因である。日本のクリのほうが黄色い[1]。日本のクリを使うと、どうしても黄色いモンブランになる[99]。
戦前の日本ではマロングラッセも黒っぽい色だと嫌われたという。そのため、たとえば門倉國輝はマロングラッセを製造する際に意図的に黄色く仕上げている、と1933年に同業者向けの講習会で解説している[126][127]。
栗の渋皮に関しては、フランスのレシピでも取り除くように指示しているものがある[11][19][21]。パリのアンジェリーナのモンブランは茶色いが、渋皮は入っていない。むしろ、手作業で渋皮を入念に取り除いていることを特長としてうたっている[54]。
自由が丘モンブラン元祖説
[編集]日本で最初にモンブランを発売したのは東京・自由が丘の洋菓子店「モンブラン」だという説がある[128]。同店もそのように主張している[J 1][128]。日本初かどうかは発売時期によるが、同店の発売時期やその経緯は資料によって著しく食い違う。
同店の創業者である迫田千万億(さこたちまお[129])本人に取材した伝記としては、1958年の雑誌『実業之日本』の記事と、1960年発行の『日本洋菓子史』がある。
迫田は1932年にパン・洋菓子店「パンの家」を創業[130][131]。次いで1930年代に目黒区・三谷町に「モンブラン」という店を創業した[131][102]:939[J 2]。
第二次世界大戦後間もない1945年10月に自由が丘へ移転した[131][J 2]。『日本洋菓子史』は、戦後の項でケーキ「モンブラン」発売のいきさつを記している[102]。発売年は書かれていないが、『実業之日本』によれば終戦直後の同店は材料不足のためふかし芋と受託加工だけが収入源という状況で、迫田が菓子販売を開始したのは昭和23年(1948年)頃からだったという[131]。
日本で最初に洋菓子モンブランを発売したという同店の主張は、1996年発行のガイドブック『東京名物』(早川光著)が紹介している。本書によれば「モンブラン」は昭和8年(1933年)創業で[128]、ケーキ発売のいきさつは『日本洋菓子史』と異なる。発売年は書かれていないが、早川は2000年に雑誌『東京人』で、発売年も昭和8年(1933年)であると書いた[132]。
2011年発行の『自由が丘スイーツ物語』も同社への取材にもとづいているが、同社がモンブランの元祖かつ商品化時期は1945年としている[133]:67。
『東京名物』の記事からは、「モンブラン」という菓子名が他国にはなく日本独特であるという誤解も生まれた[134]。
また、迫田は商品名の「モンブラン」は商標登録をしていないという説がある[135]。しかし実際には昭和33年(1958年)に菓子名「モンブラン」および「mont Blanc」を商標出願して翌1959年に登録されており、2023年現在[update]も存続中である[136][137]。
戦後
[編集]第二次世界大戦後数年間は菓子原料の統制が続き、撤廃されたのは1950年頃になってからである[139]。
1950年代初頭には各社から製品が出ている[138][140]。1960年代初頭になると、どこの洋菓子店にもモンブランがあり[141]、どこの西洋料理屋にもマロン・シャンティイーがある[142]、と言われるようになった。
「本格派」モンブラン
[編集]1956年に和菓子店 麻布・和泉家は、台がメレンゲ製のモンブランを製品化した[51][55]。同店の長谷部新三は1952年からパリ・フォーブール=サントノレ通りのランペルマイエなどで修業した経歴を持つ。1955年に日本へ帰国して以後、麻布・和泉家の洋菓子部門は「ランペルマイエ和泉家」というブランドで営業した[102]:1058[43][注 1]。 長谷部は、スポンジ台ではなくメレンゲ台を使うのが「本格的」だと主張した[141]。
製菓業界誌『製菓製パン』も1960年代に、メレンゲ台を使うのが本格派ではあるが現実にはほとんどの店が手間と客受けの良さからスポンジケーキ台を採用している、と解説している。また材料代削減策として栗のペーストにバタークリーム・カスタードクリーム・ポテトを混ぜる手法も紹介し、ただし味は劣ると言う[143]。
1984年にデパートプランタン銀座内の「サロン・ド・テ・アンジェリーナ」がフランス産マロンクリームを使った茶色いモンブランを発売し[56]、茶色いモンブランも有名になった [133][144]。同店はパリのアンジェリーナが日本に支店を作ったのではなく、日本企業が経営していた。東京會舘によれば、1984年開店当時に銀座アンジェリーナを運営していたのは同社であり、モンブランは人気商品で1987年時点で1日あたり400個近く売れたという[145]。1990年代中頃にプランタン銀座は他社への運営委託をやめて、プランタン銀座による直営に切り替えた[146]。同社によれば、パリのアンジェリーナと契約して、パリのと同じモンブランを自社内でライセンス生産していた[147]。2000年時点で1日あたり3000個売れたという(他店・他社への卸売分も含んだ数量か否かは不記)[147]。2022年時点では別の企業が「アンジェリーナ」ブランドの使用ライセンスを得てモンブランを販売している[148]。
