ヘンリー・パジェット (第4代アングルシー侯爵)
第4代アングルシー侯爵ヘンリー・パジェット(英語: Henry Paget, 4th Marquess of Anglesey、1835年12月25日 – 1898年10月13日)は、イギリスの貴族。
生涯
[編集]第2代アングルシー侯爵ヘンリー・パジェット(1797年7月6日 – 1869年2月6日)と2人目の妻ヘンリエッタ・マリア(Henrietta Maria、旧姓バゴット(Bagot)、1815年9月 – 1844年3月22日、サー・チャールズ・バゴットの娘)の息子として、1835年12月25日に生まれた[1]。
1857年3月20日、スタッフォードシャー・ヨーマンリー連隊のコルネット(少尉)に任命された[2]。1859年10月11日に大尉に[3]、1874年10月3日に少佐に昇進した[4]。その後、名誉中佐への昇進を経て、1884年6月15日に正式に中佐に昇進した[5]。さらに名誉隊長(大佐)に昇進するが、1886年12月29日に引退[6]、1887年3月5日に改めて名誉隊長に任命された[7]。1873年5月4日、スタッフォードシャーの副統監に任命された[8]。
1880年1月30日に異母兄ヘンリー・ウィリアム・ジョージが死去すると、アングルシー侯爵位を継承した[1]。
1883年時点でスタッフォードシャーに17,500エーカーの、アングルシーに約10,000エーカーの、ダービーシャーに約1,500エーカーの、ドーセットに約1,000エーカーの領地を所有し、合計で年収約110,000ポンド相当だった[1]。
1883年10月10日にRoyal Naval Artillery Volunteersリヴァプール旅団の名誉大尉に任命され[9]、1886年12月24日に指揮官(Lieutenant Commanding)に任命された[10]。
1885年7月28日、北ウェールズ海軍次官およびカーマーゼン海軍次官に任命された[11]。1891年5月13日、Rifle Volunteer Corpsの名誉隊長に任命された[12]。ほかにもロイヤル・ウェルシュ・フュジリアーズの志願兵第2大隊の名誉隊長を務め、1897年5月26日に第3大隊の名誉隊長に転じた[13]。1896年までに聖ヨハネ勲章ナイト・オブ・グレースを授与された[14]。
長い闘病生活を経て、1898年10月13日にプラス・ネーウィズで死去、スランエドウェンで埋葬された[1]。息子ヘンリー・シリルが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1858年8月24日、エリザベス・ノーマン(Elizabeth Norman、1841年ごろ – 1873年11月5日、ジョセフ・ノーマンの娘)と結婚したが[1]、2人の間に子供はいなかった[15]。
1874年2月2日、パリのイギリス大使館でブランシュ・メアリー・ボイド(Blanche Mary Boyd、1877年8月14日没、ジョン・クリスチャン・カーウェン・ボイドの娘)と再婚[1]、1男をもうけた[15]。
1880年6月26日、パリのイギリス大使館でメアリー・リヴィンストン・ウッドハウス(Mary Livingstone Wodehouse、1931年5月没、ジョン・ペンドルトン・キング閣下の娘、ヘンリー・ウッドハウス閣下の未亡人)と再婚したが、2人の間に子供はいなかった[1][16]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 140–141.
- ^ "No. 21995". The London Gazette (英語). 1 May 1857. p. 1538.
- ^ "No. 22318". The London Gazette (英語). 21 October 1859. p. 3791.
- ^ "No. 24136". The London Gazette (英語). 2 October 1874. p. 4572.
- ^ "No. 25389". The London Gazette (英語). 22 August 1884. p. 3833.
- ^ "No. 25659". The London Gazette (英語). 28 December 1886. p. 6577.
- ^ "No. 25679". The London Gazette (英語). 4 March 1887. p. 1164.
- ^ "No. 23975". The London Gazette (英語). 13 May 1873. p. 2398.
- ^ "No. 25277". The London Gazette (英語). 12 October 1883. p. 4877.
- ^ "No. 25658". The London Gazette (英語). 24 December 1886. p. 6513.
- ^ "No. 25496". The London Gazette (英語). 31 July 1885. p. 3541.
- ^ "No. 26160". The London Gazette (英語). 12 May 1891. p. 2545.
- ^ "No. 26856". The London Gazette (英語). 25 May 1897. p. 2934.
- ^ "No. 26725". The London Gazette (英語). 27 March 1896. p. 1961.
- ^ a b Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. p. 107.
- ^ Pine, Leslie G., ed. (1956). Burke's Genealogical and Heraldic History of the Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (101st ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 66.
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Mr Henry Paget
- ヘンリー・パジェット - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
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