ヘンリー・バウチャー (初代エセックス伯)
ヘンリー・バウチャー Henry Bourchier | |
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初代エセックス伯 | |
在位 | 1461年 - 1483年 |
称号 | 第5代バウチャー男爵:1433年 - 1483年 |
出生 |
1404/6年 |
死去 |
1483年4月4日 |
埋葬 | エセックス、マルドン、ビーリー修道院 → リトル・イーストン教会 |
配偶者 | イザベル・オブ・ケンブリッジ |
子女 | 本文参照 |
家名 | バウチャー家 |
父親 | 初代ウー伯ウィリアム・バウチャー |
母親 | アン・オブ・グロスター |
初代エセックス伯爵・第2代ウー伯爵ヘンリー・バウチャー(英: Henry Bourchier, 1st Earl of Essex, 2nd Count of Eu KG、1404/6年 - 1483年4月4日)は、イングランド王国の貴族。ノルマンディー公国貴族としてウー伯爵を兼ねた。
生涯
[編集]初代ウー伯爵ウィリアム・バウチャーとアン・オブ・グロスターの長男として生まれる。母方でイングランド王エドワード3世の曾孫にあたる。
ヘンリーは、1433年に死去したはとこの第4代バウチャー女男爵エリザベス・バウチャーからバウチャー男爵位を継承した。父の死後(1420年)、ノルマンディー公国貴族のウー伯爵を称したが、同世代の人はヘンリーを「男爵」以上とは認めなかったという[3]。
フランスにおいて様々な戦いを経験し、その功績により1445年から1446年にかけて開かれた議会でバウチャー子爵に叙せられ、1452年にはガーター勲爵士に選出された[3]。その後、1461年には第2次セント・オールバンズの戦いとタウトンの戦いでヨーク派を支持して戦い、その直後にエドワード4世からエセックス伯爵に叙せられた[4][5]。
ヘンリーは1455年5月29日から1456年10月5日、1460年7月28日から1462年4月14日、および1471年4月22日から1483年4月4日まで大蔵卿の職にあった。また、1461年にはトレント川以南の巡回裁判官となり、終生その地位にあった。ヘンリーが大蔵卿を務めていたのは、イングランドで金塊大飢饉と大不況が起こった時期であった。
ヘンリーは1483年4月4日に亡くなり、ビーリー修道院に埋葬されたが、その後墓はリトル・イーストン教会に移された。
結婚と子女
[編集]1426年以前に、ヘンリーはエドワード3世の曾孫であるイザベル・オブ・ケンブリッジと結婚した。イザベルはリチャード・プランタジネットの姉であり、リチャードの息子である将来のエドワード4世とリチャード3世の伯母にあたる。
夫妻の間には少なくとも11子が生まれた。
- ウィリアム(1480年没) - バウチャー子爵。初代リヴァーズ伯リチャード・ウッドヴィルとジャケット・ド・リュクサンブールの娘アン・ウッドヴィルと結婚。2人の間には第2代エセックス伯ヘンリー・バウチャーと、第9代チャートリーのフェラーズ男爵ジョン・デヴァルーの妻セシリー・バウチャーが生まれた[6]。
- ヘンリー(1462年没) - エリザベス・ド・スケールズ男爵夫人と結婚。子供は不明[6]。
- ハンフリー(1471年4月14日没) - 初代で最後のクロムウェルのバウチャー卿。バーネットの戦いで戦死[6]。
- ジョン(1495年没) - 最初にエリザベス・フェラーズと結婚し、次にエリザベス・チシェルと結婚。子供は不明[6]。
- エドワード(1460年12月30日没) - ウェイクフィールドの戦いで戦死[6]
- トマス(1492年没) - イザベラ・バーレと結婚。子供は不明[6]。
- フローレンス(1525年没)[6]
- フルク - 早世[6]
- ヒュー - 早世[6]
- イザベラ - 早世[6]
ヘンリーの死後、イザベルは再婚せず1年半後に亡くなった。
爵位
[編集]1420年に父の死去に伴い、以下の爵位を継承した[4]。
1433年に親族エリザベス・バウチャーから以下の爵位を継承した[4]。
1446年12月14日に以下の爵位を新規に叙された[4]。
- 初代バウチャー子爵(1st Viscount Bourchier)
(勅許状によるイングランド貴族爵位)
1461年6月30日に以下の爵位を新規に叙された[4]。
- 初代エセックス伯爵(1st Earl of Essex)
(勅許状によるイングランド貴族爵位)
脚注
[編集]- ^ 孫の第2代エセックス伯ヘンリー・バウチャーのガーター騎士のプレートを参照。
- ^ Vivian, Heralds' Visitations of Devon, 1895, p.106
- ^ a b Clark, Linda (23 September 2004) [2004]. "Bourchier, Henry, first earl of Essex". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/2987。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ a b c d e Cokayne, G. E. (1926). Gibbs, Vicary & Doubleday, H. Arthur (eds.). The Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St Catherine Press. p. 137-138.
- ^ “Memorial of the parishes of Greensted-Budworth, Chipping Ongar and High Laver, with an account of the families of Cleeve and Budworth”. 2017年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j Alison Weir, Britain's Royal Family: A Complete Genealogy (London, U.K.: The Bodley Head, 1999), page 111.
参考文献
[編集]- Clark, Linda (2008). "Bourchier, Henry, first earl of Essex (c. 1408–1483)". Oxford Dictionary of National Biography (online) (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/2987. ISBN 978-0-19-861412-8. 2019年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
外部リンク
[編集]公職 | ||
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先代 ジェームズ・バトラー |
大蔵卿 1455年 - 1456年 |
次代 ジョン・タルボット |
先代 ジェームズ・バトラー |
大蔵卿 1460年 - 1461年 |
次代 ジョン・ティプトフト |
先代 ジョン・ティプトフト |
大蔵卿 1471年 - 1483年 |
次代 ジョン・ウッド |
イングランドの爵位 | ||
爵位創設 | エセックス伯爵 (第5期) 1461年 - 1483年 |
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フランスの爵位 | ||
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