日本における「モンブラン」と「マロンシャンテリー」
[編集]菓子名「モンブラン」と「マロンシャンテリー」の使い分け方は文献によって違う。
洋菓子店の「モンブラン」は1935年当時から、カステラなどの台の上に麺状の栗クリームが乗ったケーキである[109]。 このタイプは「ガトー・モンブラン」と呼ばれることもあった[55]。
いっぽう料理本では1960年代まで「モンブラン」と「マロンシャンテリー」はどちらもケーキ台はなく、どちらもホイップクリームのほうが上に乗っていた。たとえば1939年初版『欧風料理の基礎』では、「マロンシヤントリー」は栗の上にホイップクリームを絞る、「モンブラン」は「栗の周囲を生クレームで絞って覆う」、「ニイロンデエイユ」は鳥の巣状の栗の中央にホイップクリームを「卵形に絞る」[150]。
マロンシャンテリーには凝ったデコレーションの物もあるが[149]、そうでもない物もある[151]。
ある本の「モンブラン」の作例写真が、別の本では「マロンシャンティイー」と改題された例もある[152][153]。この改題をした大谷長吉(洋菓子店創業者[154])による「モンブランオーマロン」のレシピは、焼いたケーキを台にしている[155]。
広辞苑には1998年の第5版から菓子名「モンブラン」の項が建てられ、そこでは「細いひも状に絞り出した」という条件が付いており[156]、2006年出版の精選版日本国語大辞典の菓子名「モンブラン」の項には「円形のスポンジケーキなどの上に」という条件が付いている[157]。
2000年代以後
[編集]21世紀初頭には、麺状に絞ったクリーム類が乗ったケーキを、その素材に関わらず「モンブラン」と呼ぶことがある[12]。
2022年頃から、客の目の前で器具から麺状に絞り出す実演が、いくつかの大きな洋菓子店やリゾートホテルのビュッフェで行われている[要出典] 。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]自由が丘のモンブラン発信
[編集]出典(その他)
[編集]- ^ a b c d e f g “file257 「モンブラン」”. NHK. NHK鑑賞マニュアル・美の壷. 2023年4月9日閲覧。
- 誤字:千万「憶」 正:千万「億」
- 小田巻の写真
- ^ “モンブラン (料理: 辻󠄀調理師専門学校)”. みんなのきょうの料理. NHKエデュケーショナル. 2023年4月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月9日閲覧。
- ^ 料理サプリニュース昭和のモンブランが「黄色」だった理由
- ^ “時間が止まった老舗喫茶店でスイーツを! 小樽市民に愛され続けている3店 (2) その復活に小樽市民も涙! 老舗喫茶店の「館モンブラン」は一味違う”. マイナビニュース. マイナビ (2015年5月19日). 2018年12月8日閲覧。
- ^ a b c Escourrou, Lucile (2015年1月9日). “Le Mont Blanc : ce grand classique gourmand de l'hiver” (フランス語). Madame Figaro. 2015年1月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月5日閲覧。
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- p62: 再現品写真 114. Havrais
- 記載以外の補足: 本品はモンブランと違い、チョコレートを塗る。
- 日本語訳: ダレンヌE; デュヴァルE 著、時光朗 訳「Havrais. アヴレー」『近代製菓概論』日本洋菓子協会連合会、東京、1980年6月1日、134頁。doi:10.11501/12101867。 NCID BN12983497。全国書誌番号:81018617 。(要登録)
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- p66: 再現品写真 121. Nid d'oiseau
- 記載以外の補足: 本品はモンブランと違い、ホイップクリームは使わない。
- 日本語訳: ダレンヌE; デュヴァルE 著、時光朗 訳「Nid d'oiseau. ニ・ドワゾー」『近代製菓概論』日本洋菓子協会連合会、東京、1980年6月1日、335頁。doi:10.11501/12101867。 NCID BN12983497。全国書誌番号:81018617 。(要登録)
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- p164: ランペルマイエ和泉家のモンブランは、下にメレンゲ、中に砂糖なしホイップクリーム、栗はアンペルの輸入物。
