ウィリアム・ヴェイン (初代クリーヴランド公爵)
閣下 初代クリーヴランド公爵 ウィリアム・ヴェイン KG | |
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個人情報 | |
生誕 | ウィリアム・ヘンリー・ヴェイン 1766年7月27日 |
死没 | 1842年1月29日 (75歳没) セント・ジェームズ・スクエア, ウェストミンスター, ロンドン |
国籍 | イギリス |
配偶者 | キャサリン・ポーレット
(結婚 1787年; 死別 1807年) エリザベス・ラッセル (結婚 1813年)
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出身校 | クライストッチャーチ・カレッジ |
初代クリーヴランド公爵ウィリアム・ヘンリー・ヴェイン(英: William Henry Vane, 1st Duke of Cleveland, KG、1766年7月27日 – 1842年1月2日)は、イギリスの貴族、地主、資産家、政治家。ホイッグ党所属。
ダーリントン伯爵家に生まれ、伯位継承までバーナード子爵として庶民院議員を務めた。ゴドリッチ内閣期にクリーヴランド侯爵に昇ったのち、グレイ伯爵率いるホイッグ政権下でクリーヴランド公爵に叙されて公爵家を興した[1]。
生涯
[編集]第2代ダーリントン伯爵とマーガレット・ラウザー(Margaret Lowther、初代ロンズデール伯爵の娘)との息子として生まれた[1][2]。父方の祖母にグレース・フィッツロイがいる。彼女は国王チャールズ2世の庶子の家系たるクリーヴランド公爵家出身であるため、ウィリアムもこの流れで王家の系統を汲む[注釈 1]。オックスフォード大学・クライストチャーチ・カレッジに学んだ[1]。
1788年にトットネス選挙区より出馬して庶民院議員に当選、1790年まで議席を占めた[3]。同年から1792年にかけては、父が直近で購入したウィンチェルシー選挙区に鞍替えして選出され庶民院議員を務めている[3]。党派としてはホイッグに属しながら、議員初期にはピット首相を支持した。しかし、ピットは叙爵を求める彼の要求を認めなかったために、両者は次第に疎遠になったという[3][4]。
1792年に父の死去に伴ってダーリントン伯爵位を継承、貴族院に列した[1]。爵位継承後は次第にホイッグに傾倒していったが、カニング・ウェリントン両内閣に関しては支持している[4]。ただし、基本的には腐敗選挙区廃止を含む政治改革の支持者であったため、トーリーに転向した長男や次男を疎んじた一方で、ホイッグに留まった末息子を支援した。この点に関して、『英国人名事典』は「公爵は(自身の保持した)6つの腐敗選挙区をかなぐり捨てることも躊躇わなかった」と評している[4]。
他方、財産の面では1808年に遠縁のバース女伯爵が死去すると、彼が広大なパルトニーの地所を相続することが認められた[5]。1833年の奴隷制度廃止を巡っては賛成票を投じている[3]。廃止法可決に伴って、バルバドスに奴隷を保持していた公爵は1837年に奴隷補償法によって金銭補償を受けた[4]。
1827年にクリーヴランド侯爵に昇った[2][6]。1831年のウィリアム4世戴冠即位式では第三の剣(Third Sword)を持つ役割を担った[7]。さらに1833年には連合王国貴族としてクリーヴランド公爵及びレイビー男爵を授けられた[2][8]。続く1839年にもガーター勲章を受勲している[9]。この急速な栄達に関して、官吏チャールズ・グレヴィル[注釈 2]は自身の日記で次のように述べている。
1842年に75歳で死去、ダラム州ステインドロップに埋葬された[1]。爵位は長男ヘンリーが継承した[2]。
遺言では親友の政治家ブルーム卿を遺言執行人の一人に指名したほか、家族のみならず彼にも土地や宝石、コンソル債を贈与している[4]。
家族
[編集]1787年にキャサリン・ポーレット(Katherine Powlett、第6代ボルトン公爵ハリー・ポーレットの次女)と結婚して、三男五女をもうけた[2]。
- ヘンリー・ヴェイン(1788年 - 1864年)- 第2代クリーヴランド公爵。
- ウィリアム・ヴェイン(1792年 - 1864年)- 第3代クリーヴランド公爵。
- ハリー・ヴェイン(1803年 - 1891年)- 第4代クリーヴランド公爵。
- ルイーザ・ヴェイン(1791年 - 1821年)
- カロライン・ヴェイン(1795年)
- オーガスタ・ヴェイン(1796年 - 1874年)
- アラヴェラ・ヴェイン(1801年生 - 1864年)
- ローラ・ヴェイン(1807年 - 1882年)
1813年にエリザベス・ラッセル(Elizabeth Russell、1861年埋葬)と再婚したが、夫妻に子はなかった[2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ただし、公爵家は第3代クリーヴランド公爵が1774年に没した際に廃絶している。
