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ヘンリー・ヴェイン (初代ダーリントン伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

初代ダーリントン伯爵ヘンリー・ヴェイン英語: Henry Vane, 1st Earl of Darlington PC (Ire)1705年ごろ – 1758年3月6日)は、グレートブリテン王国の貴族、政治家。庶民院議員(在任:1726年 – 1753年)、アイルランド副大蔵卿英語版(在任:1742年 – 1744年)、下級大蔵卿(在任:1749年 – 1755年)、陸軍支払長官(在任:1755年 – 1756年)を歴任した[1]

生涯

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第2代バーナード男爵ギルバート・ヴェインと妻メアリー(Mary、旧姓ランディル(Randyll、1682年[2] – 1728年8月4日、モーガン・ランディル英語版の娘)の息子として[3]、1705年ごろに生まれた[1]。家庭教師の教育を受けた[2]

1726年5月に行われたローンストン選挙区英語版の補欠選挙に出馬して[4]政府の支持を受けて当選した[5]1727年イギリス総選挙ではカウンティ・ダラムからの出馬を検討したが、ヴェインと現職議員でホイッグ党所属のジョン・ヘッドワース英語版のほかにジョージ・ボーズ英語版も出馬を表明しており、ダラム主教英語版ウィリアム・タルボット英語版が調停に乗り出した[6]。ダラムはボーズにモーペス選挙区英語版でヴェインを当選させ、その代償としてヴェインがカウンティ・ダラムからの出馬をとりやめる上ボーズを支持することを提案した[6]。ボーズはモーペス選挙区の議席をヴェインに与えられなかったが、政府がセント・モーズ選挙区英語版でヴェインを当選させたため、カウンティ・ダラムでの選挙は無投票に終わった[5][6]1734年イギリス総選挙ではセント・モーズで再選したが[7]、1739年に次の総選挙で再びカウンティ・ダラムから出馬することを表明、1741年イギリス総選挙ジョン・エイズラビーウィリアム・エイズラビー英語版の支持を受けてリポン選挙区英語版で当選した[2][5][8]

与党派ホイッグ党に所属する初代ニューカッスル公爵トマス・ペラム=ホリスと従兄弟の関係だったため、庶民院でも与党を支持すると予想されたが、実際には妻の親族(母の兄弟の息子)にあたるウィリアム・パルトニー(野党派ホイッグ党所属)を支持した[2]。そのため、パルトニーが政権につくとヴェインも官職を与えられるものとされ、1733年には野党の影の内閣宮内副長官英語版の官職を充てられ、ジョージ2世がこれを聞いて怒ったという[5][2]。そして、1742年にウォルポール内閣が崩壊すると、パルトニーの尽力により同年8月にアイルランド副大蔵卿英語版およびアイルランド陸軍支払長官に任命され[2][5]、9月18日にアイルランド枢密院英語版の枢密顧問官に任命された[1]。1744年12月にパルトニーとその支持者が政権から追い出されると、ヴェインもアイルランド副大蔵卿と陸軍支払長官の官職を失った[5]

1747年イギリス総選挙で三たびカウンティ・ダラムから出馬したが、このときにはヘッドワースが死去していたため、ヴェインが当選を果たした[6]。この頃にはニューカッスル公爵もその弟ヘンリー・ペラムも息子がおらず(ペラムは息子を2人もうけたが、2人ともに1739年に死去した)、初代ニューカッスル公爵ジョン・ホリスの遺言状に基づきニューカッスル公爵家の遺産の大半がヴェイン家に継承される見込みだったため、ヴェイン家とペラム家の関連が強まり、ヴェイン自身もニューカッスル公爵と親しくなろうと努力した[2][5]。ただし、ニューカッスル公爵は金づかいが荒く、領地が多額の抵当に入っていたため、ヴェインと第2代ヴェイン子爵ウィリアム・ヴェイン(ヴェインの叔父の息子)を説得し、6万ポンドを受け取って相続権を放棄させた[2]。そして、ヴェインは1749年5月にペラム兄弟から下級大蔵卿(Lord of Treasury)の任命を受けた[2]