- p164: 日本ではモンブランはどこの洋菓子店でも主要商品の一つだが、パリでは2店だけ、アンゼリーナおよびトロカデイロのキャレットでしか売っていない。ローマでも1店見つけた。
- p164: 栗のペーストを絞り出す道具は、型で押す大筒のような形状。
- p165: 長谷部新三が修業したフォーブール=サントノレ通りのランペルマイエはもうない。ウィーン風の菓子で有名だった。
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- 他店では「シャモニックス(CHAMONIX)」とも呼ぶ。
- 焼きメレンゲ台使用。
- ホイップクリームに砂糖が入っている。
- 栗の裏漉しにはラム酒を加える。小田巻で絞りかける。
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- ^ 「江尻正一氏」『日英新誌』第10巻第119号、1925年11月、2頁、doi:10.11501/1574520、NCID AA11127020。(要登録)
- ^ 中河, 与一「甘い思ひ出」『随筆・評論 文芸不断帖』人文書院、京都、1936年7月5日、260頁。doi:10.11501/1231800。 NCID BN06403275 。「情緒と風味の好ましさに至っては、何と云つてもナンプルマイヤーの栗菓子モンブランにとどめをさすだらう。」(要登録)
- 記載以外の補足: 著者が入手した外国の菓子は、海外渡航した友人からの郵送品や土産物である(p260)。しかしモンブランは生菓子で長期輸送には不適。
- 再掲: 中河, 与一「甘い思ひ出」『左手神聖』元々社、東京、1951年3月25日。doi:10.11501/1662937。 NCID BA66751813 。「情緒と風味の好ましさに至っては、何と云つてもモンブランといふ栗菓子にとどめをさすやうに思った。」(要登録)
- 文面は1936年版に対してかなり改訂されている。
- ^ a b 山田, 珠樹「パリのお菓子の思ひ出」『小展望』六興商会出版部、東京、1942年12月30日、57頁。doi:10.11501/1130651。 NCID BN03018165 。(要登録)
- p55:「フランスのお菓子をフランスで味はつたのはもう二十年も前のこと」
- p57:「リヴォリの通にある、ラムペルメア[…の菓子を]いろいろ食べてみたがどうもはつきりした記憶がない。どれも旨しかつたことは確かだ。甘さが適度であつたことを忘れない。ただ一つモン・ブラン(白山)といふお菓子があつて、白いクリームの下に日本のあんこに似たものがあるのがあつたが、これが懐かしくてよく食べたものである。」
- ^ 柳沢, 健『田中耕太郎述 生きて来た道』世界の日本社、東京、1950年9月10日、241-242頁。doi:10.11501/2978032。 NCID BN10890329。全国書誌番号:50005253 。「柳澤: パリのリュ・ド・リヴォリにある大きなお菓子屋のランプルメーヤのモン・ブラン...。あの店はロンドンの支店になつていますが...」(要登録)
- ^ 斎藤, 茂吉「手帳十三(1924 雑記)」『斎藤茂吉全集 第43巻 (手記 第1)』 43巻(手記1)、岩波書店、東京、1955年12月20日、323頁。doi:10.11501/1664348。 NCID BN1239140X。全国書誌番号:56011492 。「〔他筆〕
ParisノCondittorei
Rumpelmeyer, rue de RivoliノPlace
de la Concordeカラ三四町位
御菓子ノ名 Mont Blanc
午後五時前ニ賣切ニナル」(要登録) - ^ 吉村, 国子『夫に伴して』吉村喜作、広島、1931年10月1日、162頁。doi:10.11501/1027833。 NCID BA75439258。全国書誌番号:44000789 。「モンブランと云ふ菓子。これは日本の生菓子に似たものであつた。餘り甘過ぎない豊かな味、巴里の味覺の著しい一つであつた」(要登録)
- ^ a b c 門倉, 国輝「フランス菓子について」『菓子研究』第5輯、菓子研究会、東京、1932年7月、119頁。doi:10.11501/1171476。 NCID BA34683735 。(要登録)
- 本書は1932年開催の『第5回菓子講習会』の講義録。
- pp108-140「フランス菓子 コロンバン主 門倉國輝」
- 本書には奥付がない。刊行日等の書誌情報:『菓子研究会十年史』 (1939)
- ^ 岡田, 八千代「パリお菓子の思ひ出」『甘味 : お菓子随筆』双雅房、東京、1941年2月15日(原著1936年)、158頁。doi:10.11501/1263065。 NCID BN1080842X。全国書誌番号:46034825 。「マロングラツセーだつたかしら、栗をつぶして甘くした原料で出来てゐる菓子がその日のお職を張るのです。[…](昭和十一年三月)」(要登録)
- p158: 「筆者は作家・故岡田三郎助畫伯夫人」
