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東大ポポロ事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポポロ事件から転送)
最高裁判所判例
事件名 暴力行為等処罰ニ関スル法律違反被告事件
事件番号 昭和31年(あ)第2973号
1963年(昭和38年)5月22日
判例集 刑集17巻4号370頁
裁判要旨
  1. 大学の学問の自由と自治は、直接には教授その他の研究者の研究、その結果の発表、研究結果の教授の自由とこれらを保障するための自治とを意味する。
  2. 大学における学生の集会も、大学の公認した学内団体であるとか、大学の許可した学内集会であるとかいうことのみによって、特別な自由と自治を享有するものではなく、学生の集会が真に学問的な研究またはその結果の発表のためのものでなく、実社会の政治的社会的活動に当る行為をする場合には、大学の有する特別の学問の自由と自治は享有しないといわなければならない。
  3. 大学の許可を受け、大学構内で松川事件に関する演劇を開き、一般の公衆が自由に入場券を買って入場ができるような状態にあった本件集会に、警察官が立ち入ったとしても、大学の学問の自由と自治を享有しない集会であるから、何ら違法ではない。
大法廷
裁判長 横田喜三郎
陪席裁判官 河村又介 入江俊郎 池田克 垂水克己 河村大助 下飯坂潤夫 奥野健一 石坂修一 山田作之助 五鬼上堅磐 横田正俊 斎藤朔郎
意見
多数意見 横田喜三郎 河村又介 入江俊郎 池田克 垂水克己 河村大助 下飯坂潤夫 奥野健一 石坂修一 山田作之助 五鬼上堅磐 斎藤朔郎
意見 横田正俊
反対意見 なし
参照法条
憲法23条
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東大ポポロ事件(とうだいポポロじけん)とは、東京大学の公認学生団体「ポポロ劇団」が演劇発表会を行なった際に、学生が会場にいた私服警官を取り調べたところ、所持していた手帳から警察官のスパイ行為が発覚、暴行を加えた事件。

日本において大学の自治に関する最高裁判所判例をもたらした事件であり、日本国憲法第23条に保障する学問の自由及びそこに含まれる大学の自治が問題となった。

事件の概要

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法文経1号館(東大本郷キャンパス

ポポロ劇団は1952年2月20日東京大学本郷キャンパス法文経25番教室で松川事件をテーマとした演劇『何時(いつ)の日にか』(農民作家・藤田晋助の戯曲、1952年1月発表[1])の上演を行なった。これは大学の許可を得たものであった。上演中に、観客の中に本富士警察署の私服警官4名がいるのを学生が発見し、3名の身柄を拘束して警察手帳を奪い、謝罪文を書かせ、学生らが暴行を加えた。奪った警察手帳は東京大学の決議によって警察に返還されたが、警察手帳のメモから少なくとも1950年7月以降から警察が東大内を張込・尾行をして学生の思想動向等の調査を行っていたことが判明した。私服警官に暴行を加えた2人が暴力行為等処罰ニ関スル法律により起訴された。このうち一人はのちに秋田県横手市市長を務めた千田謙蔵である。

裁判の経過

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一審は、被告人学生の行為が大学の自治を守るためのものであるゆえに正当であるとし、学生を無罪とした(東京地方裁判所昭和29年5月11日判決)。

「大学は元来、学問の研究および教育の場であって、学問の自由は、思想、言論、集会などの自由と共に、憲法上保障されている。これらの自由が保障されるのは、それらが外部からの干渉を排除して自由であることによってのみ、真理の探究が可能となり、学問に委せられた諸種の課題の正しい解明の道が開かれるのである。」
「学問の研究並びに教育の場としての大学は、警察権力及至政治的勢力の干渉、抑圧を受けてはならないという意味において自由でなければならないし、学生、教員の学問的活動一般は自由でなければならない。そして、この自由が他からの干渉を受けないためには、これを確保するための制度的及至状況的保証がなければならない。それは大学の自治である。大学の自治は、学問、思想、言論などの自由を実行的に確保するために過去幾多の試練に耐えて育成されてきた方法であって、我が国においてはすでに確立された、制度的とすら言ってよい慣行として認められているものである。かくして、大学はそれ自体、一つの自治の団体であって、学長、教員の選任について充分に自治の精神が活かされ、大学の組織においても学長の大学管理権を頂点として自治の実態に沿うような構成が作られている。加之、学生も教育の必要上、学校当局によって自治組織を持つことを認められ、一定の規則に従って自治運動を為すことが許されている。」

二審(東京高等裁判所昭和31年5月8日)も一審を支持したため、検察上告

最高裁判所大法廷は昭和38年5月22日、原審を破棄し、審理を東京地方裁判所に差戻した。理由として

「大学の学問の自由と自治は、大学が学術の中心として深く真理を探求し、専門の学芸を教授研究することを本質とすることに基づくから、直接には教授その他の研究者の研究、その結果の発表、研究結果の教授の自由とこれらを保障するための自治とを意味すると解される。大学の施設と学生は、これらの自由と自治の効果として、施設が大学当局によつて自治的に管理され、学生も学問の自由と施設の利用を認められるのである」。

しかし、

「本件集会は、真に学問的な研究と発表のためのものでなく、実社会の政治的社会的活動であり、かつ公開の集会またはこれに準じるものであつて、大学の学問の自由と自治は、これを享有しないといわなければならない。したがって、本件の集会に警察官が立ち入ったことは、大学の学問の自由と自治を犯すものではない」。

なお、本判決には裁判官入江俊郎奥野健一山田作之助斎藤朔郎の4名による共同補足意見、裁判官垂水克己の補足意見、裁判官石坂修一の補足意見、および裁判官横田正俊の意見がある。

差し戻し後、被告人は第一審で有罪とされ(東京地方裁判所昭和40年6月26日判決)、控訴上告も棄却された(東京高等裁判所昭和41年9月14日判決、最高裁判所昭和48年3月22日判決)。懲役6か月と4か月。執行猶予2年。

論点

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  • 制度的保障としての学問の自由。
  • 「政治的社会的活動」と「学問的研究・発表」の峻別は困難であるという点。
  • 警察の介入と当時の文部省通達

判例評釈

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脚注

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出典

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  1. ^ 旬報社デジタルライブラリー 松川運動史編纂委員会「松川運動全史」目録〜あとがき

関連項目

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外部リンク

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