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イゴール・ボブチャンチン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ボブチャンチンから転送)
イゴール・ボブチャンチン
本名 イゴール・ヤロスラヴォヴィッチ・ボブチャンチン
(Igor Yaroslavovych Vovchanchyn)
生年月日 (1973-08-06) 1973年8月6日(51歳)
出身地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の旗 ウクライナ・ソビエト社会主義共和国
ハルキウ州ゾーロチウ
原語名 Ігор Вовчанчин
通称 北の最終兵器
アイス・コールド (Ice Cold)
国籍  ウクライナ
身長 176 cm (5 ft 9 in)
体重 93 kg (205 lb)
階級 ヘビー級
ライトヘビー級PRIDE
リーチ 173 cm (68 in)
スタイル キックボクシングボクシングサンボ
スタンス オーソドックス
チーム Impex 55 Krym
ロシアン・トップチーム
→チーム・ボブチャンチン
現役期間 1995–2005
総合格闘技記録
試合数67
勝利56
ノックアウト41
タップアウト7
判定8
敗戦10
ノックアウト3
タップアウト4
判定3
無効試合1
キックボクシング記録
試合数63
勝利61
ノックアウト48
敗戦2
その他
総合格闘技記録 - SHERDOG
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若き日のボブチャンチン

イゴール・ボブチャンチンウクライナ語: Ігор Вовчанчин, ラテン文字転写: Igor Vovchanchyn1973年8月6日 - )[1]は、ウクライナ男性総合格闘家ハルキウ州ゾーロチウ出身。

概要

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独特の軌道を描いて放たれる変則ブロー、ロシアン・フックを武器に[2]、強烈な打撃でKOを積み重ねる豪快なファイトスタイルから、「北の最終兵器」の異名を持つ。

来歴

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学生時代に陸上競技を経験した後、オレッグ・エルマコフの元でボクシングを始め、全ユーラシアキックボクシング連盟の総書記であるエヴゲーニャ・ボルシェフスカヤ女史と出会いキックボクシングを始めた。1993年にウクライナ代表として出場した世界キックボクシングアマチュア選手権で優勝している。さらににレスリング関節技を習得し[3]、1990年代半ばから母国ウクライナ、ロシアベラルーシなど旧ソビエト連邦の諸国での総合格闘技の大会に出場した。

PRIDE

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1998年10月11日、PRIDE初参戦となったPRIDE.4ゲーリー・グッドリッジと対戦し、パンチラッシュでKO勝ちを収めた。

1999年7月18日、K-1初参戦となったK-1 DREAM '99でアーネスト・ホーストと対戦し、ローキックでKO負けを喫した。

1999年9月12日、PRIDE.7マーク・ケアーと対戦し、ケアーにTKO勝ちしたが、反則であるグラウンド状態での頭部への膝蹴りがあったため、後日TKO勝ちから無効試合へと裁定変更された。

2000年1月30日、PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦のグランプリ1回戦でアレクサンダー大塚と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。

2000年5月1日、PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦のグランプリ2回戦でゲーリー・グッドリッジと再戦し、パウンドでTKO勝ち。準決勝で桜庭和志と対戦し、タオル投入でTKO勝ち。決勝戦でマーク・コールマンと対戦し、グラウンドの膝蹴りでギブアップ負けを喫し準優勝に終わった。

2000年12月23日、PRIDE.12でマーク・ケアーと再戦し、判定勝ちを収めた。

2002年9月29日、PRIDE.22クイントン・"ランペイジ"・ジャクソンと対戦し、脇腹の負傷によりギブアップ負けを喫した。

2003年8月10日、PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦ミルコ・クロコップと対戦し、左ハイキックでKO負けを喫した。

階級をヘビー級からミドル級に変更。

2005年4月23日、PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦のミドル級(-93kg)グランプリ1回戦で近藤有己と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。

2005年6月26日、PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUNDのミドル級(-93kg)グランプリ2回戦でアリスター・オーフレイムと対戦し、フロントチョークで一本負けを喫した。

2005年8月28日、PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦のミドル級(-93kg)グランプリリザーブマッチで中村和裕と対戦し、0-3の判定負けを喫した。

人物・エピソード

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  • 母国で車を運転中、あまりの怪力のためにハンドルをもぎ取ってしまった。
  • 専属通訳兼マネージャーのエヴゲーニャ・ボルシェフスカヤ女史(通称:オバチャンチン)は、時折珍妙な日本語を話すことで知られており、名物キャラクターとなっている。
  • 愛車はトヨタ・ランドクルーザー。決して高額ではないファイトマネーをコツコツ貯金していたが、PRIDEで大成功を収めてからは一気に収入が増え、あっという間に目標金額に達したという。故郷では狩猟がスポーツとして盛んで、高級なSUVのオーナーは狩猟愛好家の間でおおいに尊敬されるため、非常に嬉しかったと述べている。
  • 2022年2月のロシアの軍事侵攻を受け、故郷ハルキウで慈善財団を立ち上げ、食料、医薬品、救援物資を軍や市民、病院、孤児院に届ける活動をしていることがFRIDAY誌で報道された[4]