- 再掲: 岡田, 八千代「巴里の御菓子」『白蘭』大元社、東京、1943年4月18日(原著1936年)、70頁。doi:10.11501/1130338。 NCID BN09364715。全国書誌番号:46027901 。「マロングラツセーだつたかしら、兎も角も栗をつぶしては甘くした原料で出来てゐる菓子が、その日のお職を張るのです、[…](昭和十一年三月)」
- ^ 和辻, 哲郎 著、安倍, 能成 language=ja 編『シムポジオン 対立を超えて : 日本文化の将来』養徳社、奈良、1950年9月10日、180頁。doi:10.11501/2978559。 NCID BN11957298。全国書誌番号:50004437 。「和辻: 栗餡のやうな菓子などは日本のと同じ味でしたね。; 谷川: モンブランといふ菓子ですね。; 和辻: さうです。材料が同じですからね」(要登録)
- ^ a b 福島, 慶子『巴里たべある記』三笠書房、東京、1952年1月10日、118頁。doi:10.11501/2459950。 NCID BA62557240。全国書誌番号:52003101 。「どういうものは何時も栗の方がクリームに乗つています。[…]とにかく巴里あたりでは何時も栗を上にするのが慣わしです」(要登録)
- 内表紙裏 著者略歴: 大正8年(1919年)日本から渡欧。イギリス2年、フランス10数年滞在、昭和8年(1933年)日本に帰国。
- ^ 「座談会 宮中の年中行事と菓子を聴く 2」『製菓製パン』第23巻第9号、製菓実験社、1957年9月、41頁、全国書誌番号:00012901。「池田[文痴庵]: 只今の東久邇様とご一緒に"北伯爵"としてフランスにご滞在頃には…; 北白川[房子]:あまり記憶にはございませんが「モンブラン」は大変おいしゅうございました」(p36: 出席者一覧)
- ^ a b 江上, トミ「モンブラン 国が違えば、栗も違う」『サンデーきっちん』毎日新聞社、東京、116-119頁。doi:10.11501/2499093。 NCID BN14685605。全国書誌番号:63004026 。(要登録)
- p117:「パリのブルバード・イタリアンには[…]マーキュリーというしゃれたお菓子店があって、[…]パリジェンヌの二、三人が[…]モンブランを口へと運んでいます。[…]何度食べてもかるやかな味のフランス栗にとりつかれたように食べた田舎者は、私の姿です。」
- pp117-118: 日本帰国後に作ってみたが味も色もフランスの物とは違った。「[…]その後、幾度かのパリ生活で、やっとその原因を突き止めることができました。」
- 記載以外の補足:
- 江上トミ略歴: 江上, トミ、江上, 英子『江上トミの世界の料理』主婦の友社、東京、1963年12月20日、227頁。doi:10.11501/2501919。 NCID BA39413002。全国書誌番号:64002468 。(要登録)
- ^ a b 銀座・資生堂「涼しげな飲み物とお菓子」『婦人之友』第27巻第9号、1933年9月、国会図書館蔵書コマ番号0014.jp2、NCID AN00124000, 全国書誌番号:00020906。
- グレープ スカッシュ、ビスクイ オー マロン: 写真とレシピ。台はカステラ生地。栗(缶詰でもよい)の裏漉しを絞り出し器で飾る。上に「なにかきれいなキャンデイを一つのせて彩を楽しくします」。
- ^ a b 鹽澤芳郎「洋生とチョコレートキャンデー」『製菓実験』第5巻第12号、製菓実験社、東京、1934年12月5日、p48(本文)、p49(写真)、全国書誌番号:00012899。
- p48 クリサンテ フレーバ: ビスケット生地を焼く。パイナップルとカレンツを詰め、マロンクリームを細く絞って丸く高く盛り上げる。ミカン2房を乗せてさらにバタークリームを星形口金で絞る。チェリー小片を飾り、「紙ケースにのせて販売に供します」。
- ^ a b c d e 池田文痴菴『日本洋菓子史』日本洋菓子協会、東京、1960年9月1日、941頁。doi:10.11501/2500175。 NCID BN09071954。全国書誌番号:63007929 。(要登録)
- 迫田千万億(モンブラン創業者)関連:
- pp938-941: 迫田千万億の伝記(本人に取材)
- p938(昭和7年(1932年)):紅谷で昭和7年まで勤務した。
- p939(昭和7年(1932年)):紅谷を退職後、体力強化のために「新潟から奥州をと廻り」、静岡の牧場でクリームやバター作りをし、甲州の葡萄園を見学した。同昭和7年(1932年)10月に「上京して西大久保(伊勢丹通り池袋への道)に開業。」(店名不記)
- p939(昭和11年(1936年)):「ミッチリ二年間、人の世話になったが、貯蓄も出き、[…]学芸大学の傍に移つて、"モンブラン"を商号とした。」
- p940:「自由ケ丘に開業したが、白馬にスケート〔ママ〕に行った時、松本高校生の無茶なスキーヤーに衝突されて転倒。[...]その後、東京駿河台の名倉病院に入院中、旧財閥・大川平三郎の一族、田中寿一と懇意になつた。」
