シャンベリ
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Chambéry | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏 |
県 (département) | サヴォワ県 |
郡 (arrondissement) | シャンベリ郡 |
小郡 (canton) | 4 |
INSEEコード | 73065 |
郵便番号 | 73000 |
市長(任期) |
ミシェル・ダンタン (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Chambéry métropole |
人口動態 | |
人口 |
58 039人 (2012年) |
人口密度 | 2 765人/km2 |
住民の呼称 | Chambérien/Chambérienne |
地理 | |
座標 | 北緯45度34分12秒 東経5度54分42秒 / 北緯45.57度 東経5.9118度座標: 北緯45度34分12秒 東経5度54分42秒 / 北緯45.57度 東経5.9118度 |
標高 |
平均:270m 最低:245 m 最高:560m |
面積 | 市: 20,99km2 (2 099ha) |
公式サイト | www.chambery.fr |
シャンベリ(Chambéry)はフランスの東部、オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏の都市で、サヴォワ県の県庁所在地である。
人口は1999年現在、約5万5千人。隣接都市を合算した人口は約11万人、都市圏としては約13万人の人口を擁する。
歴史
[編集]古代ローマ時代にこの場所にはレメンクム(Lemencum)という名の街があった。シャンベリが都市の勅許を獲得し、歴史に再登場するのは12世紀以降である。サヴォイア伯爵家はシャンベリに宮廷を置き、サヴォイア家が勢力を伸ばすに従い、シャンベリは発展していった。 シャンベリの帰属は二回、サヴォイアからフランスの間で移転している。
1792年から1815年にシャンベリはフランス領となり、モン・ブラン県の県庁所在地とされた。しかし1815年には再びサヴォイア家に帰属した。シャンベリの帰属が最終的に確定したのは1860年3月24日である。以後、シャンベリは再びフランス領に編入され、サヴォワ県の県庁所在地とされ、現在に到る。
第二次世界大戦中、シャンベリは1944年5月26日に空襲を受けた。
1961年には近接する二つの都市、ビシー(Bissy)とシャンベリ=ル=ヴィユ(Chambéry-le-Vieux)を合併した。
姉妹都市
[編集]関連人物
[編集]- メーストル兄弟(ジョゼフ・ド・メーストル、グザヴィエ・ド・メーストル)
- ジャン・ムーラン(レジスタンス活動家)
- ロベール・バダンテール(元法相) - アントン作戦以後の1943年3月から1944年8月までシャンベリ近郊コナンに避難していた。
- オリヴィエ・ジルー(サッカーフランス代表選手)
- ゴーティエ・カピュソン(チェリスト)
外部リンク
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