コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ポウィス侯爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポーイス侯爵から転送)
ポウィス侯爵

紋章記述

Arms:Per pale Azure and Gules three Lions rampant Argent, a Crescent for difference.Crest:A Wyvern wings elevated Vert holding in the mouth a Sinister Hand couped at the wrist Gules and charged on the shoulder with a Crescent for difference.Supporters:Dexter: A Panther rampant guardant Argent spotted of various colours fire issuing out of the mouth and ears ducally gorged Azure; Sinister: A Lion Argent ducally gorged Gules; each supporter charged on the shoulder with a Crescent for difference
創設時期1687年3月24日
創設者ジェームズ2世
貴族イングランド貴族
初代第3代ポウィス男爵ウィリアム・ハーバート
最終保有者3代侯爵ウィリアム・ハーバート
相続資格初代侯爵の嫡出直系男子
付随称号ポウィス伯爵
モンゴメリー子爵
ポウィス男爵
(レッドカスルの)準男爵
現況廃絶
断絶時期1748年3月8日
モットーUng Je Serviray

ポウィス侯爵(英:Marquess of Powis)は、かつて存在したイギリス(ウェールズ)の侯爵位。イングランド貴族爵位。第3代ポウィス男爵ウィリアム・ハーバート1687年に叙されたが、1748年に廃絶した。ペンブルック伯爵家の分家筋であった。

本項では、前身となったポウィス男爵についても触れる。

歴史

[編集]
一族のかつての邸宅であるポウィス城英語版。現在は、その末裔であるポウィス伯爵家の居城。

ポウィス侯爵家の祖エドワード・ハーバート英語版(1542?-1595) はペンブルック伯爵家の次男として生まれ、オールド・セイラム選挙区選出の庶民院議員を務めた[1][2]

その子ウィリアム・ハーバート英語版(1573-1655) は父同様に庶民院議員を務めたのち、1629年4月2日イングランド貴族としてモンゴメリー州ポウィスのポウィス男爵 (Baron Powis, of Powis in the County of Montgomery) に叙された[3][4]。初代男爵のあとは、その息子パーシーが爵位を継承した。

2代男爵パーシー (1598-1667) は、襲爵前の1622年11月16日にイングランド準男爵位の(モンゴメリー州レッドカッスルの)準男爵 (Baronet, of Redcastle in the County of Montgomery) に叙されている[3]

初代侯爵ウィリアム・ハーバートジャコバイトとして活動した。

3代男爵ウィリアム (1626-1696) は国王ジェームズ2世の近臣として活躍し、1674年4月4日モンゴメリー州ポウィスのポウィス伯爵 (Earl of Powis, of Powis in the County of Montgomery) に陛爵した。彼はさらに1687年3月24日ポウィス侯爵に昇叙するとともに、併せてモンゴメリータウンのモンゴメリー子爵 (Viscount Montgomery, of the Town of Montgomery) を授けられている[5][6][7]。これら一連の爵位はすべてイングランド貴族爵位である[3][5]。初代侯ウィリアムは名誉革命が起こると、廃位されたジェームズ2世に従った。彼は大僭称者ジェイムズ・ステュアートフランス亡命を成功させた功績から、ジャコバイト貴族爵位英語版[注釈 1]の「ポウィス公爵」及び「モンゴメリー侯爵」に叙爵された[6][8]。ただし、政府からは1689年7月に私権剥奪を受けており、父祖の地所や爵位は没官となった[6]

なお、その子ウィリアム (1660-1745) も父の動向によってロンドン塔に収監されたのち、法外者宣告及び追放に処された[5][9]。彼は続く1715年ジャコバイト蜂起に際して再逮捕されたが、後年は所領の一部や居城たるポウィス城英語版、及び父のポウィス侯爵位の回復に成功した[9]。彼ののちは、その息子ウィリアムが爵位を相続した[5][8]

しかし3代侯爵ウィリアム (1698-1748) が子のないまま1748年に死去すると、すべての爵位と準男爵位は廃絶した[5][8]。なお、一族の所領や居城は遠縁のヘンリー・ハーバート (1703-1772) に継承されているが、これが第2期のポウィス伯爵叙爵へとつながる[10]。(→その後の歴史は、ポウィス伯爵を参照)

一覧

[編集]

ポウィス男爵(1629年)

[編集]

ポウィス侯爵(1687年)

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 以下、存在性に乏しいジャコバイト爵位に関しては、括弧書きの強調なしで表記する。

出典

[編集]
  1. ^ Pembroke, Earl of (E, 1551)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年1月19日閲覧。
  2. ^ HERBERT, Edward II (c.1542-95), of Wilton, Wilts.; later of Powis Castle, Mont. | History of Parliament Online”. www.historyofparliamentonline.org. 2020年1月19日閲覧。
  3. ^ a b c Powis, Baron (E, 1629 - 1748)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年1月19日閲覧。
  4. ^ George Edward Cokayne. Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, Extant, Extinct, Or Dormant , Volume 6. G. Bell & sons, 1895. pg 295.
  5. ^ a b c d e Powis, Marquess of (E, 1687 - 1748)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年1月19日閲覧。
  6. ^ a b c Goodwin, Gordon (1891). "Herbert, William (1617-1696)" . In Stephen, Leslie; Lee, Sidney (eds.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 26. London: Smith, Elder & Co.
  7. ^ No.2224”. The Gazette 10 March 1686. 2020年1月20日閲覧。
  8. ^ a b c Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Powis, Earls and Marquesses of" . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 22 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 238.
  9. ^ a b Stephen, Leslie; Lee, Sidney, eds. (1891). "Herbert, William (d.1745)" . Dictionary of National Biography (英語). Vol. 26. London: Smith, Elder & Co.
  10. ^ Powis, Earl of (GB, 1748 - 1801)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年2月9日閲覧。

関連項目

[編集]