- ^ チャールズ・グレヴィルは枢密院書記官を務めた官吏で、国王ジョージ4世からウィリアム4世の在世期にかけて日記を記した著述家[10]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f Cokayne, G. E. 著、Gibbs, Vicary、Doubleday, H. Arthur 編『The Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts)』 3巻(2nd)、The St Catherine Press、London、1913年、284-285頁 。
- ^ a b c d e f Heraldic Media Limited. “Cleveland, Duke of (UK, 1833 - 1891)” (英語). www.cracroftspeerage.co.uk. Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2020年6月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月21日閲覧。
- ^ a b c d Collinge, J.M. (1986). "VANE, William Harry, Visct. Barnard (1766-1842), of Raby Castle, co. Dur.". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年6月21日閲覧。
- ^ a b c d e f Carr, William revised by K. D. Reynolds. "Vane, William Harry, first duke of Cleveland". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/28088。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ “'Hornsey, including Highgate: Other estates', in A History of the County of Middlesex: Volume 6, Friern Barnet, Finchley, Hornsey With Highgate”. London: British History Online. pp. 146–149 (1980年). 14 July 2020閲覧。
- ^ "No. 18397". The London Gazette (英語). 18 September 1827. p. 1955.
- ^ "No. 18848". The London Gazette (英語). 13 September 1831. p. 1865.
- ^ "No. 19013". The London Gazette (英語). 15 January 1833. p. 97.
- ^ "No. 19726". The London Gazette (英語). 19 April 1839. p. 832.
- ^ Christopher Hibbert (2004) "Greville, Charles Cavendish Fulke (1794–1865)". Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press.
- ^ Charles C. F. Greville, A Journal of the Reigns of King George IV and King William IV, volume II (London, Longmans Green & Co, 1874), at page 192
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by the Duke of Cleveland
- Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900. .
グレートブリテン議会 | ||
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先代 フィリップ・ ジェニングス=クラーク ヘンリー・フィップス |
庶民院議員 トットネス選挙区選出 1788–1790 同職:ヘンリー・フィップス |
次代 ウィリアム・ポーレット F.B.ヤード |
先代 ジョン・ネスビット ウィリアム・ネダム |
庶民院議員 ウィンチェルシー選挙区選出 1790–1792 同職:リチャード・バーウェル |
次代 リチャード・バーウェル フレデリック・ フレッチャー=ヴェイン |
名誉職 | ||
先代 第2代ダーリントン伯爵 |
カウンティ・ダラム統監 1792–1842 |
次代 第3代ロンドンデリー侯爵 |
先代 初代ダーリントン伯爵 |
ダラム副提督 1795–1842 | |
イギリスの爵位 | ||
爵位創設 | クリーヴランド公爵 1833–1842 |
次代 ヘンリー・ヴェイン |
クリーヴランド侯爵 1827–1842 | ||
グレートブリテンの爵位 | ||
先代 ヘンリー・ヴェイン |
ダーリントン伯爵 1792–1842 |
次代 ヘンリー・ヴェイン |