マルシンストア
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種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
略称 | マルシン |
本社所在地 |
日本 〒708 岡山県津山市津山口243[6] |
設立 | 1958年(昭和33年)2月11日[2][6] |
業種 | 小売業 |
事業内容 | スーパーマーケット経営 |
代表者 | 石田精一(代表取締役社長) |
資本金 | 800万円 |
売上高 | 77億円 |
決算期 | 2月 |
関係する人物 | 石田正男(創業者) |
特記事項:オール日本スーパーマーケット協会、全美作食料品小売商組合加盟 1991年12月10日時点のデータ |
株式会社 マルシンストア(英文社名:Marushin Store Co.,Ltd.)は、かつて存在した岡山県津山市に本社を置くスーパーマーケットチェーン。オール日本スーパーマーケット協会加盟企業であった[7]。 1992年(平成4年)3月1日に天満屋ストアの子会社となって「株式会社アイム天満屋」に商号を変更した[8]。
1992年の商号変更後については天満屋ストアを参照。
沿革
[編集]- 1958年(昭和33年)
- 1960年(昭和35年)12月15日 - 「マルシン百貨店従業員組合」結成[10]。
- 1981年(昭和56年)4月15日 - オール日本スーパーマーケット協会に加盟[11]。
- 1986年(昭和61年)1月 - 天満屋ストアと業務提携し、人事交流および商品供給を行う[12][13]。
- 1992年(平成4年)3月1日 - 天満屋ストアが発行済株式の90%を取得し社名を「株式会社アイム天満屋」[注 1]と改称し、グループ傘下となる[14][12][13][15]。
- 2003年(平成15年)4月 - 従前の役員らが協力して11年ぶりにマルシンストア(社長・久保昌之)が立ち上げられる[16][注 2]。
かつて存在した店舗
[編集]- 津山市
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- 本店→本店エグゼ[要出典] - 津山市新魚町47[17][3]、マルシンストア1号店[要出典]、1958年(昭和33年)3月10日開店[9]。売場面積270m2[9]→442.2m2[17]。
- 鍛冶町中央店 - 津山市鍛冶町35[17][3]、2号店、1966年(昭和41年)5月5日開店、1979年(昭和54年)3月31日立地変革による営業不振のため閉店。[要出典]売場面積587.4m2[17]。
- 山北店 - 津山市山北字尻面406-17[17]、3号店[要出典]、1967年3月10日開店[18]。売場面積360m2[18]。
- 志戸部店 - 津山市志戸部字榎ヶ市705[17][5]、4号店[要出典]、1970年(昭和45年)12月1日開店[9]。売場面積429m2[17]。売場面積280.5m2[17]。
- 院庄店 - 津山市院庄火の口950-3[17]、5号店[要出典]、1970年(昭和45年)12月15日開店[9]。売場面積330m2[9]→346.5m2[17]。
- 東津山店 - 津山市川崎才の前[要出典]90-1[19][20]、6号店[要出典]、1973年(昭和48年)8月3日[要出典]開店[19][21]。売場面積346.5m2[17]。
- 津山口店(初代) - 津山市津山口字往還上[要出典]163[20]、7号店[要出典]、1976年(昭和51年)9月1日[要出典]開店[22]。借家で不法建築のため危険性があり、津山口店(2代目)に新築移転に伴い閉店。[独自研究?]売場面積300m2[2]。
- 津山口店(2代目) - 津山市津山口字往還上156-1[要出典]、1980年(昭和55年)2月26日開店[23]。
- 小原店 - 津山市小原150-4、8号店、1978年3月14日開店、1981年3月8日閉店。住宅地開発が進展せず営業不振のため閉店、1981年4月1日よりマルシン生鮮食品配送センターとして転用。[要出典]
- 高野店(初代)→高野いちご館[要出典] - 津山市高野本郷字新屋敷[5]1417-5[20]、9号店[要出典]、1978年(昭和53年)5月5日[要出典]開店[5][24]。売場面積325m2[5]。
- 高野店(2代目) - 津山市高野本郷1416-1[要出典]
- 高尾店 - 津山市高尾字懸ヶ内[要出典]635[5][20]、10号店[要出典]、1978年(昭和53年)11月20日[要出典]開店[5][25]。売場面積325m2[5]。
- 院庄西店 - 津山市院庄昆沙門[要出典]1015[19]、13号店[要出典]、1981年(昭和56年)4月7日[要出典]開店[19][26]。売場面積339m2[19]。
- 小田中店 - 津山市小田中1314-5[要出典]
- 中之町店 - 津山市中之町35、[要出典]現在は万歩書店中之町店として営業している。[独自研究?]
