ペア・クロルドルップ
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名前 | ||||||
本名 |
ペア・ビレスコフ・クロルドルップ Per Billeskov Krøldrup | |||||
ラテン文字 | Per Krøldrup | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | デンマーク | |||||
生年月日 | 1979年7月31日(45歳) | |||||
出身地 | ファルソ | |||||
身長 | 194cm | |||||
体重 | 91kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (CB, SB) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1985-1994 | ファルソ・ウリッツ | |||||
1994-1998 | チャング・オールボルグ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1998-2001 | B.93 | 57 | (8) | |||
2001-2005 | ウディネーゼ | 91 | (3) | |||
2005-2006.1 | エヴァートン | 1 | (0) | |||
2006.1-2012 | フィオレンティーナ | 117 | (3) | |||
2013.3-2013.6 | ペスカーラ | 0 | (0) | |||
2013.10-2014 | オリャネンセ | 17 | (4) | |||
代表歴2 | ||||||
2004-2010 | デンマーク | 33 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2013年4月13日現在。 2. 2010年10月12日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ペア・ビレスコフ・クロルドルップ、(Per Billeskov Krøldrup, 1979年7月31日 - )はデンマーク王国ファルソ (Farsø) 出身の同国代表サッカー選手である。ポジションはディフェンダー。
経歴
[編集]ユース〜デンマーク
[編集]ファルソで生まれ、地元のサッカークラブであるファルソ・ウリッツ (Farso Ullits) に1985年に入団した。1994年にダンマルクスセリエン (Danmarksserien) 所属のサッカークラブ、IKチャング・オールボルグ (Idrætsklubben Chang Aalborg) に入団して本格的なキャリアをスタートさせた。
1998年にB.93に入団し、1部リーグおよび2部リーグにて合計57試合に出場して8得点を挙げた。
ウディネーゼ
[編集]2001年にウディネーゼ・カルチョに移籍。デンマーク代表のマルティン・ヨルゲンセンと共にプレーした。2002年3月19日、ヨルゲンセンはクロルドルップについて、「デンマーク代表にいつ招集されてもいい選手だ」と主張している[1]。2004年2月、サッカートルコ代表との試合でフル代表にデビューした後、UEFA EURO 2004に出場する代表チームにも選出された[2] が、全4試合[3] のいずれにも出場の機会はなかった[2]。
エヴァートン
[編集]2005年7月1日、ウディネーゼから移籍金500万ポンド[4][5] でイングランド・FAプレミアリーグ所属のエヴァートンFCへ移籍したが、試合出場の機会を得る前に鼠径部を負傷し、手術を受けた[4]。 復帰後2005年12月26日に開催されたアストン・ヴィラFCとの試合に出場した[6] が、これがエヴァートンでの唯一の公式戦出場となった[7]。後にこの移籍は、タイムズ紙およびリヴァプール・エコー紙にて、最悪の移籍のひとつであると報じられた他[8][9]、自身も後に、イングランドのサッカーに適応する事の難しさを語っている[10]。
フィオレンティーナ
[編集]2006年1月19日、イタリアに戻りACFフィオレンティーナに入団した。カルチョ・スキャンダルの後 (このころイタリア国内では、複数のクラブが八百長の咎で裁判係争中であった)、シーズン終了後にフィオレンティーナはセリエBに降格させられることになっていた。
クロルドルップは他クラブへ移籍を望む選手たちの只中にあった。しかしフィオレンティーナのフロントがイタリアサッカー連盟に訴えた結果、セリエAへの残留ができることとなった。[11]大半の選手が残留することとなった。
2008年8月12日、UEFAチャンピオンズリーグ 2008-093次予選ラウンド第1戦 (対戦相手: SKスラヴィア・プラハ) にて同大会にデビューした。2010年5月17日、2012年までの契約を延長することに同意した[12]。
2010年になると出番が減少し、2011-12シーズンはついに出場機会がなかった。シーズン終了後、契約満了でフィオレンティーナを退団した[13]。
ペスカーラ
[編集]フィオレンティーナ退団後は無所属が続いていたが、2013年3月7日にデルフィーノ・ペスカーラ1936と契約を結んだ。
出場記録
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
脚注
[編集]- ^ Kurt Lassen (2002.3.19) (デンマーク語). Thomas Helveg melder afbud til testkamp. ベアリングスケ・ティデンデ.
- ^ a b “Per Krøldrup – Alle hold (Alle kampe)” (デンマーク語). デンマークサッカー協会公式サイト. 2011年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月3日閲覧。
- ^ グループリーグ3試合、および準々決勝1試合。
- ^ a b “Per Krøldrup — Defender” (英語). ToffeeWeb.com. 2010年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月3日閲覧。
- ^ Player Transfers Since 1990 (英語) ToffeeWeb.com 2010.7.3 04:02 (UTC) 閲覧
- ^ Aston Villa F.C. vs Everton F.C Match Report (英語) エヴァートンFC公式サイト 2010.7.3 03:09 (UTC) 閲覧
- ^ Players - Per Kroldrup (英語) soccerbase.com 2010.7.3 03:10 (UTC) 閲覧
- ^ The 50 worst transfers (英語) タイムズ 2007.7.18付記事。クロルドルップの移籍はワースト1位に認定されている。
- ^ Top Ten: Players who made us both laugh and cry (英語) リヴァプール・エコー 2009.2.21付記事
- ^ Dominic King, Fiorentina v Everton: Per Kroldrup admits he couldn't cope with the Premier League (英語) リヴァプール・エコー 2008.3.6付記事
- ^ ただし、勝ち点は剥奪の処分が課せられ、Punishments cut for Italian clubs (英語) BBC Sport 2006.7.26付記事 (12-19ポイントと報道)。実際には15ポイントが剥奪された。
- ^ Kroldrup signs new Fiorentina deal (英語) ontheminute.com 2010.5.17付記事
- ^ A giugno svincolati: Montolivo, Natali, Amauri, Kroldrup e Marchionni (イタリア語) fiorentina.it