戦績

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総合格闘技

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総合格闘技 戦績
67 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
56 41 7 8 0 0 1
10 3 4 3 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× 中村和裕 2R(10分/5分)終了 判定0-3 PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦
【ミドル級グランプリ リザーブマッチ】
2005年8月28日
× アリスター・オーフレイム 1R 1:20 フロントチョーク PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUND
【ミドル級グランプリ 2回戦】
2005年6月26日
近藤有己 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦
【ミドル級グランプリ 1回戦】
2005年4月23日
高橋義生 1R 1:10 KO(右フック) PRIDE.29 SURVIVAL 2005年2月20日
セルゲイ・テレジモフ 1R ヒールホールド Water of Peresvit 2004年12月4日
藤井軍鶏侍 1R 4:02 TKO(スタンドパンチ連打) PRIDE 武士道 -其の伍- 2004年10月14日
ダン・ボビッシュ 2R 1:45 TKO(マウントパンチ) PRIDE.27 TRIUMPHAL RETURN 2004年2月1日
× ミルコ・クロコップ 1R 1:29 KO(左ハイキック) PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦 2003年8月10日
ボブ・シュライバー 2R 4:05 スリーパーホールド IT'S SHOWTIME: Amsterdam Arena 2003年6月8日
× クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン 1R 7:17 ギブアップ(脇腹の負傷) PRIDE.22 2002年9月29日
× ヒース・ヒーリング 3R(10分/5分/5分)終了 判定0-3 PRIDE.19 2002年2月24日
ヴァレンタイン・オーフレイム 1R 4:35 ヒールホールド PRIDE.18 2001年12月23日
リカルダス・ロセヴィチュス 2R TKO(ローキック) Rings Lithuania: Bushido Rings 3 2001年11月10日
× マリオ・スペーヒー 1R 2:52 肩固め PRIDE.17 2001年11月3日
佐竹雅昭 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 PRIDE.15 2001年7月29日
ギルバート・アイブル 1R 1:52 スリーパーホールド PRIDE.14 2001年5月27日
× トレイ・テリグマン 3R(10分/5分/5分)終了 判定0-3 PRIDE.13 2001年3月25日
マーク・ケアー 延長R終了 判定3-0 PRIDE.12 2000年12月23日
高田延彦 2R 3:17 ギブアップ(マウントパンチ) PRIDE.11 2000年10月31日
エンセン井上 1R終了時 TKO(ドクターストップ) PRIDE.10 2000年8月27日
松井大二郎 1R 5:03 TKO(ドクターストップ) PRIDE.9 2000年6月4日
× マーク・コールマン 延長2R 3:09 ギブアップ(グラウンドの膝蹴り) PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦
【GRANDPRIX 決勝】
2000年5月1日
桜庭和志 1R終了時 TKO(タオル投入) PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦
【GRANDPRIX 準決勝】
2000年5月1日
ゲーリー・グッドリッジ 1R 10:14 TKO(右フック→パウンド) PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦
【GRANDPRIX 2回戦】
2000年5月1日
アレクサンダー大塚 15分1R終了 判定3-0 PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦
【GRANDPRIX 1回戦】
2000年1月30日
フランシスコ・ブエノ 1R 1:23 KO(スタンドパンチ連打) PRIDE.8 1999年11月21日
マーク・ケアー 2R 4:45 無効試合(反則) PRIDE.7 1999年9月12日
カーロス・バヘット 延長R終了 判定2-1 PRIDE.6 1999年7月4日
ヴェプチョ・バーダナサビリ 1R ギロチンチョーク InterPride 1999: Heavyweight Final 1999年5月8日
Vladimir Solodovnik 1R TKO InterPride 1999: Heavyweight Final 1999年5月8日
小路晃 10分2R終了 判定5-0 PRIDE.5 1999年4月29日
エジソン・カウバーリョ 1R 3:16 TKO(打撃) World Vale Tudo Championship 7
【WVCスーパーファイト選手権試合】
1999年2月2日
アロイジオ・フレイタス・ネート 1R 7:26 ギブアップ(パンチ連打) World Vale Tudo Championship 6
【WVCスーパーファイト王座決定戦】
1998年11月1日
ゲーリー・グッドリッジ 1R 5:58 KO(スタンドパンチ連打) PRIDE.4 1998年10月11日
ニック・ナッター 1R 0:14 KO(膝蹴り) World Vale Tudo Championship 5
【決勝】
1998年2月3日
エリアス・ロドリゲス 1R 10:35 ギブアップ(パンチ連打) World Vale Tudo Championship 5
【準決勝】
1998年2月3日
トゥーリオ・パルハレス 1R 5:35 ギブアップ(パンチ連打) World Vale Tudo Championship 5
【1回戦】
1998年2月3日
