ポーレット・ダルティ
ポーレット・ダルティ(Paulette Darty)の名で知られたポーレット・コンベ(Paulette Combes[1]、1871年1月2日 - 1939年12月9日[2])は、フランスの歌手。
生涯
[編集]ポーレット・ダルティは、歌手として「スローなワルツの女王 (La Reine des Valses lentes)」という異名をとるようになるずっと前に、音楽院でピアノを学び、まずピアニストとしてデビューした[3]。
1890年、まだ無名であったダルティは、オペラ歌手ジルベール・ド・ビダール(Gilbert de Bidart)、通称ド・バルディ(de Bardy)と結婚した[2]。
ヴィシーのエデン座(l'Eden)でいろいろなオペレッタで様々な役を演じた後、1895年ころ、当時スカラ座(Scala)のところにあったエルドラド座(l'Eldorado)に出演していたころから名前が知られるようになった。
1900年、作曲家エリック・サティは、ダルティのためにアンリ・パコリ(Henry Pacory)の詞に曲をつけ、「ジュ・トゥ・ヴー(あんたが欲しいの)」を作曲した。ダルティのレパートリーとなったこの曲は、その後、男性歌手用の歌詞が書かれたり、サティ自身がピアノ曲に編曲したりと、様々な形で広まっていくことになった[4]。
ダルティは、1901年の「アムルーズ (Amoureuse)[5]」や、1905年の「ファシナシオン (Fascination)[6]」が、シャンソンのスタンダードになることに貢献したが、その詞はいずれもモーリス・ド・フェラウディ(Maurice de Féraudy)が提供していた。この頃には、ダルティの歌う曲の楽譜集なども出版され、その中にはダルティ自身が作曲した曲も取り上げられた[7]。
ダルティは女優としても舞台に立った。1903年には、ブッフェ=パリジャン劇場(Théâtre des Bouffes-Parisiens)で、喜歌劇『フロロドーラ (Florodora)』のドロレス(Dolorès)役を演じた。
1902年に夫ジルベールが亡くなり、ダルティは未亡人となったが、その後、彼女は30代半ばで一線から退き、1905年ないし1908年には表舞台から姿を消した[2]。
ダルティは、1939年12月9日にパリで亡くなり、近郊のリュエイユ=マルメゾンに葬られた[2]。
出典・脚注
[編集]- ^ 本名を、ポーレット・ド・バルディ(Paulette de Bardy)とする資料もある(例えば、“1900-1920 ANTHOLOGIE DE LA CHANSON FRANCAISE, BIOGRAPHIES”. Poètes & Chansons. 2011年4月12日閲覧。)。ド・バルディ(de Bardy)は、夫ジルベール・ド・ビダール(Gilbert de Bidart)が通称した姓であった(Paul Dubé, Jacques Marchioro. “Du Temps des cerises aux Feuilles mortes”. l'Université de Napierville. 2011年4月12日閲覧。)。
- ^ a b c d Paul Dubé, Jacques Marchioro. “Du Temps des cerises aux Feuilles mortes”. l'Université de Napierville. 2011年4月12日閲覧。
- ^ in Les chansons de Paris du 10 mai 1903
- ^ 石川伸幸 (2007年6月). “サティ : あなたが欲しい(ジュ・トゥ・ヴー) / Je te veux”. 社団法人全日本ピアノ指導者協会. 2011年4月13日閲覧。
- ^ 作曲は、Rodolphe Berger(“ALBUM MUSICALE DE FEMINA / DARTY PAULETTE”. Le-livre.com & Acsis33. 2011年4月13日閲覧。)。
- ^ 作曲は、F.D. Marchetti (Fermo Dante Marchetti)。英語版Fascination (1932 song) 参照。
- ^ “ALBUM MUSICALE DE FEMINA / DARTY PAULETTE”. Le-livre.com & Acsis33. 2011年4月13日閲覧。