- p941:「田中は、パリ帰りの趣味人で、菓子も詳しく、かつてイタリーに居た頃、メレンゲ・生クリーム・栗で造った、"モンブラン"を食つたというのにヒントを得て、時節柄、そうした高級品は作られぬが、カステーラを大きくして、その名を謳つて販売した処、好評を得、[...]」
- p1275(年表): 昭和10年(1935) 「迫田千万億、モンブラン開業」
- pp938-941: 迫田千万億の伝記(本人に取材)
- 迫田定男(モンブラン二代目社長)関連:
- 門倉國輝(コロンバン創業者)関連:
- 米津風月堂関連:
- ランペルマイエ和泉家関連:
- 凡例V: 本書の内容は原則として昭和35年(1960年)5月時点まで。
- 迫田千万億(モンブラン創業者)関連:
- ^ a b c 林守道 著「洋生」、古川市郎 編『あづま錦』 3巻、東錦発行所、東京、1928年5月15日、画像108枚目頁。doi:10.11501/1688094。全国書誌番号:46076241 。(要登録)
- 102枚目「洋生 麻布和泉家洋生部長 製作者 林守道」
- 105枚目 解説文 ホワイトクリーム: ホイップクリームのこと。
- 108枚目 解説文 ビスキユイマロン: スポンジ2枚をタルトマロン用クリームで貼り合わせ、1寸巾に切り分ける。その上に菊口金でタルトマロン用クリームを絞り出す。
- 109枚目 挿絵 ビスキユイマロン
- 112枚目 解説文 タルトアラマロン: パイ生地の屑で小型のタルトを作る。栗餡をシュークリーム用のクリームでのばしたものを「マロン」という。菊口金で「マロン」をタルトの中に「思ふさまに絞り出す」。
- 112枚目 解説文 アームロール: 1寸巾のパイ生地をらせん状に巻いて円筒を作って焼く。中に菊口金でホワイトクリーム、およびタルトマロン用クリームを注入する。
- 113枚目 挿絵 タルトアラマロン、アームロール
- ^ a b c 再掲: 金子, 倉吉『原色版菓集』 1巻、製菓実験社、東京、1934年8月12日、画像36/44枚目。doi:10.11501/1025474。全国書誌番号:44005606 。(要登録)
- 序文:「本書は製菓實験第二巻第九號より、第三巻第十號迄の口繪原色版を蒐集したものであります。」
- 7枚目 右ページ 解説文 (3) Tarte Maran タルトマロン: ショートペーストでタルトを焼く。栗のピュレを詰め、上を生のメレンゲで覆う。アーモンドスライスと粉砂糖で飾って、少し焼く。
- 7枚目 左ページ 写真 下段「森島健吉」3(タルトマロン)
- 36枚目 右ページ 解説文 洋生 右の下 ビスクヒマロン: カステラの上に、栗の裏ごしをカスタードでのばしたクリームを飾る。
- 36枚目 左ページ 写真 上段 4(ビスクヒマロン)
- 記載外の補足: 製菓實験第五巻は1934年発行(“検索結果一覧(検索タイトル "製菓実験 5")”. 国立国会図書館オンライン. 2023年7月19日閲覧。)なので2巻1931年、3巻1932年と算定。
- ^ “日本洋菓子史 - 第31回 「日本洋菓技術協会」結成、機関誌「ガトー」発行”. 日本洋菓子協会連合会. 2023年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月6日閲覧。
- ^ a b 「第四十回菓験会持寄会特選洋菓子 写真説明」『製菓実験』第5巻第10号、製菓実験社、東京、1934年10月5日、国会図書館 画像0018.jp2(説明文、写真)、全国書誌番号:00012899。
- ^ マロングラスとは、すりつぶしたマロングラッセとクリームを混ぜたものである: 小川昌作「マロン・グラス」『近代的焼菓子の研究 : 附・洋生菓子初歩,キヤンデー初歩』製菓実験社、東京、1934年3月1日、63-64頁。doi:10.11501/1025577。 NCID BA43714046。全国書誌番号:44005741 。
- ^ a b 「洋菓子 銀座 不二家 店売品」『製菓実験』第5巻第11号、製菓実験社、東京、1934年11月5日、巻頭原色版(写真)、p55原色版説明(本文)、全国書誌番号:00012899。
- 巻頭原色版(写真)「銀座不二家店賣品」
- p55「原色版説明 洋菓子 銀座 不二家」。図1、図2、図6がマロンバタークリームを使用。
- (1) パイ生地とスポンジ。マロンバタークリームを丸口金で絞る。胡桃、粉砂糖を飾る。
- (2) チョコレートスポンジ。周囲にココナツと刻みアーモンドを貼る。マロンバタークリームを星形口金で絞る。赤色ゼリーを詰める。
- (3) パイ生地。バタークリーム、葡萄2個。
- (4) バルケット生地とスポンジ。チョコレートバタークリーム、赤色ゼリー、コーンフレーク。
- (5) ビスクイ生地。モカバタークリーム、チェリー、粉砂糖。
- (6) ショートクラスト生地。マロンバタークリームを星形口金で絞る。マロン半片を飾る。
