ベッペ・グリッロ
ベッペ・グリッロ | |
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五つ星運動党首 | |
任期 2009年10月4日 – 2017年9月23日 | |
後任者 | ルイジ・ディマイオ |
個人情報 | |
生誕 | ジュゼッペ・ピエロ・グリッロ 1948年7月21日(76歳) イタリア、ジェノヴァ |
政党 | 五つ星運動 |
配偶者 | パルヴィン・タジク (結婚 1996年) |
子供 | 6人 |
職業 |
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宗教 | キリスト教[1] |
公式サイト | beppegrillo.it |
ベッペ・グリッロ(イタリア語: Beppe Grillo、イタリア語発音: [ˈbɛppe ˈɡrillo]、1948年7月21日 - )は、イタリアのコメディアン、俳優、ブロガー、政治活動家。本名はジュゼッペ・ピエロ・グリッロ (Giuseppe Piero Grillo) 。2009年にジャンロベルト・カザレッジョと、五つ星運動を結成した。
経歴
[編集]リグーリア州ジェノヴァに生まれる[2]。会計士の勉強をしたが、大学を卒業することはなかった[3]。その後、あるオーディションで即興の一人芝居をした結果、ウケが良かったためコメディアンの道を志す。その2週間後にテレビ司会者のピッポ・バウドに見出され、Secondo Voi というバラエティー番組に1977年から1978年まで出演。1979年にはエンツォ・トラパニの Luna Park やバラエティー番組 Fantastico にも出演した[4][5]。
1980年代には Te la do io l'America (1982年、全4話)と Te lo do io il Brasile (1984年、全6話)という番組で、アメリカ合衆国やブラジルを訪れた経験を語った。これがもとで、Grillometro という別の番組では主役を務めた。
まもなく、グリッロのパフォーマンスはイタリアの政治家を攻撃する政治風刺の色合いを帯び始める。1987年には Fantastico 7 という土曜日の夜のテレビ番組で、中華人民共和国を訪問したベッティーノ・クラクシ首相を痛烈に攻撃した。その結果、グリッロは公共放送から出入り禁止処分を受けた[6]。
テレビからの追放
[編集]1990年代の初めから、グリッロはテレビ番組にあまり出演しなくなった。1993年にグリッロがイタリア放送協会 (RAI) に生出演することが認められたときには、1,500万人という記録的な視聴者数を集めた[7]。グリッロはしばしば、RAIを自らのプロパガンダに悪用している政党に資金を融通しているとして、公共放送であるRAIを非難している[8]。
グリッロは追放処分とされたものの、五つ星運動の大会の模様は、政治討論番組をはじめとするテレビ番組で頻繁に放映される。2014年5月19日には、深夜の人気政治討論番組 Porta a Porta に出演するため、グリッロがRAIを訪れた。これは同年の欧州議会議員選挙の選挙運動の一環であった。同日の Porta a Porta は300万人が視聴した[9]。その後、グリッロはイタリア中で公演を行っている[10]。そのテーマにはエネルギーの利用や政財界の汚職、財政、言論の自由、児童労働、グローバル化、テクノロジーなどがある[11]。
インターネット活動
[編集]グリッロはブログを開設しており、毎日更新を行っている。Technoratiによると、そのアクセス数は世界で10位以内に入る。2008年、『ガーディアン』はグリッロを世界で最も影響力のあるブロガーの1人に挙げた[12]。グリッロはアントニオ・ディ・ピエトロ(元インフラ相)やファウスト・ベルティノッティ(元代議院議長)、レンゾ・ピアノ、ダリオ・フォ、ジョセフ・E・スティグリッツ、ダライ・ラマ14世、ムハマド・ユヌスなどの著名人から手紙を受け取っている[13]。イタリア政治への関与を深めるにつれて、グリッロはウェブが直接民主主義や公正な社会を実現するための新たな可能性を持つことを強調するようになった。したがって、グリッロはイタリアにおけるデジタル・ユーロピアニズムの中心人物となっている[14]。
政治活動
[編集]2005年9月1日、グリッロは自らのブログの読者から寄せられた資金を使って、イタリアの新聞『ラ・レプッブリカ』に全面広告を掲載した。それはアントンヴェネタ銀行の不祥事に関連して、当時のアントニオ・ファツィオ・イタリア銀行総裁の辞任を求める内容だった。2005年10月、『タイム』誌は汚職や財務上の不祥事に対する追及から、グリッロを「欧州のヒーロー2005」のひとりに選定した[15]。
2005年11月22日にはインターナショナル・ヘラルド・トリビューンにも全面広告を出し、そこで「有罪判決を受けた国会議員は、たとえそれが第一審であったとしても市民を代表すべきでない」と主張した[16]。グリッロは有罪判決を受けたイタリアの国会議員の名簿を自らのブログに掲載し、定期的に更新している[17] 。2007年7月26日にはブリュッセルの欧州議会で発言が認められ、イタリア政治の状態に議員の注目を向けた[18]。
V運動
[編集]グリッロはこれまで、国内外のいくつかの政治運動を率いてきた。2007年9月8日には、イタリアで「Vの日の祝祭」を組織した。このVは、イタリア語でくそったれを意味する vaffanculo の頭文字である。このイベントでグリッロは、汚職や課税逃れ、殺人教唆などの罪で有罪判決を受けた24人のイタリアの政治家の名前を挙げた。このイベントには200万人以上のイタリア人が参加した[19]。グリッロはまた、このイベントの参加者に、法案の住民発議制度の導入を求める請願書に署名するよう求めた。これは、有罪判決を受けたイタリアの国会議員の除名を図ったものであった[20]。
第2回の「Vの日」は、2008年4月25日にトリノで行われた。そこでは、政府から財政支援を受けているイタリアの報道機関がやり玉に挙げられた。グリッロはイタリアの報道の自由の欠如だけでなく、火葬に対する支持を表明したウンベルト・ヴェロネージ元厚生相、イタリア国内の北大西洋条約機構 (NATO) 基地、シルヴィオ・ベルルスコーニをはじめとする政治家、Europa 7に割り振られた周波数をいまだ引き渡さない Rete 4 というテレビ局などを厳しく批判した。
