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ベントレー・スピードシックス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1930年スピード6 ミュリナー・ドロップヘッドクーペ

スピードシックス (Speed Six) はベントレー6½リットルをベース[1][2]1926年[1]から生産したスポーツカーまたは競技用スポーツカーで、最も成功したレーシング・ベントレーとなった。中でも、ベントレー会長でもあったウルフ・バーナート(Woolf Barnato )によって1930年のブルートレインレースに出場した2台のベントレーはブルートレイン・ベントレーとして知られている。

概要

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3リットルに設定された「スーパースポーツ」と同じ位置づけで6½リットルの高チューンドバージョンとして1926年[1]に登場した。内径φ3.9in[2]=約100mm[2]×行程5.5in[2]=約140mm[2]の水冷直列6気筒[2]で排気量は6,597cc[1][2]SU[1]ツインキャブレター[1]、ハイカムシャフトを装備し、圧縮比を5.1[1]に高めたエンジンは、最大出力160hp[1][注釈 1]にパワーアップされていた。初期型のホイールベースは138in[2](約3,505.2mm[2])。

最高速度は92mph[2](約148km/h[2][注釈 2]

ノーマルの6½リットルはエンブレムが青であるのに対し、スピード6のエンブレムは緑である[1][注釈 3]

日常用途に用いるロードカーとして販売され、例えばウルフ・バーナートの個人的なスピード6は様々なコーチビルダーによってボディを架装され、西オーストラリア州警察はパトロールカーとして2台のサルーンボディを配備した。

1930年[1]から生産された後期型では圧縮比5.3[1]に上げられシングルポートブロック[1]を採用し180hpになった[1]。またホイールベースが延長され140.5in[2](約3,569mm[2])、152.5in[2](約3,874mm[2])の2種類となった[1]

1930年まで[2]生産され、生産台数は182台[1][2]

レース用車

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レーシング・バージョンはホイールベース132inで、エンジンは6.1:1に圧縮比を高められて二重点火システムを採用[3]し200hp(150kW)/3,500rpmとなった。ベントレー・ボーイズと呼ばれる人たちの運転により数々のレースで活躍し、特に1929年のル・マン24時間レースではベントレーワークス[3]から出場した1号車がヘンリー"ティム"バーキン(Tim Birkin[3]とウルフ・バーナート[3]により総合優勝[3]1930年のル・マン24時間レースではベントレーワークス[4]から出場した4号車がグレン・キッドストン(Glen Kidston )とウルフ・バーナートによって総合優勝[4]、ベントレーワークス[4]から出場した2号車がフランク・クレモン(Frank Clement[4]とリチャード・ワトニー(Richard Watney[4]により総合2位[4]を獲得している[4]

注釈

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  1. ^ 『ワールド・カー・ガイド27ロールス・ロイス&ベントレー』p.173には140hpとあるが、この数値は6½リットルと同一であり、同じ書籍のp.124には160hpとあるので誤植と思われる。
  2. ^ 特に前期型後期型どちらの数値とも書いてない。
  3. ^ エンブレムが緑色なのは、「スーパースポーツ」仕様を示す。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『ワールド・カー・ガイド27ロールス・ロイス&ベントレー』pp.109-156「ベントレーとモータースポーツ」。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『ワールド・カー・ガイド27ロールス・ロイス&ベントレー』pp.171-185「スペック」。
  3. ^ a b c d e 『ル・マンの英国車』pp.14-17「1929」。
  4. ^ a b c d e f g 『ル・マンの英国車』pp.18-19「1930」。

参考文献

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