- ^ a b c 鹽澤芳朗「洋菓子 - 店頭から撰んで」『製菓実験』第6巻第6号、製菓実験社、東京、1935年6月5日、p56(本文), p57(写真)、全国書誌番号:00012899。
- ^ 再掲: 金子, 倉吉「洋菓子十種 銀座=コンパル洋菓部主任 細田賢蔵氏作」『原色版菓集』 6巻、製菓実験社、東京、1938年7月31日、画像10/28枚目。doi:10.11501/1025840。全国書誌番号:44006094 。「(5)マロンライン」(要登録)
- 序文:「本書は製菓實験第八巻第一號より、第八巻第十二號迄の口繪原色版を蒐集したものであります。」
- 画像10/28枚目: 洋菓子十種銀座=コンパル洋菓部主任 細田賢蔵氏作
- (1) マロンポットケーキ: マロンの裏漉しを壷と蓋の形に成型して各々チョコレートでコーティングする。壷の中にマロンクリームを渦巻き状に絞り、蓋を乗せる。
- (5) マロンライン: アーモンド粉入りスポンジケーキ台にクリームを塗ってアーモンドを付着させ、マロンの蜜煮を置いてマロンクリームを渦巻き状に絞る。
- 重量は全品とも約25匁、売価は全品25銭。
- 記載外の補足: 製菓實験第八巻は1937年発行(“検索結果一覧(検索タイトル "製菓実験 8")”. 国立国会図書館オンライン. 2023年7月19日閲覧。)。
- ^ a b 市島, 謙吉『文墨余談』翰墨同好会、南有書院、東京、1935年8月19日、391頁。doi:10.11501/1236048。 NCID BN15089025。OCLC 674138556 。
- 「銀座の喫茶店コロンバンで西洋菓子を漁ると、日本の蕎麦をグルグル捲いたやうなものを出した。味は蕎麦とは異なつて、寧ろ栗の味であつた。聞けば瑞西の菓子で、名も同所の名山モン、ブランと云うて、その山容を形どつたものらしい、今はこんな菓子の名を知らねば、新人とされない世の中となつた。」
- ^ 北村, 小松「空ろなる花園」『富士』第7巻第8号、大日本雄弁会講談社、東京、1934年8月、362頁、全国書誌番号:00020800, NCID AA11667775。
『御父様の御好きなアリメツトグラスは切れてゐたから今日の御菓子はモンブラン!』
[中略]
『モンブランと云ふと山の名前だな!』
博士は、ゆり子の運んで来た、コロムバンのお菓子を一つつまみながらさう云つた。
『えゝ、さうよ! よく知つてらつしやるわね!』 - ^ 「主なるドイツ映画」『毎日年鑑』1932年、大阪毎日新聞社、1931年10月1日、254頁、doi:10.11501/1116940、NCID BN01226285, 全国書誌番号:46072867。
- ^ 「ドイツ映画」『毎日年鑑』昭和11年、大阪毎日新聞社、1935年9月1日、273頁、doi:10.11501/1117095、NCID BN01226285, 全国書誌番号:46072867。
- ^ 例: 新聞紙面下段全幅広告: 東和「(広告)モンブランの王者 ・最後の億万長者」『読売新聞』夕刊1935年2月12日、3面。
- ^ 内田, 誠「六号 二.栗」『春泥』第69巻、春泥社、1936年4月、28頁、doi:10.11501/1508994。(要登録)
- 単行本: 内田, 誠「栗」『喫茶卓』双雅房、東京、1936年12月25日、115頁。doi:10.11501/1228388。全国書誌番号:46049471 。(要登録)
- 記載以外の補足:
- 内田誠は明治製菓の宣伝部長(「(広告)喫茶卓 内田誠著」『読書感興』第2巻第2号、双雅房、1937年2月、63頁、doi:10.11501/1466979、NCID AN00109164。(要登録))
- ^ 内田水中亭「ホテルにて」『春泥』第76巻、春泥社、1936年11月、28頁、doi:10.11501/1509001。(要登録)
- 記載以外の補足:
- ペンネーム「水中亭」= 内田誠(“内田, 誠, 1893-1955”. 国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス. 国立国会図書館. 2023年6月8日閲覧。)
- 記載以外の補足:
- ^ 内田, 誠「銀座」『改造』第21巻第3号、臨川書店、京都、2010-2011、31頁、NCID AA12546787、全国書誌番号:01026675。
- 原資料書誌: 内田, 誠「銀座」『改造』第21巻第3号、改造社、東京、1939年3月、31頁、NCID AN00365120。
- 単行本: 内田, 誠『銀座』改造社、東京、1940年3月11日、58頁。doi:10.11501/1684964 。
- 単行本: 内田, 誠『遊魚集』小山書店、東京、1941年4月1日、320頁。doi:10.11501/1130634。 NCID BA50304474。OCLC 672402377 。
