マリア・テレジア・フォン・エスターライヒ (1762-1770)
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マリア・テレジア・フォン・エスターライヒ Maria Theresia von Österreich | |
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出生 |
1762年3月20日 神聖ローマ帝国 オーストリア大公国、ウィーン、シェーンブルン宮殿 |
死去 |
1770年1月23日(7歳没) 神聖ローマ帝国 オーストリア大公国、ウィーン、シェーンブルン宮殿 |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 オーストリア大公国、ウィーン、カプツィーナー納骨堂 |
家名 | ハプスブルク=ロートリンゲン家 |
父親 | 神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世 |
母親 | マリア・イザベラ・フォン・ブルボン=パルマ |
宗教 | キリスト教カトリック教会 |
マリア・テレジア・フォン・エスターライヒ(Maria Theresia von Österreich、1762年3月20日 - 1770年1月23日)は、のちの神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世と妃マリア・イザベラ・フォン・ブルボン=パルマの長女である。ヨーゼフ2世の母である女帝マリア・テレジアにとって初孫であった。全名は、マリア・テレジア・エリーザベト・フィリピーネ・ルイーゼ・ヨーゼファ・ヨハンナ(Maria Theresia Elisabeth Philippine Luise Josepha Johanna)。
来歴
[編集]祖母マリア・テレジアが名付け親になり、自らと同じくマリア・テレジアと名付けた。1歳のときに、母イザベラが妹のマリア・クリスティーナを死産して自身も数日後に死去した。それ以降マリア・テレジアは、イザベラを熱愛していた父ヨーゼフにとって、彼女の忘れ形見であった。マリア・テレジアは7歳上の叔母であるマリア・アントニア(マリー・アントワネット)とよく遊んでいた。
1770年、8歳になる数ヶ月前に、マリア・テレジアは胸膜炎で死去した。父ヨーゼフは深く悲しみ、立ち直れなかった。