2008年8月にはオーストラリア放送協会の国際情勢番組 Foreign Correspondent で、グリッロが取り上げられた。「道化師の貴公子」 (The Clown Prince) と題されたリポートでは、グリッロの暮らしぶりや政治活動、Vの日運動、インターネットを政治活動のツールとして利用していることなどが紹介された[21]。
五つ星運動
[編集]2010年、グリッロは五つ星運動という政治運動を旗揚げした。これはインターネットを介して、誠実や直接民主主義に関する自らの理想を広めることを企図したものであった。まもなく同運動は政党に発展し、2010年の地方選挙では4人の地方議会議員が誕生した。2012年の地方選挙ではさらに勢いを増し、全体の得票数で3位につけたほか、パルマの市長選挙で勝利した[22]。
2013年の総選挙では25.5%を得票し、代議院(下院)選挙の得票率では2位につけた[23]。しかし、政党連合に有利な選挙制度のため、獲得議席数は109(定数630)にとどまった[24]。欧州議会では、五つ星運動は自由と直接民主主義のための欧州 (EFDD) という会派に所属している。
2014年にグリッロは、イタリアのユーロ圏残留に関する国民投票を実施するため、400万人の署名を集めることをねらっていると明らかにした[25]。
法的な問題
[編集]1980年、グリッロは自動車事故で3人を死亡させ、過失致死の有罪判決を受けた[26]。
2003年には、リータ・レーヴィ=モンタルチーニをテレビ番組に出演した際に「売女のばばあ」と呼び、名誉毀損で訴えられた[27]。
イタリアの司法がパルマラット社の不祥事を審理していた際、グリッロは証人喚問を受けたことがある。それは、グリッロがテレビ番組のなかで、同社がまもなく破産することを予測していたためであった。予測に成功した理由を判事から問われたグリッロは、「パルマラット社の財務上の苦境は、知性のある人なら誰でも見いだせるほど明らかだった。同社の決算書は容易に入手できたのだから」と述べた[28]。
批判
[編集]グリッロはその生活習慣をよく批判される。特に、環境保護を掲げていながらモーターヨットやフェラーリのスポーツカーを所有していることは、批判の的となった。自らのブログのなかでグリッロは、双方とも所有していることを認め、批判を受けて売却したと述べた[26]。このことを民主党の書記長から攻撃された際には、長年給料を稼いできたしそれらにかかる税金も払っていると主張した[29]。
グリッロはまた、恩赦に反対していたにもかかわらず、ベルルスコーニ政権が2001年に与えた年次恩赦を利用したとも非難されている[30]。
グリッロは、犯罪歴のある国会議員は公職から追放されるべきと提案している。グリッロは自動車事故で過失運転致死の有罪判決を受けたことがあるため[26]、これが実現すると、グリッロは公職に就任できない。これに関して、グリッロは国政に進出する意思はないと述べているが[26]、2009年7月には、民主党の予備選に出馬する意向を表明した[31]。
グリッロはまた、些細な問題で政治家を攻撃するにもかかわらず、自らは有効な対案を示せないデマゴーグとも呼ばれる。イタリアの有名漫談家であるダニエーレ・ルッタッツィは、ニュース雑誌 MicroMega のウェブサイトに2007年に掲載された公開書簡のなかでグリッロを批判した。ルッタッツィはグリッロを「デマゴーグ」や「ポピュリスト」などと非難し、グリッロは諷刺か政治のどちらかを選ぶべきだと主張した[32]。
2013年3月、『デア・シュピーゲル』誌は論説記事のなかで、グリッロを「欧州で最も危険な男」と呼び、その発言を反民主的と評した。また、グリッロのエネルギーは反抗心から生じていると述べ、グリッロとベニート・ムッソリーニを比較したイギリスの作家、ニコラス・ファレルの言葉を引用した[33]。
出演作品
[編集]- 映画
- Cercasi Gesù (1982)
- 『戦争の狂人』 (Scemo di guerra, 1985)
- Topo Galileo (1987)
このほか、2008年にはグリッロを題材にしたドキュメンタリー The Beppe Grillo Story が製作され、アルジャジーラ・イングリッシュで放映された[34]。
脚注
[編集]- ^ “Le mani di Dio”. 2016年12月26日閲覧。
- ^ “Programma elettorale del MoVimento 5 Stelle per le elezioni politiche che si svolgeranno in data 24 febbraio e 25 febbraio 2013 per l'elezione della Camera dei Deputati e del Senato della Repubblica”. interno.gov.it. 内務省 (9 January 2013). 2 November 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。21 June 2013閲覧。
- ^ Dinmore, Guy (2013年3月1日). “Beppe Grillo, the man out to sack Rome”. Financial Times (London: Pearson PLC). オリジナルの2013年3月4日時点におけるアーカイブ。 2015年2月12日閲覧。
- ^ “Beppe Grillo - Luna Park, 1979”. YouTube. 4 December 2016閲覧。
- ^ “Beppe Grillo a "Fantastico" (1979)”. YouTube. 4 December 2016閲覧。
- ^ “Seriously Funny”. Time. (2 October 2005) 12 March 2013閲覧。
- ^ “Grillo pronto ad andare da Vespa:"Gli porto un plastico, se non l'accetta mi offendo"”. La Repubblica. (19 May 2014)
