コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

マイク・イーノス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マイク・イーノス
プロフィール
リングネーム "ミーン" マイク・イーノス
ブレイク・ビバリー
マスクド・スカイスクレイパー
ザ・モウラー
本名 マイク・イーノス
ニックネーム 殺人コンベアー
身長 188cm
体重 120kg(全盛時)
誕生日 (1963-06-11) 1963年6月11日(61歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ミネソタ州の旗 ミネソタ州
ヘネピン郡ミネアポリス
トレーナー エディ・シャーキー英語版
デビュー 1988年
引退 2002年
テンプレートを表示

マイク・イーノスMike Enos1963年6月11日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーミネソタ州ミネアポリス出身。

AWAWWFではウェイン・ブルームとの金髪タッグチームデストラクション・クルー」および「ビバリー・ブラザーズ」で活躍[1]。チーム解散後の1990年代中盤は、中堅外国人ヒールとして新日本プロレスに度々来日した[2]

来歴

[編集]

ジェシー・ベンチュラロード・ウォリアーズリック・ルードらを輩出したエディ・シャーキー英語版のトレーニングを受け、1988年に地元ミネアポリスAWAにてデビュー。"ミーン" マイク・イーノス"Mean" Mike Enos)をリングネームに、1989年に兄弟子のウェイン "ザ・トレイン" ブルームと組んでデストラクション・クルーThe Destruction Crew)を結成。ジョニー・バリアントマネージャーに迎え、ヒールの大型タッグチームとして頭角をあらわす[3]

同年10月1日、空位となっていたAWA世界タッグ王座の争奪トーナメント(4チーム参加)にて、1回戦でサージェント・スローター&バロン・フォン・ラシク、決勝でグレッグ・ガニア&ポール・ダイヤモンドを破り、新王者チームとなった[4]。同王座は翌1990年8月11日にザ・トルーパー&D・J・ピーターソンに敗れるまで保持し、王座陥落直後にブルームとのコンビで新日本プロレスに初来日[5]。8月19日の両国国技館大会にて武藤敬司&蝶野正洋IWGPタッグ王座に挑戦した[6]

AWA崩壊後の1991年ビバリー・ブラザーズThe Beverly Brothers)のチーム名でブルームと共にWWFに移籍。ブルームは長兄役のボウ・ビバリー(Beau Beverly)、自身は弟役のブレイク・ビバリーBlake Beverly)を名乗り、富裕層ゲイの兄弟を新しいギミックとして活動。マネージャーはザ・ジニアスが担当し、リージョン・オブ・ドゥームザ・ロッカーズザ・ブッシュワッカーズナスティ・ボーイズスタイナー・ブラザーズなどのチームと抗争を展開した[7][8]1992年8月29日にロンドンウェンブリー・スタジアムで開催されたサマースラムでは、アースクエイクタイフーンナチュラル・ディザスターズが保持していたWWF世界タッグ王座に挑戦[9]。同年には日本のSWSWARにも参戦している[10]

1993年のWWF離脱後はブルームとのコンビを一旦解消し、同年11月に新日本プロレスに再来日。以降も新日本の常連外国人選手となり、1994年10月の『SGタッグリーグ戦IV』にはロード・スティーブン・リーガルと組んで出場。1995年7月の来日時はAWA時代の盟友スコット・ノートンのパートナーとなって、橋本真也&平田淳嗣とIWGPタッグ王座決定戦を争った[11]

1996年よりWCWに参戦し、ディック・スレーターとのタッグチームなどで活動後、ブルームとのデストラクション・クルーを再結成。ジ・アウトサイダーズ(ケビン・ナッシュ&スコット・ホール)、クリス・ベノワ&ディーン・マレンコレイヴェン&ペリー・サターンなどのチームのジョバーを務めた[1][12]。ブルームが引退した1999年以降もジョバーとしてWCWに単発出場し、2000年は3月と6月に新日本プロレスに来日した[13]

得意技

[編集]

獲得タイトル

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b Tag Team Profiles: The Beverly Brothers”. Online World of Wrestling. 2011年8月11日閲覧。
  2. ^ 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P61(2002年、日本スポーツ出版社
  3. ^ The AWA matches fought by Mike Enos in 1989”. Wrestlingdata.com. 2015年10月26日閲覧。
  4. ^ a b AWA World Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年8月11日閲覧。
  5. ^ The NJPW matches fought by Mike Enos in 1990”. Wrestlingdata.com. 2015年10月26日閲覧。
  6. ^ NJPW 1990/08/19”. Cagematch.net. 2015年10月26日閲覧。
  7. ^ WWE Yearly Results 1991”. The History of WWE. 2011年8月11日閲覧。
  8. ^ WWE Yearly Results 1992”. The History of WWE. 2011年8月11日閲覧。
  9. ^ WWF SummerSlam 1992”. Cagematch.net. 2015年10月26日閲覧。
  10. ^ The matches Mike Enos fought at Japan in the year 1992”. Wrestlingdata.com. 2015年10月26日閲覧。
  11. ^ NJPW Best Of The Super Junior II - Tag 18”. Cagematch.net. 2015年10月26日閲覧。
  12. ^ Tag Teams Database: The Beverly Brothers”. Cagematch.net. 2011年8月11日閲覧。
  13. ^ The NJPW matches fought by Mike Enos in 2000”. Wrestlingdata.com. 2015年10月26日閲覧。

外部リンク

[編集]