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マリア・ダ・グロリア・デ・オルレアンス・イ・ブラガンサ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マリア・ダ・グロリア
Maria da Glória
オルレアンス=ブラガンサ家英語版

全名
出生 (1946-12-13) 1946年12月13日(78歳)
ブラジルの旗 ブラジルペトロポリス
配偶者 アレクサンダル2世カラジョルジェヴィチ
  イグナシオ・デ・メディナ・イ・フェルナンデス・デ・コルドバ
子女
父親 ペドロ・ガスタン・デ・オルレアンス・エ・ブラガンサ
母親 マリア・デ・ラ・エスペランサ・デ・ボルボン=ドス・シシリアス
宗教 キリスト教カトリック教会
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マリア・ダ・グロリア・デ・オルレアンス・イ・ブラガンサ・イ・ボルボンポルトガル語: Maria da Glória de Orléans e Bragança e Bourbon, 1946年12月13日 - )は、ペトロポリス系ブラジル皇帝家家長ペドロ・ガスタンの娘。ユーゴスラビアセルビア元王太子アレクサンダル(2世)の最初の妻。

経歴

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ブラジル=ペトロポリス系ブラガンサ家の当主ペドロ・ガスタンとその妻で両シチリア王子・スペイン王子カルロ・タンクレーディの娘であるマリア・デ・ラ・エスペランサの間の第2子、長女として生まれた。全名はマリア・ダ・グロリア・エンリケータ・ルシア・ミカエラ・ハファエラ・ガブリエラ・ゴンザーガ・デ・オルレアンス・イ・ブラガンサ・イ・ボルボン(Maria da Glória Henriqueta Dolores Lúcia Micaela Rafaela Gabriela Gonzaga de Orléans e Bragança e Bourbon)。

1972年7月1日にスペイン、セビーリャ近郊のビリャマンリケ・デ・ラ・コンデーサにおいて、ユーゴスラビア王ペータル2世の一人息子アレクサンダル王太子と結婚した。アレクサンダルはローマ・カトリック信徒であるグロリアとの結婚に伴い、イギリス王位継承資格を剥奪されたが、2013年にイギリスで2013年王位継承法が制定され、カトリック教徒との結婚による王位継承権喪失の条項が撤廃されたため現在は復帰している。夫妻の間には3人の息子が生まれた。なお、これら3人はセルビア正教徒として育てられたため、同法律の制定以前からイギリス王位継承資格がある。

グロリアは1985年にアレクサンダルと離婚し、同年10月24日にスペインの大貴族であるセゴルベ公爵イグナシオ・デ・メディナ・イ・フェルナンデス・デ・コルドバスペイン語版(1947年 - )と再婚した。間に2人の娘をもうけた。

  • ソル・マリア・ブランカ(1986年 - ) アンプリアス女伯
  • アナ・ルナ(1988年 - ) リクラ女伯

系譜

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関連項目

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