マティルド・ド・ブローニュ (1170-1210)
表示
マティルド・ド・ブローニュ Mathilde de Boulogne | |
---|---|
マティルドとアンリ1世の結婚 | |
出生 |
1170年 |
死去 |
1210年10月16日 |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 ブラバント公領、ルーヴェン、聖ペテロ教会 |
配偶者 | ブラバント公アンリ1世 |
子女 | 本文参照 |
家名 | ロレーヌ家 |
父親 | ブローニュ伯マチュー・ダルザス |
母親 | ブローニュ女伯マリー |
マティルド・ド・ブローニュ(フランス語:Mathilde de Boulogne, 1170年 - 1210年10月16日)は、ブローニュ伯マチュー・ダルザスとブローニュ女伯マリーの間の次女[1]。ブラバント公アンリ1世の妃[2]。
生涯
[編集]マティルドの両親はマティルドの生まれた年に結婚を解消し、母マリーはモントルイユのサント=オストルベルト修道院でベネディクト会の修道女となり、1182年に死去した[3]。結婚解消後も父マチューはブローニュ伯領を死去する1173年まで統治し、その後は長女イドがブローニュ伯位を継承した。
マティルドは1180年に後にブラバント公となるアンリ1世と結婚した[4]。2人の間に以下の子女が生まれた。
- マリー(1190年 - 1260年) - 神聖ローマ皇帝オットー4世と結婚、死別後ホラント伯ウィレム1世と再婚。
- アデライード(1190年 - 1265年) - ブローニュ女伯。1206年にルース伯アルヌルフと結婚、次いで1225年2月3日にオーヴェルニュ伯ギヨーム10世と再婚。
- マルグリット(1192年 - 1231年) - 1206年にゲルデルン伯ゲルハルト3世と結婚
- マティルド(1200年 - 1267年) - 1212年にアーヘンでライン宮中伯ハインリヒ6世と結婚、死別後1214年12月6日にホラント伯フロリス4世と再婚。
- アンリ2世(1207年 - 1248年) - ブラバント公
- ジョフロワ(1209年 - 1254年1月21日) - ガースベーク領主、マリア・ファン・オーデナールデと結婚
マリーは1210年10月16日に死去し、ルーヴェンの聖ペテロ教会に埋葬された。
脚注
[編集]- ^ McDougall 2017, p. 204.
- ^ Pollock 2015, p. 10.
- ^ Burgess & Busby 1986, p. 19.
- ^ Lambert of Ardres 2007, p. 229.
参考文献
[編集]- The Lais of Marie de France. Penguin. (1986)
- Lambert of Ardres (2007). The History of The Counts of Guines and Lords of Ardres. University of Pennsylvania Press
- Pollock, M.A. (2015). Scotland, England and France after the Loss of Normandy, 1204-1296. The Boydell Press
- McDougall, Sara (2017). Royal Bastards: The Birth of Illegitimacy, 800-1230. Oxford University Press