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ヘンリー・リゴン (第5代ビーチャム伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リチャード・ダイトン英語版による肖像画。

第5代ビーチャム伯爵ヘンリー・リゴンHenry Lygon, 5th Earl Beauchamp1829年2月13日1866年3月4日)は、イギリス貴族、政治家。襲爵以前にエルムリー子爵儀礼称号を使用し、庶民院議員を務めた[1]

生涯

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第4代ビーチャム伯爵ヘンリー・ビーチャム・リゴン英語版と妻スーザン・キャロライン(1801年4月12日 – 1835年1月15日、第2代セント・ジャーマンズ伯爵ウィリアム・エリオット英語版の娘)の次男(長男ウィリアムは1834年に6歳で没)として、1829年2月13日に生まれた[2]イートン・カレッジで教育を受けた[2]

1848年5月5日にライフ・ガーズ第1連隊英語版コルネット英語版(騎兵少尉)への辞令を購入[3]、1850年12月13日に中尉への辞令を購入して昇進した[4]。1854年12月1日に大尉への辞令を購入して昇進した[5]。1863年11月ごろに軍務から引退した[6]

父の爵位継承に伴い1853年2月にウェスト・ウスターシャー選挙区英語版の補欠選挙が行われると、保守党候補として出馬、無投票で当選した[1]。その後、1857年1859年の総選挙でも無投票で再選した[1]。1859年6月、ウスターシャー副統監に任命された[7]

1863年9月8日に父が死去すると、ビーチャム伯爵位を継承した[2]。爵位継承に伴うウェスト・ウスターシャーでの補欠選挙には弟フレデリック英語版が出馬して、やはり無投票で当選した[1]

1866年3月4日、生涯未婚のままベルグレイヴィアベルグレイヴ・スクエア英語版13号で病死、弟フレデリック英語版が爵位を継承した[2]

出典

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  1. ^ a b c d Craig, F. W. S. (1977). British Parliamentary Election Results 1832–1885 (英語). London: Macmillan Press. p. 486. ISBN 978-1-349-02349-3
  2. ^ a b c d Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 42–43.
  3. ^ "No. 20853". The London Gazette (英語). 5 May 1848. p. 1746.
  4. ^ "No. 21162". The London Gazette (英語). 13 December 1850. p. 3388.
  5. ^ "No. 21635". The London Gazette (英語). 1 December 1854. p. 3910.
  6. ^ "No. 22789". The London Gazette (英語). 17 November 1863. p. 5440.
  7. ^ "No. 22279". The London Gazette (英語). 24 June 1859. p. 2474.

外部リンク

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グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代
ヘンリー・リゴン閣下英語版
フレデリック・ウィン・ナイト英語版
庶民院議員(ウェスト・ウスターシャー選挙区英語版選出)
1853年 – 1863年
同職:フレデリック・ウィン・ナイト英語版
次代
フレデリック・リゴン閣下英語版
フレデリック・ウィン・ナイト英語版
イギリスの爵位
先代
ヘンリー・リゴン英語版
ビーチャム伯爵
1863年 – 1866年
次代
フレデリック・リゴン英語版