ニック・ナッター 1R 24:42 TKO IAFC - 1st Absolute Fighting World Cup Pankration 1997年11月12日
Mikhail Avetisyan 35分1R終了 判定2-1 IAFC - 1st Absolute Fighting World Cup Pankration 1997年11月12日
Valery Pliev 1R 7:13 TKO IAFC - 1st Absolute Fighting World Cup Pankration 1997年11月12日
Yuri Mildzikhov 1R 1997年
Igor Guerus 1R 1997年
Vasily Kudin 1R 9:11 TKO IAFC: Absolute Fighting Russian Open Cup 3 1997年8月29日
Dimitry Panfilov 1R TKO COS: Cup of Stars 1997年5月23日
Aslan Hamza 1R KO COS: Cup of Stars 1997年5月23日
Leonardo Castello Branco 35分1R終了 判定2-1 IAFC: Absolute Fighting Championship II 1997年5月2日
Sergei Bondarenko 1R 1996年11月30日
Igor Akhmedov 1R リアネイキドチョーク DNRF: Ukrainian Octagon 2 1996年5月1日
ジョン・ディクソン 1R 9:10 ギブアップ(疲労) IFC 1: Kombat in Kiev
【決勝】
1996年3月30日
ポール・ヴァレランス 1R 6:20 TKO IFC 1: Kombat in Kiev
【準決勝】
1996年3月30日
フレッド・フロイド 1R 13:14 ギブアップ(打撃) IFC 1: Kombat in Kiev
【1回戦】
1996年3月30日
Igor Akhmedov 1R 肩固め UCMAL: Ukrainian No Rules Championship 1996 1996年3月9日
Yuri Zhernikov 1R TKO UCMAL: Ukrainian No Rules Championship 1996 1996年3月9日
Matrosov Matrosov 1R TKO UCMAL: Ukrainian No Rules Championship 1996 1996年3月9日
Igor Guerus 1R 1:41 TKO DNRF: Ukrainian Octagon 1996年3月1日
Sergey Sheremet 1R 1:27 KO DNRF: Ukrainian Octagon 1996年3月1日
Oleg Tischenko 1R 0:05 KO DNRF: Ukrainian Octagon 1996年3月1日
ロマン ・チクノフ 1R 2:15 KO Mr. Powerman Sekai 1996
【決勝】
1996年1月23日
セルゲイ・ボンダービッチ 1R KO Mr. Powerman Sekai 1996
【準決勝】
1996年1月23日
ニコライ・ヤツカ 1R KO Mr. Powerman Sekai 1996
【1回戦】
1996年1月23日
× イリューヒン・ミーシャ 1R 6:30 ギブアップ Absolute Fighting Championship 1
【決勝】
1995年11月25日
アジウソン・リマ 1R 1:51 TKO(鼻の骨折) Absolute Fighting Championship 1
【準決勝】
1995年11月25日
アジウソン・リマ 1R 0:56 KO(打撃) Absolute Fighting Championship 1
【2回戦】
1995年11月25日
セルゲイ・アーニン 1R 2:40 TKO(腕の骨折) Absolute Fighting Championship 1
【1回戦】
1995年11月25日
× Andrei Besedin 1R 1:12 膝十字固め Absolute Fighting Championship 1 1995年11月25日
セルゲイ・ボンダービッチ 1R 0:18 TKO World UCMAL: Warrior's Honour 1 1995年10月14日
Alexander Mandrik 1R 3:06 TKO World UCMAL: Warrior's Honour 1 1995年10月14日

キックボクシング

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勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× アーネスト・ホースト 3R 0:51 KO(右ローキック) K-1 DREAM '99 1999年7月18日

獲得タイトル

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  • Mr. Powerman Sekai 1996 優勝(1996年)
  • DNRF Ukrainian Octagon 優勝(1996年)
  • DNRF Ukrainian Octagon 2 優勝(1996年)
  • IFC 1 優勝(1996年)
  • World Vale Tudo Championship 5 優勝(1998年)
  • WVCスーパーファイト王座(1998年)

脚注

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  1. ^ ウクライナ語名はイーホル・ヤロスラーヴォヴィチ・ヴォウチャーンチンІгор Ярославович Вовчанчин)、ロシア語名はイーゴリ・ヤロスラーヴォヴィチ・ヴォフチャーンチンИгорь Ярославович Вовчанчин)。
  2. ^ ただしボブチャンチンはウクライナ人である。ロシアン・フックの命名者は佐山聡
  3. ^ Igor Vovchanchyn in exclusive interview Mix Fight M-1 2008年2月10日
  4. ^ ウクライナで闘うイゴール・ボブチャンチンから「日本への手紙」2022年04月18日, FRIDAY DIGITAL, 講談社

関連項目

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外部リンク

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