ポール・ホーン
ポール・ホーン Paul Horn | |
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生誕 | 1930年3月17日 |
出身地 | アメリカ合衆国・ニューヨーク市 |
死没 | 2014年6月29日(84歳没) |
学歴 | オバーリン大学 |
ジャンル |
ジャズ ニューエイジ アンビエント |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 |
フルート クラリネット サクソフォン |
レーベル |
ドット・レコード パシフィック・ジャズ・レコード コロムビア・レコード エピック・レコード |
公式サイト | paulhornmusic.com |
ポール・ホーン(Paul Horn、1930年3月17日 - 2014年6月29日[1])はアメリカ合衆国のジャズ・フルート奏者。1969年のアルバム『Inside』でニューエイジ・ミュージックの先駆者となった。
経歴
[編集]1930年3月17日、ニューヨーク市生まれ。父はユダヤ系の血を引いている。 4歳のときに家族でワシントンD.C.に移住[2][3][4]。またその歳でピアノを始め、12歳のときにクラリネットを演奏した。セオドア・ルーズベルト高等学校を経てワシントン音楽大学に通った[3][5]。1942年の夏に伯爵劇場の案内役としてクラリネットを購入した[5]のち、オハイオ州のオバーリン大学でクラリネットとフルートを学び、学士号を取得。1953年6月にはマンハッタン音楽学校で修士号を取得した[2][6]。
ロサンゼルスに移ると、1956年から1958年までチコ・ハミルトンのクインテットで演奏し、西海岸のセッションプレイヤーとして名を馳せるようになった。 毎週木曜日にデューク・エリントン・オーケストラのスイートで演奏し、ナット・キング・コール、トニー・ベネットなどと共演。また1959年のテレビアニメシリーズ『クラッチカーゴ』で音楽を担当した。
1960年、ラテンジャズ・ヴィブラフォニストのカル・ジェイダー、ドラマーのウィリー・ボボ、モンゴ・サンタマリアと共に、アルバム『Latino!』(ファンタジー・レコード)をレコーディング。オリジナル盤は1962年にリリースされ、その後1992年に同じタイトルで再リリースされた。
ホーンのクインテットは、1966年までコロムビアとRCAビクターのジャズアルバムを制作した。この頃、彼はデビッド・ウルパーのテレビドキュメンタリー『ジャズミュージシャンの肖像』の主題となった。
1955年、最初の妻であるリリアン・イボンヌ・ジョルダンと結婚したが、1959年までに仲違いし、数年後に離婚が確定した[7]。1970年、2番目の妻のTryntje Baumと結婚し、前妻の2人の息子、マーレンとロビンと共にバンクーバー島のビクトリア(ブリティッシュコロンビア州)に移った。 そこで自分のカルテットを作り、カナダ国立映画委員会の映画の劇伴を作曲した[8]。
ジャズミュージシャンとしてよく知られている一方で、ホーンの作品の多くはそのような範疇に収まらない。彼は中国やアフリカなど、さまざまな文化や背景を持つミュージシャンと共にアルバムを制作した[9]。
彼はブリティッシュコロンビア州とアリゾナ州に住み、のちにカナダのシンガーソングライター、アン・モーティフィーと結婚していた[10]。2014年6月29日、84歳で死去[11]。
2019年6月25日のニューヨーク・タイムズ・マガジンによれば、ホーンの作品は2008年のユニバーサルスタジオ火災で焼失の被害に遭っている[12]。
出典
[編集]- ^ ポール・ホーン氏死去 米ジャズ・フルート奏者 47news 2014年7月4日
- ^ a b Fordham, John (7 July 2014). “Paul Horn obituary”. The Guardian. July 7, 2014閲覧。
- ^ a b Horn & Underwood 1990, p. 49.
- ^ Horn & Underwood 1990, p. 50.
- ^ a b Horn & Underwood 1990, p. 51.
- ^ Horn & Underwood 1990, p. 61.
- ^ Horn & Underwood 1990, p. 4, 62.
- ^ “California Cool Jazz”. Paul Horn Music. 29 September 2013閲覧。
- ^ “India and Beyond”. Paul Horn Music. 29 September 2013閲覧。
- ^ “Inside Paul Horn”. Paul Horn Music. 29 September 2013閲覧。
- ^ Obituary in Times Colonist
- ^ “Here Are Hundreds More Artists Whose Tapes Were Destroyed in the UMG Fire”. The New York Times (June 25, 2019). June 28, 2019閲覧。