ルイーゼ・フォン・ヘッセン=カッセル
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ルイーセ・ア・ヘッセン=カッセル Louise af Hessen-Kassel | |
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デンマーク王妃 | |
ルイーセ・ア・ヘッセン=カッセル | |
在位 | 1863年11月15日 - 1898年9月29日 |
全名 |
一覧参照
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出生 |
1819年3月9日 ヘッセン選帝侯国、カッセル |
死去 |
1898年9月29日(79歳没) デンマーク、ゲントフテ、ベルンストルフ宮殿 |
埋葬 | デンマーク、ロスキレ、ロスキレ大聖堂 |
結婚 | 1842年5月26日 アマリエンボー宮殿(フレゼリク8世宮殿) |
配偶者 | クリスチャン9世 |
子女 | |
家名 | ヘッセン=ルンペンハイム家 |
父親 | ヴィルヘルム・フォン・ヘッセン=カッセル=ルンペンハイム |
母親 | ルイーゼ・シャルロッテ・フォン・デーネマルク |
宗教 | キリスト教ルーテル教会 |
サイン |
ルイーゼ・フォン・ヘッセン=カッセル(ドイツ語: Luise von Hessen-Kassel, 1817年9月7日 - 1898年9月29日)は、デンマーク国王クリスチャン9世の王妃。デンマーク語名はルイーセ・ア・ヘッセン=カッセル(Louise af Hessen-Kassel)。
生涯
[編集]ヘッセン=カッセル=ルンペンハイム方伯ヴィルヘルムの三女として生まれる。母ルイーゼ・シャルロッテはデンマーク王クリスチャン8世の妹であった。弟フリードリヒ・ヴィルヘルムはヘッセン=カッセル家の家長となった。
1842年にグリュックスブルク公子クリスティアンと結婚した。クリスティアンの母ルイーゼ・カロリーネは、父がヘッセン=カッセル方伯フリードリヒ2世の三男カール、母がデンマーク王フレデリク5世の三女ルイーセであり、ルイーゼの両親どちらにとっても従姉妹であった。つまり、ルイーゼにとってクリスティアンは父方でも母方でも又従弟にあたった。
ルイーゼの母方の従兄にあたるフレゼリク7世が後継ぎを儲けることなく崩御すると、夫が自身(グリュックスブルク家はデンマーク王家であるオレンボー家の分家)とルイーゼの血筋によって王位継承者に選ばれ、デンマーク国王クリスチャン9世として即位した。
子女
[編集]- クリスチャン・フレゼリク・ヴィルヘルム・カール(1843年 - 1912年) - デンマーク王フレゼリク8世
- アレクサンドラ・カロリーネ・マリー・シャルロッテ・ルイーセ・ユリア(1844年 - 1925年) - イギリス王エドワード7世妃
- クリスチャン・ヴィルヘルム・フェルディナント・アドルフ・ゲオルク(1845年 - 1913年) - ギリシャ王ゲオルギオス1世
- マリー・ソフィー・フレデリケ・ダウマー(1847年 - 1928年) - ロシア皇帝アレクサンドル3世皇后 ロシア名はマリア・フョードロヴナ
- テューラ・アマーリア・カロリーネ・シャルロッテ・アンナ(1853年 - 1933年) - 元ハノーファー王太子エルンスト・アウグスト2世妃
- ヴァルデマー(1858年 - 1939年)