- ^ 日本郵船. “Menus - Nippon Yusen Kaisha S.S.Nasuga” (英語). NYPL Labs What's on the menu?. ニューヨーク公共図書館. 2023年6月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月11日閲覧。 “Nippon Yusen Kaisha S.S.Kasuga MENU 13. Pastry. Custard Pudding 14 Mont Blanc”
- ^ 太田, 武次郎『昭和百科現代の常識』中央書院、東京、1927年4月5日。doi:10.11501/1057103。全国書誌番号:44054486 。(要登録)
- ^ 東, 佐与子「レセプシヨンについて」『最新洋風食卓作法』文光社、東京、1929年3月20日、220-221頁。doi:10.11501/1188925。 NCID BA43528697。全国書誌番号:46090200 。「3.小型菓子 二、三種 エクレール、マカロン、ヌガ、タルト、モンブラン・オウ・マロン等」(要登録)
- ^ 糧友会「二六〇〇年対策 西洋料理典型研究会(第一次会)」『糧友』第12巻第3号、糧友会、1937年3月、58頁、doi:10.11501/1585057、NCID AN0025145X, 全国書誌番号:00024345。(要登録)
- ^ 糧友会「第五回 二六〇〇年対策西洋料理典型研究会記事」『糧友』第12巻第7号、糧友会、1937年7月、84頁、doi:10.11501/1585060、NCID AN0025145X, 全国書誌番号:00024345。(要登録)
- ^ 糧友会「二六〇〇年対策 西洋料理典型研究会(第八・九回)」『糧友』第12巻第12号、糧友会、1937年12月、99頁、doi:10.11501/1585064、NCID AN0025145X, 全国書誌番号:00024345。(要登録)
- p99: 試食会。試作品写真。
- ^ 「渋味を行く店売洋生菓子 銀座モナミ製品」『製菓実験』第11巻第2号、製菓実験社、東京、1940年2月5日、国会図書館 画像0015.jp2(説明文、写真)、全国書誌番号:00012899。
- 画像0015.jp2 図3: バターケーキの台にバタークリーム。マロンピュレを小田巻で絞り、マロンの蜜漬け片を飾る。
- ^ 門倉, 国輝「ケーキ」『菓子研究』第6輯、菓子研究会、東京、1933年9月、200頁。doi:10.11501/1171498。 NCID BA34683735 。(要登録)
- 本書には奥付がない。刊行日等の書誌情報:『菓子研究会十年史』 (1939)
- ^ 香取, 任平 編「5. 菓子研究の刊行」『菓子研究会十年史』菓子研究会、東京、明治製菓ビルヂング内、1939年5月31日、112頁。doi:10.11501/1684516。 NCID BA34414890 。(要登録)
- ^ a b c 早川, 光「元祖モンブラン」『東京名物』新潮社、東京、1996年11月20日、76-77頁。ISBN 4103989033。 NCID BN1557266X。OCLC 674802288。
- p76:「モンブランはれっきとした東京発祥の洋菓子なのである。」
- p76:「スイス〔ママ〕のシャモニーへ旅行した。[その後]自由が丘に洋菓子店『モンブラン』が誕生した。昭和八年のことである。」
- pp76-77: シャモニーの「ホテル・モンブラン」で出たデザートを参考にしてケーキ「モンブラン」を考案した。
- p77: 同店は「オリジナルはあくまでも当店」だと主張している。
- ^ 福島県立図書館 (2013年4月9日). “東京の自由が丘にある洋菓子店「モンブラン」の初代店主、「迫田千万億」の名前の読み方を知りたい”. レファレンス協同データベース. 2023年5月9日閲覧。
- ^ 「淀橋区 パン・洋生ノ部」『東京市・横浜市・川崎市菓業大名鑑』東京菓麭協会、1933年11月12日、510頁。doi:10.11501/1212887。全国書誌番号:47011527 。「[西大久保]二ノ二〇四 パンの家 迫田千萬億 創業昭和七年」(要登録)
- ^ a b c d 稲毛, 宮夫「焼跡のバラックから一流菓子店を築いた モンブラン社長 迫田千万億氏の半生」『実業之日本』第61巻、1958年1月、140頁、ISSN 04468147、全国書誌番号:00010152。
- 記事全体: pp139-141
- p140: 昭和7年(1932年)まで神楽坂・紅谷に勤務していた。
- p140: 昭和7年(1932年)西大久保に「パンの家」開業。しかし2年ほどでつぶれた。
- p140: 昭和10年(1935年)に学芸大学駅近くに洋菓子屋を開業。店名は、古本屋で買った地図帳を眺めてスイスの山「モンブラン」を選んだ。
- p140:「モンブラン」という新店名に妻は反対した。覚えにくいし「何となくおちつかない」というのが理由である。しかし迫田は押し切った。
- p140: 大東亜戦争が始まってしばらくすると、迫田は徴用されて第二国立病院に勤務。昭和20年(1945年)には店が強制疎開のため取り壊された。
- p140: 戦後の10月に自由が丘駅近くに粗末なバラックを建てて、芋をふかしたり受託加工を始めた。
