本間物産
本社外観 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒999-8438 山形県飽海郡遊佐町比子字白木23-362 |
設立 | 1995年 |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 1390001006551 |
代表者 | 代表取締役社長 東海林誠 |
資本金 | 5,000万円 |
発行済株式総数 | 26,000株 |
売上高 | 158億5636万7000円(2018年09月30日時点)[1] |
営業利益 | 7403万3000円(2018年09月30日時点)[1] |
経常利益 | 6118万2000円(2018年09月30日時点)[1] |
純利益 | 2599万5000円(2018年09月30日時点)[1] |
総資産 | 36億2269万6000円(2018年09月30日時点)[1] |
従業員数 |
535名 (2019年4月1日現在) |
主要株主 | 伏見屋ホールディングス |
関係する人物 |
本間氏#酒田本間氏(創業家) 東海林稔(会長) |
外部リンク | マルホンカウボーイグループ |
本間物産株式会社(ほんまぶっさん)は、山形県飽海郡遊佐町に本社を置く小売業者。「マルホンカウボーイ」「マルホンマート」の名称でスーパーマーケットを展開している。
概要
[編集]終戦によるGHQの農地解放によって、3000町歩[注釈 1]を有していた酒田本間家は、そのうち約1615町歩を失い、4町歩の田畑と800町歩の山林および本間農場(のちに住宅地として開発)が残された[2]。この戦後の混乱期にあって、本間家は資産の切り売りによって家計を維持することで手一杯となり、財産管理運営に当たる信成合資会社は開店休業に陥った。
1948年7月、本間家給仕であった村井秀三がほうほうの体でレイテ島から酒田に復員する。村井は帰郷早々、本間家から得た旧恩に報いるべく、信成合資に営業部を創設[2]。旧小作人らに肥料、農薬、農機具を売り歩いた。村井のお家再興に向け奔走する姿に打たれた旧小作人らは、その要請に応え肥料等を買い求めた。
1963年3月、村井の尽力によって大きく成長した営業部が信成合資から分離独立。本間物産が設立され、翌年には10代目当主の夫が社長に就任した。しかし1967年、当主ファミリーに取り入ったMが本間物産に出入りし始め、1971年9月、Mと営業部門を取り仕切り専務に就任していた村井が激しく対立。ついには村井はMに放逐された[2][注釈 2]。その後Mは本間物産を壟断。1975年6月には本間家の分家出身役員らを解任し社長に就任する。
1981年3月、Mが本間物産内に物販本部を新設。ディスカウントショップ(DS)運営に乗り出し、酒田マルホンを開業。同店を振り出しに東北6県のほか北関東まで店舗網を広げ53店を構えた[3]。しかし、無理な多店舗展開で借入金が急増した上、社員の養成も追い付かず売り上げが低迷したほか、Mのワンマン体制が災いモラルハザードが蔓延し、1990年10月11日、当時の東北地方では史上最高である約400億円もの負債を抱え山形地裁酒田支部に会社更生法の適用を申請。倒産した[3]。
1991年1月、本間物産に衣料品を納入するなど繋がりがあった西友を傘下に置くセゾングループ代表の堤清二が本間物産の管財人に選任される。当時DSは、前途有望な業種と見なされていたこともあり、DS展開で遅れをとっていた西友は本間物産を傘下とし、DS若しくはホームセンターへの参入を探るとしていた[4]。また翌月には西友が経営不振に陥ったエンドーチェーン(本社:仙台市)への資本参加を発表したことから、2社の経営に参画する西友が出遅れていた東北に対し本格的な展開を開始するとの報道も伝えられた[5]。しかし1993年3月、セゾングループがインターコンチネンタルホテルや放送事業に経営資源を集中させたいとの意向を示し、堤が管財人の辞任を山形地裁鶴岡支部に申し出たことが明らかとなった。