- 久米郡中央町(現・久米郡美咲町)
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- 亀甲店 - 久米郡中央町原田1933-5、亀甲ショッピングセンターの核店舗として藤井商店の跡に入居。その後アイム天満屋、ハピーマートを経て現在は「にぎわい市場三金や亀甲店」として営業。[29]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 株式会社アイム天満屋は、2004年3月に株式会社天満屋ハピーマートと合併し - 株式会社ハピーマートへ商号変更。(2009年9月、株式会社天満屋ハピーマートへ社名変更。)[要出典]
- ^ 現在は、閉店している模様。[独自研究?]
出典
[編集]- ^ 『山陽年鑑 昭和34年版』 山陽新聞社、1958年10月1日。pp439
- ^ a b c d 『食糧年鑑 1977年版 本編』 日本食糧新聞社、1977年8月15日。pp441
- ^ a b c 『日本繊維商社銘鑑 1979年版』 東京信用交換所、1979年1月1日。pp1855
- ^ 『つやま商工名鑑 1980年版』 津山商工会議所、1980年4月8日。pp111
- ^ a b c d e f g h 『小売業年鑑 百貨店・スーパー 1983年版』 商業界、1983年3月。pp1287
- ^ a b c 『岡山県会社要覧 1986年版』 岡山経済研究所、1985年12月10日。 pp506
- ^ 1987年版 岡山県会社要覧. 財団法人 岡山経済研究所. (1986-12-15)
- ^ 『経済日誌』 岡山経済 1992年3月号 (岡山経済研究所) (1992年3月20日)。pp41
- ^ a b c d e f 『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 食品新聞社、1973年1月20日。pp130
- ^ 『倉敷市職労の30年 年表編 1946~1975』 倉敷市職員労働組合、1981年5月11日。 pp96
- ^ 『AJS20年の歩み』 オール日本スーパーマーケット協会、1984年1月。 pp460
- ^ a b “マルシンストア買収 天満屋ストア 山陰に商圏拡大”. 日経流通新聞. 日本経済新聞社. (1992年3月3日)
- ^ a b “天満屋ストア、マルシンストア吸収、子会社に。”. 日本経済新聞. 日本経済新聞社. (1992年2月22日)
- ^ 1999年版日本スーパーマーケット名鑑. 株式会社商業界. (1998-11-20)
- ^ 天満屋ストア、マルシンストアを傘下に収め商圏拡大を図る 日本食糧新聞 1992年3月4日[リンク切れ]
- ^ 11年の歳月を経て「マルシンストア」再開 Vision 岡山 2003年5月1日号掲載[リンク切れ]
- ^ a b c d e f g h i j k 『特集 日本のスーパーマーケット 食品流通年報1972年版』 日本食糧新聞社、1971年11月25日。pp226
- ^ a b 『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 食品新聞社、1973年1月20日。pp131
- ^ a b c d e f g h i j 『小売業年鑑 百貨店・スーパー 1983年版』 商業界、1983年3月。pp1288
- ^ a b c d 『全国商業通覧 第3回 1985年版 西日本 2』 通商産業調査会、1985年3月。pp1666
- ^ 『AJS20年の歩み』 オール日本スーパーマーケット協会、1984年1月。 pp529
- ^ 『AJS20年の歩み』 オール日本スーパーマーケット協会、1984年1月。 pp533
- ^ 『岡山県関係新聞記事索引 昭和55年』 岡山経済研究所、1983年3月22日。 pp339
- ^ 『AJS20年の歩み』 オール日本スーパーマーケット協会、1984年1月。 pp535
- ^ a b 『AJS20年の歩み』 オール日本スーパーマーケット協会、1984年1月。 pp536
- ^ 『AJS20年の歩み』 オール日本スーパーマーケット協会、1984年1月。 pp539
- ^ 『全国商業通覧 第3回 1985年版 西日本 2』 通商産業調査会、1985年3月。pp1667
- ^ 『AJS20年の歩み』 オール日本スーパーマーケット協会、1984年1月。 pp537
- ^ “天満屋ハピーマート亀甲店、2020年5月28日閉店-サンエースの旧・アイム天満屋、跡地に三金屋”. 都市商業研究所. 2021年1月12日閲覧。