ポール・トーディ
ポール・トーディ Paul Torday | |
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誕生 |
1946年8月1日 ダラム・クロックデール |
死没 | 2013年12月18日(67歳没) |
職業 | 小説家 |
言語 | 英語 |
国籍 | イギリス |
活動期間 | 2006年 - 2013年 |
ジャンル | 風刺 |
代表作 | 『イエメンで鮭釣りを』 |
主な受賞歴 | ボランジェ・エブリマン・ウッドハウス賞 |
デビュー作 | 『イエメンで鮭釣りを』 |
配偶者 |
ジェーン・モーティマー (1971 - 1989) ペネロペ・テイラー (1991 - 2013) |
子供 | 実子2人、連れ子2人 |
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ポール・トーディ(Paul Torday、1946年8月1日 - 2013年12月18日[1])は、イギリスの小説家。代表作は2006年に上梓した処女作『イエメンで鮭釣りを』。
経歴
[編集]1946年、ダラム・クロックデールにハンガリー人の父ラズロ・トーディとアイルランド人の母アイリーンの間に3人兄弟の長男として生まれる[1]。父はハンガリーからの移民で、1930年代に両親ら一家でイギリス北西部に移り住んだ。物理学者だった父と、科学者だった祖父が政府の補助金を得て電気めっきの事業を始め、後に船のエンジン修理会社へと発展していった[1]。ニューカッスルのインデペンデント・スクール、ロイヤル・グラマー・スクールで学ぶ。学校生活は決して楽しいものではなかったが、オックスフォード大学ペンブルック・カレッジの奨学金を勝ち取ることができ[1]、英語英文学を学ぶ[2]。大学卒業後、祖父はマンチェスターでビジネス・コースへ行くことを望んだが、ロンドンで市場調査の仕事をし、リーズの会社に就職した[1]。1973年、母がケニアで交通事故に遭い死亡、ノーサンバーランドへ帰郷し、家業である船のエンジン修理会社"Torday & Carlisle" に就職した[2][1]。以後約30年、ビジネスマンとして勤めてきたが、会社が敵対的買収され、非常勤会長の職に退いたのを機に、小説の執筆に取りかかり、作家へと転身、59歳にして初めての小説『イエメンで鮭釣りを』を上梓。翌2007年にボランジェ・エブリマン・ウッドハウス賞を受賞[3]、2008年にはウェイヴァートン・グッド・リード・アワードを受賞したほか、ギャラクシー・ブリティッシュ・ブック賞の最優秀新人作家にノミネートされた。
16歳の時に、デイリー・メールがスポンサーを務める詩のコンテストで優勝したことがあり、その後も詩を多く作ってきたが出版には至らなかった[1]。私生活では2度の結婚をし、最初の妻との間に2人の息子がいる。チップチェイス城で暮らした。
同作は2011年に『砂漠でサーモン・フィッシング』のタイトルでユアン・マクレガー主演で映画化された。トーディ自身は体調が思わしくなく、プレミア上映に出席できなかった[1]。
邦訳作品
[編集]作品リスト
[編集]- Salmon Fishing in the Yemen(2006年) / 『イエメンで鮭釣りを』小竹由美子訳 白水社〈エクス・リブリス〉)2009年4月
- The Irresistible Inheritance of Wilberforce (2008年) / 『ウィルバーフォース氏のヴィンテージ・ワイン』小竹由美子訳 白水社〈エクス・リブリス〉)2010年8月
- The Girl on the Landing (2009)
- The Hopeless Life Of Charlie Summers (2010)
- More Than You Can Say (2011)
- The Legacy of Hartlepool Hall (2012)
- Light Shining in the Forest (2013)