1753年4月27日に父が死去すると、バーナード男爵位を継承した[1]。1726年から1753年までの27年間庶民院議員を務めたが、議会で演説したことはなかった[5]。1754年4月3日、ニューカッスル公爵によりカウンティ・ダラムにおけるダーリントン伯爵バーナーズ・キャッスルのバーナード子爵に叙された[1][5]。この叙爵に対し、ジョージ2世はニューカッスル公爵が叙爵を相続権放棄への補償として与えているのではないかと疑い、叙爵の許可を遅滞させたという[2]。1755年10月のヘンリー・フォックス入閣に伴い下級大蔵卿を解任されたが、同年12月に陸軍支払長官ダプリン子爵トマス・ヘイとの共同就任)に任命され、1756年末にピット=デヴォンシャー公爵内閣が成立すると退任した[2]

1748年にハートルプール市長英語版を、1755年にダラム市長を務めた[5]。1753年3月21日年にダラム統監英語版[9]、1755年2月20日にダラム海軍次官英語版に任命され、いずれも1758年に死去するまで務めた[10]

1758年3月6日に死去、長男ヘンリーが爵位を継承した[1]

人物と私生活

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ホレス・ウォルポールから度々揶揄されている。ニューカッスル公爵へのおべっかには「(下級大蔵卿を務めていたヴェインが)大蔵省にいないときは、専らニューカッスル公爵夫人の最新の寵臣で、ハノーファーから連れてきた豚のためにドアを開けたり閉めたりしている」(When not at the Treasury he was said to have been entirely employed in opening and shutting the door for the Duchess of Newcastle’s latest favourite, ‘a common pig, that she had brought from Hanover’)と述べ、庶民院で1度も演説しなかった理由には「舌が口からだらりとたれてくるほど長いため、演説ができない」(being prevented from doing so by ‘a monstrous tongue which lolled out of his mouth’)と述べた[5]。また、性格については「彼は酔うと、知っていることをすべて述べた。しらふのときは知らないことも述べた」(whenever he was drunk told all he knew, and when he was sober, more than he knew)揶揄した[1]

ダニエル・ギャレット英語版ジェームズ・ペイン英語版を招聘して、自領のレイビー城英語版の大規模改築を進めた[2]。この改築では内装にパッラーディオ様式を、外装にゴシック様式を採用した[2]

家族

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1725年9月2日、グレース・フィッツロイ(Grace FitzRoy、1697年3月28日 – 1763年9月29日、第2代クリーヴランド公爵チャールズ・フィッツロイの娘)と結婚[1]、3男3女をもうけた[5]

