ヘンリー・アースキン (第10代バカン伯爵)
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第10代バカン伯爵ヘンリー・デイヴィッド・アースキン(英語: Henry David Erskine, 10th Earl of Buchan、1710年4月17日 – 1767年12月11日)は、スコットランド貴族、フリーメイソン。
生涯
[編集]第9代バカン伯爵デイヴィッド・アースキンとフランシス・フェアファクス(Frances Fairfax、1719年7月31日没、ヘンリー・フェアファクスの娘)の息子として、1710年4月17日に生まれた[1]。
1734年1月10日に王立協会フェローに選出されたが、支払いの滞納により1757年6月に除名された[2]。
1739年1月31日、アグネス・ステュアート(Agnew Steuart、1778年12月17日没)と結婚[1]、4男2女をもうけた[3]。
- アン・アグネス(1739年 – 1804年10月5日)
- デイヴィッド(1741年6月12日 – 1747年10月4日)
- デイヴィッド・ステュアート(1742年 – 1829年) - 第11代バカン伯爵
- ヘンリー(1746年 – 1817年) - 1772年3月30日、クリスチャン・フラートン(Christian Fullerton、1804年没、ジョージ・フラートンの娘)と結婚、子供あり。1805年1月7日、アースキン・マンロー(Erskine Munro、アレクサンダー・マンローの娘)と再婚。第12代バカン伯爵ヘンリー・デイヴィッド・アースキンの父
- トマス(1750年 – 1823年) - 初代アースキン男爵
- イザベラ(Isabella、1824年5月17日没) - 1770年1月21日、ウィリアム・レズリー・ハミルトン(William Leslie Hamilton、1780年10月2日没)と結婚、子供あり。1785年4月23日、第15代グレンカーン伯爵ジョン・カニンガムと再婚
1745年10月14日に父が死去すると、バカン伯爵の爵位を継承した[1]。
1745年から1746年までスコットランド・グランドロッジのグランドマスターを務めた[1]。
1767年12月1日に死去、エディンバラで埋葬された[1]。息子デイヴィッド・ステュアートが爵位を継承した[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 382.
- ^ "Erskine; Henry David (1710 - 1767); 10th Earl of Buchan". Record (英語). The Royal Society. 2019年11月2日閲覧。
- ^ "Buchan, Earl of (S, 1469)". Cracroft's Peerage (英語). 9 July 2019. 2019年11月2日閲覧。
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