マリー・フォン・ヘッセン=カッセル (1814-1895)
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マリー・フォン・ヘッセン=カッセル Marie von Hessen-Kassel | |
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ヘッセン=カッセル公女マリー、1870年代 | |
出生 |
1814年5月9日 コペンハーゲン |
死去 |
1895年7月28日(81歳没) レングリース、ホーエンブルク城 |
配偶者 | フリードリヒ・アウグスト・フォン・アンハルト=デッサウ |
子女 |
アーデルハイト・マリー バティルディス・アマルグンデ ヒルダ・シャルロッテ |
家名 | ヘッセン=ルンペンハイム家 |
父親 | ヘッセン=カッセル=ルンペンハイム方伯ヴィルヘルム10世 |
母親 | ルイーセ・シャロデ・ア・ダンマーク |
マリー・ルイーゼ・シャルロッテ・フォン・ヘッセン=カッセル(Marie Luise Charlotte von Hessen-Kassel, 1814年5月9日 - 1895年7月28日)は、ドイツの諸侯家門ヘッセン=カッセル家の公女で、アンハルト=デッサウ公子フリードリヒ・アウグストの妻。
生涯
[編集]ヘッセン=カッセル=ルンペンハイム方伯ヴィルヘルム(10世)と、その妻でデンマーク王クリスチャン8世の妹であるルイーセ・シャロデの間の第2子、次女として生まれた[1][2]。妹のルイーゼとその夫のクリスチャン9世王は、デンマークのグリュックスブルク王朝の始祖である。
1832年9月11日、オッフェンバッハ・アム・マインのルンペンハイム宮殿において、アンハルト=デッサウ公レオポルト4世(1863年よりアンハルト公)の弟であるフリードリヒ・アウグストと結婚し、間に3人の娘をもうけた。1895年、娘婿のルクセンブルク大公アドルフの持ち城であるレングリース(現在のバイエルン州オーバーバイエルン行政管区バート・テルツ=ヴォルフラーツハウゼン郡)郊外のホーエンブルク城(Schloss Hohenburg)で死去した。
子女
[編集]- アーデルハイト・マリー(1833年 - 1916年) - 1851年、ナッサウ公(のちルクセンブルク大公)アドルフと結婚
- バティルディス・アマルグンデ(1837年 - 1902年) - 1862年、シャウムブルク=リッペ侯子ヴィルヘルムと結婚
- ヒルダ・シャルロッテ(1839年 - 1926年)
脚注
[編集]- ^ Darryl Lundy (13 Aug 2003). “Marie Luise Charlotte Prinzessin von Hessen-Kassel”. thePeerage.com. 2009年8月12日閲覧。
- ^ Paul Theroff. “HESSE”. Paul Theroff's Royal Genealogy Site. 2009年8月12日閲覧。