- 記事全体: pp139-141
- ^ 早川, 光「23区名物図鑑」『東京人』第15巻第11号、都市出版、東京、2000年11月、37頁、ISSN 09120173。「昭和八年に日本で初めてモンブランを売り出した「モンブラン」」
- ^ a b 阿古, 真理「02 定番ケーキの元祖はここ モンブラン」『自由が丘スイーツ物語: ケーキで人を幸せにする街』NTT出版、東京、2011年10月18日、56頁。ISBN 9784757150799 。
- p56: 茶色いモンブラン流行の発信源は1984年ブランタン銀座の創業と同時に店内で開店したサロン・ド・テ・アンジェリーナとい言われている。
- p56: 自由が丘モンブラン三代目社長夫人談: ヨーロッパではモンブランはデザート菓子だった。日本で立体的なケーキにして売り出したのは当社が初。
- p57: モンブランの商品化は1945年。創業者の迫田千万億と二代目定男が試行錯誤した結果。
- p60: 迫田千万億は1932年に神楽坂・紅屋〔ママ〕洋菓子店を退職して、翌年現在の学芸大学駅の近くに商号「モンブラン」開店。迫田は間近で見たモンブラン山に感動して店名にした「と店では語り継がれている」。
- p61: 自由が丘開店は1945年10月。
- p64: 二代目定男社長 1919年(大正8年)生。
- ^ 歌川, 令三「渡る世界には鬼もいる スイスとはどういう国か? ジュネーブの三日間(中)」『財界』第45巻第22号、1997年8月26日、128-129頁、NCID AN00266209, 全国書誌番号:00009036。
- 再掲: 歌川, 令三 (1997年8月26日). “渡る世界には鬼もいる : スイスとはどういう国か? ジュネーブの三日間(中)”. 日本財団 図書館. 2004年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月29日閲覧。
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- 登録0536710 クリックで開く文書内「【商品及び役務の区分並びに指定商品又は指定役務】【類似群コード】 30 菓子(甘栗・甘酒・氷砂糖・みつまめ・ゆであずきを除く。),粉末あめ,水あめ(調味料),もち,パン 30A01 31A03 32F03」
- 商標公告昭33-018276 クリックで開く文書内「出願人 迫田千萬億」
- ^ “登録0536711 mont Blanc”. 特許情報プラットフォーム. 特許庁. 2023年4月12日閲覧。 “区分 30 出願人 株式会社モンブラン ステータス 存続-登録-継続”
- 登録0536711 クリックで開く文書内「【商品及び役務の区分並びに指定商品又は指定役務】【類似群コード】 30 菓子(甘栗・甘酒・氷砂糖・みつまめ・ゆであずきを除く。),粉末あめ,水あめ(調味料),もち,パン 30A01 31A03 32F03」
- 商標公告昭33-018277 クリックで開く文書内「出願人 迫田千萬億」
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- 「喰口本位のペテフール六態 九段・コロンバン食品 門倉国輝」:(2)モンブラン(写真有): スポンジケーキ台にマロンを乗せ、マロンピュレを絞りかける。
- 「渋好み 秋の洋生五趣 麻布和泉家 川村禎佑」:(2)マロンタートレット(写真有): アマンドペーストのターツにマロングラッセを置き、マロンピュレを絞りかける。
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- 著者は株式会社プランタン銀座の代表取締役社長
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- 「マロンシヤントリー Marron Chantilly」
- 「モンブラン Mont-Blanc(ホワイトマウンテン)」
- 「ニイロンデエイニ〔ママ〕 Nid Hirondelles(スパローネスト)」
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- p183 33. Mont-Blanc aux Marrons(モンブランオーマロン): ドーナツ形に焼いたパート・ア・シュクレの上に、栗を糸状にしたものを成型して乗せる。ドーナツ形の穴にホイップクリームの山をつくる。
- ^ 新村出 編「モンブラン【mont-blanc】」『広辞苑』(5版)岩波書店、東京、1998年11月11日、2667頁。ISBN 4000801112。「細いひも状に絞り出した栗のピューレと」
- ^ 精選版 日本国語大辞典(小学館)「モンブラン」 。コトバンクより2023年8月9日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 鑑賞マニュアル 美の壷 「モンブラン」 - NHK