- ^ “The RAI is public financing for the parties”. Beppe Grillo. (June 2013)
- ^ “Oltre 3 milioni in Tv per Grillo-Vespa”. La Stampa. (20 May 2014)
- ^ “Grillo, l'eroe scelto da Time che batte tutti i record”. Repubblica. (16 February 2006)
- ^ “D'Alia's "Shit Wall" against the Internet”. Beppe Grillo (12 February 2009). 2016年12月26日閲覧。
- ^ “The World's 50 Most Powerful Blogs.”. The Guardian. (16 March 2008)
- ^ “Un Nobel per Milano”. 2016年12月26日閲覧。
- ^ Natale, Simone; Ballatore, Andrea (2014-01-01). “The web will kill them all: new media, digital utopia, and political struggle in the Italian 5-Star Movement” (英語). Media, Culture & Society 36 (1): 105–121. doi:10.1177/0163443713511902. ISSN 0163-4437 .
- ^ Jeff Israely, "Seriously Funny" (article on Beppo Grillo), TIME Magazine, 2 October 2005.
- ^ Beppe Grillo's Blog.
- ^ "Clean Parliament", list of convicted felons in the Italian parliament.
- ^ Video clip - YouTube
- ^ “Beppe's Inferno: A comedian's war on crooked politics”. The New Yorker. (4 February 2008) .
- ^ "Clean Up Parliament!" Beppe Grillo's Blog.
- ^ “The Clown Prince”. ABC News. (8 May 2008)
- ^ Ballottaggio Parma 2012, svolta epocale: il candidato del Movimento 5 stelle è sindaco (video)
- ^ “Risultato elezioni 2013: con i voti degli italiani all'estero il Pd è il primo partito alla Camera”. huffingtonpost.it (2013年3月21日). 2015年6月8日閲覧。
- ^ Ministero dell'Interno - Scrutini Camera: Italia
- ^ “Italy's Beppe Grillo calls for referendum on leaving euro”. 2016年12月26日閲覧。
- ^ a b c d La paga di Giuda, from Beppe Grillo's blog, 16 September 2005; in Italian (the first English post in Grillo's blog is from a few weeks later).
- ^ Gian Marco Chiocci. “Tra "vaffa" e condanne, Camere tabù per Grillo” (イタリア語). Il Giornale. 29 December 2012閲覧。
- ^ Grillo testifies on Parmalat crack: "I brought also Fiat and Telecom [Italia]", from La Repubblica, January 16, 2004.
- ^ Beppe Grillo – ROMA "Tsunami Tour 22 febbraio 2013" 2/4 - YouTube (22 February 2013). Retrieved 24 August 2013.
- ^ "Grillo, the 'Great Moralist' seduced by the fiscal amnesty", from Il Giornale, 18 November 2005. Note that Il Giornale is owned by Silvio Berlusconi's brother, Paolo.
- ^ “Pd, Grillo si candida alle primarie "Offro un'alternativa al nulla" - Politica - Repubblica.it”. 2016年12月26日閲覧。
- ^ Daniele Luttazzi talks about Beppe Grillo on Micromega, from Il Corriere della Sera, 13 September 2007.
- ^ Jan Fleischhauer, "Green Fascism: Beppe Grillo of Italy Is the Most Dangerous Man in Europe" – Spiegel Online (15 March 2013). Retrieved 24 August 2013.
- ^ The Beppe Grillo Story.
外部リンク
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