これによって、食肉卸から身を興し、酒、コメ、ガソリンなどの価格破壊に挑み[6]、DSチェーンであるカウボーイ(本社:札幌市)を立ち上げ、経営を軌道に乗せた中野晃社長が事業管財人に選定され、カウボーイが再建を担う体制へと移行した[7]。その後、本間物産はカウボーイの傘下に組み入れられ、2004年2月27日には債務の完済を発表。山形地裁鶴岡支部も更生手続き終了を認めた[8]。この更生の最中には、本間物産の債権者である金融機関が酒田市が本間家から借り受けている同市光ヶ丘3丁目の光ケ丘野球場や陸上競技場などの敷地に対する不動産競売を山形地裁酒田支部に申し立て、市土地開発公社が約17億5千万円で落札するという一幕もあった[9]。
だが、カウボーイの主力銀行であった北海道拓殖銀行と日本長期信用銀行の経営破綻や、経営環境の激変からカウボーイの連結売上高も急落し経営危機に陥ったため、2006年秋、中野社長が資金力のあるゴールドマンサックスグループに保有していた本間物産株式を売却。経営から撤退した[10]。
2008年2月29日、多角化の失敗や店舗改装の遅れで競争力が低下していたカウボーイの経営再建にあたっていたゴールドマンサックスグループなどから本間物産の買収を打診された伏見屋(本社:秋田県仙北市)が約54%の株式を6億円取得。同社が本間物産を子会社化した[11][12]。
沿革
[編集]- 1963年(昭和38年)3月 - 本間物産株式会社設立。
- 1986年(昭和61年)5月 - 株式会社マルホンを吸収合併。
- 1990年(平成2年)10月 - 倒産。その後株式会社カウボーイの支援を受け、連結子会社となる。
- 2008年(平成20年)2月 - 株式会社カウボーイの所有する本間物産株が、株式会社伏見屋(現:伏見屋ホールディングス)に売却。これにより本間物産は伏見屋グループの傘下に入る。
営業中の店舗
[編集]かつて存在していた店舗
[編集]- マルホンカウボーイ
2023年9月10日閉店。
- 上越店 新潟県上越市
- 上越ウイングマーケットセンター内にあった。カウボーイの事業整理により営業譲渡された店舗であったが、2009年1月31日で閉店となった
- マルホンマート
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 本間物産株式会社 第54期決算公告
- ^ a b c 「酒田の大地主「本間物産」はなぜ倒産したか 山本茂」『President』 1990年12月号
- ^ a b 「酒田の大地主 本間家の本間物産が倒産して リポート倒産」『AERA』1990年10月23日号
- ^ 「本間物産 西友グループ入りも セゾン主導で経営再建」『日経流通新聞』1991年1月17日
- ^ 「西友東北展開本格化 仙台駅前に拠点確保 大店法緩和が再編促す」『日本経済新聞』1991年2月22日
- ^ 『検証 拓銀破たん10年』p.333 - 334
- ^ 「本間物産 再建の手綱「カウボーイ」にセゾン撤退 土日型のDS営業」『日経流通新聞』1993年3月30日
- ^ 「本間物産が債務完済 『マルホンカウボーイ」展開 更生手続き終了へ」『読売新聞』山形版 2004年2月28日
- ^ 「野球・競技場など本間家の土地、市が落札 酒田」『朝日新聞』山形版 1997年6月20日
- ^ 『検証 拓銀破たん10年』p.336
- ^ “人材育成 わが社の秘策II 『能力が活きる環境』を与えることで育てる 本間物産株式会社”. FUTURE-SIGHT. (Summer 2012 57号) 2016年2月17日閲覧。
- ^ 「酒販店の伏見屋、本間物産を買収、食品の低価格販売に照準」『日本経済新聞』2008年2月29日
- ^ 「長崎屋、郊外型GMSへ布石 カウボーイと共同出店」『日経流通新聞』1994年8月25日
参考文献
[編集]- 北海道新聞社編 『検証 拓銀破たん10年』 北海道新聞社、2008年。ISBN 4894534606