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ポエトリー・マン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「ポエトリー・マン」
フィービ・スノウシングル
初出アルバム『サンフランシスコ・ベイ・ブルース
B面 イーザー・オア・ボース
リリース
録音 1974年
ジャンル ポップ
時間
レーベル シェルター・レコード
作詞・作曲 フィービ・スノウ
プロデュース ディノ・アイラリ
フィービ・スノウ シングル 年表
ハーポのブルース
1975年
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ポエトリー・マン」("Poetry Man"、日本では「詩人」表記も)はアメリカ人シンガー=ソングライターであるフィービ・スノウの楽曲。スノウが作詞作曲したものをディノ・アイラリがプロデュースし、1974年のデビュー・アルバム『サンフランシスコ・ベイ・ブルース』に収録された。

概要

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1974年後半にシングルカットされると、「ポエトリー・マン」はスノウにとって初めてのチャートインするヒットとなり、1975年4月にはBillboard Hot 100で5位に[1]、カナダのRPMチャートでは4位に達した[2]。その前月にはビルボードのイージー・リスニング・チャートで1位となり、1週間1位をキープした[3]。「ポエトリー・マン」の成功はスノウをグラミー賞最優秀新人賞英語版にノミネートへと導いたが、受賞したのは作曲家のマーヴィン・ハムリッシュだった。

後に、スノウはレコードの制作がスノウ自身のキャリアを通じてもっぱら演奏してきたエレクトリックおよびアコースティックギターを主体にした音楽よりもジャズ寄りのものだったと述べ、「ジャズ・アーティストになろうとしたことはありません。それが大量のバックグラウンドを持っているからです」と語っている[3]。レコーディングでのサクソフォーンのパートはズート・シムズが演奏した。

フィービ・スノウによる「ポエトリー・マン」の最終的な評価
今では全く許容していない、婚外関係を許容するような歌を書いたとき...私の頭は特定の場所にありました。その頃、私は何が起きているのかわからない愚かな子供で既婚男性とセックスしていました。今、どうしてそんな立場に立って、誰かの夫と寝たというロマンチックな小話を歌えるだろう?気が狂いそうです。私はステージで説教をするのが好きではないので、こうして公の場で言えることを嬉しく思っています。私はただ楽しませることが好きなのです...今では古いおならのように聞こえます。しかし、私は婚外交渉が悲しみと悪いカルマをもたらすと思います...それは本当に悪い考えです。[4]

1980年9月13日のAmerican Top 40で、ケイシー・ケイサムは「我々」(おそらくはケイサムの組織)が「ポエトリー・マン」についてフィービ・スノウにインタービューし、スノウがこの歌がジャクソン・ブラウンについてのものだと語ったと主張した[5]。これは後に、ブラウンが曲のリリース後に一緒にツアーした最初のミュージシャンだったという理由だけでたった噂にすぎないとして、スノウによって否定された[6]

スノウは1980年以降のコンサートでは以前の曲を大幅に避けていたが、曲に対する懸念を抱いているにもかかわらず、ライブでは「ポエトリー・マン」を歌うことを強いられていると感じていた(左の囲み参照)。しかしながら、ロサンゼルス・タイムズのジョン・マツモトは1998年9月2日のオレンジ郡のクラブでのギグをレビューし、「スノウがゴージャスで最も有名な曲を演奏している間、天国の夢のように聞こえた」と述べている[7]

チャート

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カバー

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1997年にアフリカ系ベルギー人を主体としたグループのザップ・ママがアルバム『セヴン』に、スピアヘッドのマイケル・フランティがポエトリー・マンを演じる演出のカバーが収録されていた。

1999年、「ポエトリー・マン」はハワイの女性ボーカルトリオであるナレオによるカバー再びチャートに復帰し最高24位に達した。

2007年、クィーン・ラティファは自身のグラミー賞ノミネートされたアルバム『トラヴリン・ライト英語版』にこの曲のカバーを収録した。

2008年、サクソフォーン奏者のジェシー・J英語版が「ポエトリー・マン」のインストゥルメンタル版を自身のアルバムTequila Moon に収録した。

2014年、カナダ人ボーカリストのジャクリン・ギローが「ポエトリー・マン」をコンテンポラリー・ジャズのアルバム、Winter for Beginners に収録した。

脚注

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  1. ^ Whitburn, Joel (2010年10月5日). The Billboard Book of Top 40 Hits. Billboard Publications. ISBN 978-0823085545 
  2. ^ a b Top Singles. RPM Magazine. April 19, 1975.
  3. ^ a b Hyatt, Wesley (1999年6月). The Billboard Book of #1 Adult Contemporary Hits. Billboard Publications. ISBN 978-0823076932 
  4. ^ Minneapolis Star Tribune 23 August 1998 "Where is the Phoebe Snow of Yesteryear? She's back on track album and a 'turned-around life" by Michael Anthony p.85
  5. ^ Battistini, Pete (2010年1月20日). American Top 40 with Casey Kasem: The 1980s. AuthorHouse. ISBN 9781452050386. https://books.google.com/books?id=tmitD749VY4C&q=phoebe+snow+%22poetry+man%22+Casey+Kasem+jackson+browne&pg=PA61 
  6. ^ “Phoebe Snow, 'Poetry Man' Singer, Dies”. Associated Press. (2011年4月26日). https://www.billboard.com/music/music-news/phoebe-snow-poetry-man-singer-dies-471865/ April 22, 2016閲覧。 
  7. ^ Los Angeles Times 4 September 1998 "Poetry Woman Belts Out the Next Verse: the reemerging Phoebe Snow, drawing from a new album of others' material, shows she's ready for more" by Jon D. Matsumoto p.F26
  8. ^ Kent, David (1993). Australian Chart Book 1970–1992 (illustrated ed.). St Ives, N.S.W.: Australian Chart Book. p. 280. ISBN 0-646-11917-6 
  9. ^ Item Display – RPM – Library and Archives Canada”. January 26, 2017閲覧。
  10. ^ New Zealand Top 40 Singles, 5 May 1975
  11. ^ Joel Whitburn's Top Pop Singles 1955–1990ISBN 0-89820-089-X
  12. ^ Adult Contemporary chart for March 1, 1975”. Billboard. May 16, 2019閲覧。
  13. ^ Cash Box Top 100 Singles, April 12, 1975”. June 20, 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。March 12, 2017閲覧。
  14. ^ Top Singles – Volume 24, No. 14, December 27, 1975”. RPM. Library and Archives Canada. March 29, 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。March 28, 2017閲覧。
  15. ^ Top 100 Hits of 1975 Musicoutfitters.com
  16. ^ Cash Box Year-End Charts: Top 100 Pop Singles, December 27, 1975”. October 22, 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。March 12, 2017閲覧。

外部リンク

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