ウィリアム・バウチャー (初代ウー伯)
ウィリアム・バウチャー William Bourchier | |
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初代ウー伯 | |
バウチャー家の紋章 | |
在位 | 1419年 - 1420年 |
出生 |
1375年3月2日 |
死去 |
1420年5月28日(45歳没) フランス王国、トロワ |
埋葬 | イングランド王国、グロスター、スランソニ・セクンダ修道院 |
配偶者 | アン・オブ・グロスター |
子女 |
ヘンリー ウィリアム ジョン トマス エレノア |
家名 | バウチャー家 |
父親 | サー・ウィリアム・バウチャー |
母親 | エレノア・ド・ルーヴァン |
初代ウー伯ウィリアム・バウチャー(William Bourchier, 1375年3月2日 - 1420年5月28日)は、ヘンリー5世によって創設されたウー伯に叙されたイングランドの騎士。
出自
[編集]ウィリアムは1375年3月2日、サー・ウィリアム・バウチャー(1375年没、エセックスのハルステッドの大法官、初代バウチャー男爵ロバート・バウチャー(1349年没)の次男)と妻エレノア・ド・ルーヴァン(1345年3月27日 - 1397年10月5日)の息子として生まれた。エレノアはエセックスのリトル・イーストンの世襲男爵[注釈 1]サー・ジョン・ド・ルーヴァン(ロヴェイン)(1347年没)の娘で相続人であった[3]。ルーヴァンの紋章は、赤地に金のビレットとフェスであるが、しばしば様々な数のビレットや、時には銀のフェスで描かれ、例えばサフォークのヘングレーブ・ホールのステンドグラスでは赤地に14本の金のビレットの間に銀のフェスで示されている[注釈 2]。
エレノアはリトル・イーストンの世襲男爵ゴドフリー・ド・ルーヴァン(1226年没)の子孫であった[2]。ゴドフリーはルーヴェン伯ゴドフロワ3世(1142年 - 1190年)の2度目の結婚で生まれた息子であり、ブラバント公アンリ1世(1165年 - 1235年)の異母弟である[1]。ウィリアムが母方のルーヴァン家領から相続した土地には、サフォークのビルデストン、ホプトン、シェランド、ドリンクストーンの「ロヴェイン」、そして(エセックスの)リトル・イーストン、ブロクステッド、エイソープ・ローディングの荘園が含まれていた[5]。
経歴
[編集]ウィリアムは1415年のアジャンクールの戦いで戦った。1417年、ヘンリー5世のフランスへの2度目の遠征の際には従者として従い、ノルマンディーの占領で重要な役割を果たした。1419年、ディエップの指揮官に任命され、町とウー伯の服従を受け入れる権限を与えられた。フランスのウー伯は征服者であるイングランド王に敬意を払うことを拒んだため、アジャンクールの戦い以降イングランドで捕虜となっていた。
1419年6月、ヘンリー5世は捕らえたフランスの6つの伯領を有力なイングランド支持者に与えたが、ウー伯位はウィリアム・バウチャーに与えられ初代ウー伯となった[5]。
1420年5月28日にフランスのトロワで亡くなり[5]、グロスターのスランソニ・セクンダ修道院に埋葬された[6] 。
結婚と子女
[編集]ウィリアムは、エドワード3世の末子である初代グロスター公トマス・オブ・ウッドストック(1355年 - 1397年)と、エセックス伯、ノーサンプトン伯および第7代ヘレフォード伯ハンフリー・ド・ブーンの長女で共同相続人のエレノア・ド・ブーンとの間に生まれた娘で、スタッフォード伯爵夫人であったアン・オブ・グロスターと結婚した。バウチャー家のバース伯位の相続人であるレイ準男爵家は、レイの紋章にバウチャー家とブーン家の紋章、イングランド王室の紋章を4つずつ配した。ウィリアムとアンの間には以下の子女が生まれた[7]。
- ヘンリー(1404年 - 1483年) - 初代エセックス伯
- ウィリアム(1415年 - 1474年) - 妻の権利により第9代フィッツワリン男爵となる。バース伯家祖。
- ジョン(1416年頃 - 1474年) - 初代バーナーズ男爵
- トマス(1418年頃 - 1486年) - カンタベリー大司教、枢機卿
- エレノア(1417年頃 - 1474年11月) - 第3代ノーフォーク公ジョン・モウブレーと結婚
注釈
[編集]脚注
[編集]- ^ a b Sanders 1960, p. 43.
- ^ a b Sanders 1960, p. 130.
- ^ “BOURGCHIER, Sir William (C.1374-1420), of Little Easton, Essex. | History of Parliament Online”. 2024年11月4日閲覧。
- ^ Gage 1822, p. 37.
- ^ a b c Woodger 1993.
- ^ Douglas Richardson, Plantagenet Ancestry: A Study In Colonial And Medieval Families, 2nd Edition, p.355 [1] The de Bohun family were patrons of Llanthony Secunda Priory, near Gloucester Castle, founded by their ancestor Miles of Gloucester in 1136 as a secondary house to Llanthony Priory in Monmouthshire.
- ^ Order per: Vivian, Lt. Col. J. L., (Ed.) The Visitations of the County of Devon: Comprising the Heralds' Visitations of 1531, 1564 & 1620. Exeter, 1895, p.106, pedigree of Bourchier
参考文献
[編集]- Sanders, I.J. (1960). English Baronies: A Study of their Origin and Descent 1086-1327. Oxford
- Woodger, L.S., biography of Sir William Bourchier, published in The History of Parliament: House of Commons 1386-1421, ed. J.S. Roskell, L. Clark, C. Rawcliffe, 1993
- Gage, John (1822). The History and Antiquities of Hengrave, in Suffolk. p. 37