  • ヘンリー英語版(1726年 – 1792年9月8日) - 第2代ダーリントン伯爵
  • アン英語版(1766年9月14日没) - 1745年3月21日にチャールズ・ホープ=ヴィアー閣下英語版と結婚したが、1757年に離婚した。その後、ジョージ・モンソン閣下(Hon. George Monson)と再婚した[11]
  • フレデリック英語版(1732年6月26日 – 1801年4月28日) - 庶民院議員。1758年6月15日、ヘンリエッタ・メレディス(Henrietta Meredith、アモス・メレディスの娘)と結婚、子供あり。1797年、グレース・ライザート(Grace Lysaght、アーサー・ライザートの娘)と再婚[12]
  • レイビー英語版(1736年1月2日 – 1769年10月23日) - 海軍軍人、庶民院議員。1768年4月18日、エリザベス・セイヤー(Elizabeth Sayerジョージ・セイヤー英語版の娘)と結婚、子供なし[13]
  • メアリー(1781年4月11日没) - 1752年10月29日、ラルフ・カー(Ralph Carr)と結婚[11]
  • ヘンリエッタ・ハリオット(Henrietta Harriott、1758年12月没) - 生涯未婚[11]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 81–82.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m Hanham, Andrew A. (24 May 2008). "Vane, Henry, first earl of Darlington". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/53274 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  3. ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 425.
  4. ^ Cruickshanks, Eveline (1970). "Launceston (Dunheved)". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年9月15日閲覧
  5. ^ a b c d e f g h i j k l Cruickshanks, Eveline (1970). "VANE, Hon. Henry (c.1705-58), of Raby Castle, co. Dur.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年9月17日閲覧
  6. ^ a b c d Sedgwick, Romney R. (1970). "Durham County". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年9月17日閲覧
  7. ^ Cruickshanks, Eveline (1970). "St. Mawes". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年9月17日閲覧
  8. ^ Sedgwick, Romney R. (1970). "Ripon". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年9月17日閲覧
  9. ^ Sainty, John Christopher (1979). List of Lieutenants of Counties of England and Wales 1660–1974 (英語). London: Swift Printers (Sales).
  10. ^ Sainty, John Christopher (June 2003). "Vice Admirals of the Coasts from 1660". Institute of Historical Research (英語). 2007年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月17日閲覧
  11. ^ a b c Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. p. 189.
  12. ^ Drummond, Mary M. (1964). "VANE, Hon. Frederick (1732-1801), of Sellaby, co. Dur.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年9月15日閲覧
  13. ^ Brooke, John (1964). "VANE, Hon. Raby (1736-69).". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年9月15日閲覧

外部リンク

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グレートブリテン議会英語版
先代
ジョン・ウィリス英語版
ジョン・フレンド英語版
庶民院議員(ローンストン選挙区英語版選出)
1726年 – 1727年
同職:ジョン・フレンド英語版
次代
ジョン・キング閣下
アーサー・トレメイン英語版
先代
シドニー・ゴドルフィン
サミュエル・モリニュー英語版
庶民院議員(セント・モーズ選挙区英語版選出)
1727年1741年
同職:ジョン・ナイト 1727年 – 1728年
ウィリアム・イースト英語版 1728年 – 1734年
リチャード・プラマー英語版 1734年 – 1741年
次代
ロバート・ニュージェント
ジェームズ・ダグラス英語版
先代
ウィリアム・エイズラビー英語版
トマス・ダンクーム英語版
庶民院議員(リポン選挙区英語版選出)
1741年1747年
同職:ウィリアム・エイズラビー英語版
次代
ウィリアム・エイズラビー英語版
サー・チャールズ・ヴァーノン英語版
先代
ジョン・ヘッドワース英語版
ジョージ・ボーズ英語版
庶民院議員(カウンティ・ダラム選挙区英語版選出)
1747年 – 1753年
同職:ジョージ・ボーズ英語版
次代
ジョージ・ボーズ英語版
ヘンリー・ヴェイン閣下
公職
先代
リチャード・エッジカム
第2代トリントン子爵
アイルランド副大蔵卿英語版
1742年 – 1744年
同職:第2代トリントン子爵
次代
第2代トリントン子爵
第3代チャムリー伯爵
先代
ウィリアム・ピット
陸軍支払長官
1755年 – 1756年
同職:ダプリン子爵
次代
ダプリン子爵
トマス・ポッター英語版
名誉職
空位
最後の在位者
エドワード・チャンドラー英語版
ダラム統監英語版
1753年 – 1758年
次代
第2代ダーリントン伯爵英語版
空位
最後の在位者
第2代スカーバラ伯爵
ダラム海軍次官英語版
1755年 – 1758年
空位
次代の在位者
第3代ダーリントン伯爵
グレートブリテンの爵位
爵位創設 ダーリントン伯爵
1754年 – 1758年
次代
ヘンリー・ヴェイン英語版
イングランドの爵位
先代
ギルバート・ヴェイン
バーナード男爵
1753年 – 1758年
次代
ヘンリー・ヴェイン英語版